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冬の風に弱る日々もある話。

風が吹いている。急にやってきた冬の風だ。
冷たくて、乾いていて、冷たい。そんな風だ。

風が吹くと桶屋が儲かる話ではないけれど。
こうして強い風が吹き付けると、なにか悪い方角に心が騒いでしまうというか。実際は追いつかない冬の衣の準備だとか、気圧の乱高下だとか、そういう季節の変わりめに巻き起こる有象無象が心身に響いて揺れ動いてしまう。

身体から繋がる精神的な「足場」が不安定だと「心」も不安定になる。

だからこそせめてもう少しゆるやかに季節は移り変わってほしかったけれど、お天道様に文句を言ってもしょうがない。

愚痴はインターネットの片隅に書き零し、ネックウォーマーや各種身体を温めるものを用意して、服装はなんとしてでも冬物を引きずり出し、毛布を乗せ、無理のない範囲で暖房を動かし、温かい飲み物をちびちびと頂く。
「心」が冬についてこれなくとも、身体、もとい「足場」を冬に強制的に適応させれば、案外ついて来たりするものだ。

もちろん、それだけでは解決しないことだって山ほどある。「冬季うつ」という言葉もあるし、そもそも生物には活動を停止する冬眠という概念がそびえ立っている。冬は元から、それはもうずいぶん古来から「厳しい季節」なのだ。

つまり。いくら医療が発達して平均寿命やら健康寿命やらが延びようと、冬は厳しい季節というのは生物の決まりごとなので。

我々は生きているだけで偉い!


ということを(やはり此処もインターネットの片隅ではあるけれど)声を大にして言いたい。

冬物の服を引っ張り出せた、偉い!
温かい食事を作れた、偉い!
もちろん買ったものをレンジで温められた、それも偉い!
暖房つけられた、偉い!
いや暖房は電気代に不安があるから毛布を被れた、それもまた偉い!
この極寒の中洗濯物を干せた、偉い!
冷たい水だけど食器が洗えた、偉い!
開いた窓から吹き付ける風の中、掃除ができた、偉い!
そもそも能動的なことが一切できなかったとしても、生きているだけで偉い!!!!!

言っていくとキリがないけれど、我々はそれだけ褒められたことをしているのだ。だって、冬はとっても厳しい季節だから。



さて。こんな辺鄙な場所に来て、顔も知らない人間の少し長めのひとりごとを見ているとは。あなたもきっと、冬に弱った顔をしているんじゃないかと(想像だが)お見受けする。

此処からあなたに珈琲、ないしは温かい飲み物の類いは用意できない。
もちろん、あなたを弱らせるものの話を丁寧に聞くこともできない。

けれど。この寒さに同じように弱っている人間が、確かに画面の向こう側にいることを。そして、その人間はあなたのその弱った心を否定する気持ちは一切ないということを。心の片隅に置いて頂けたら幸いです。

焦らずに。ゆっくりと。少しずつ。一日を過ごしていきましょう。
そうすればまた、穏やかな陽気の中で靴紐を結べる日が来る、少なくとも僕はそう信じつつ願っています。


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