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わたしは、どうやって幸せになればいいのかわからない。

幸せになるべきだ・その必要はない で悩んでいるわけではない。

確実に、 幸せになるべきだ を選択しているその上で。



人に夢を目指していると話す時、わたしは常に何か嘘をついている。
夢をどうにかよく見せようと。

自分自身に夢を目指していると伝える時、わたしは常に嘘をついている。
夢をどうにか悪く見せようと。

あるいは、違うかもしれない。
「夢に対して、」常に没頭しない理由を探しているのではなく、
「自分自身に対して、」常に没頭するには何かが足りないと言い聞かせている。



それはなぜだ?

何故だ?

なぜなんだ。



私が、本気で目指していないから?
目指したいと思っていないから?
望んでいないから?

私が、心から夢みていないから?
私が、本当は夢を持っていないから?


今、

本当に今、

初めて自分の夢がなくなってふわふわした、エレベーターの到着した時のような気持ち悪さを感じた。怖かった。
わたしの夢ってなんだろう。
わたしの夢ってなんなんだろう。


今までは、「やりたいことのない人」なんて、自分には全く関係がなくて一番遠くてなりたくても触れられないカテゴリーだと思っていた。

わたしが夢としてイメージするのはとにかく大きくて、意味・意義としてのパワーを持つものだった。

その上、例え大袈裟な夢でなくても、常に「やりたいこと」は溢れていたし、その興味を満たすには時間が足りなかった。


しかし、今、初めて、わたしは、

夢がわからない

という怖さに陥った。

何事よりも怖い。

私の知らない世界。

一生触れることのできないだろうと考えてきた感覚。

怖い。

気持ち悪い悪寒がするふわふわゆらゆらぐらぐらする。

わからない。

どうしたら。


どこまでなにを誤魔化して、どこまでなにを受け入れて、どこまでなにを守り抜かねばならないのか。







正直、もう、

わたしの人生は終わっている。

「夢」なのだと誤魔化し騙しながら灯していると、
「理想」なのだと胸の中に抱いていると、

そう感じる。



わたしには明確に理想がある。

今は、それを「夢」と呼んでいいのかはわからない。

でも、私の理想には年齢制限がある。

言いたいことはわかる。

この歳からでも不可能ではない。

でも、もう、ハンデがどうこうとか、確率がどうこうとか、

ひっくるめて「夢」だと言える元気がない。

でも、確実に「理想」ではあり、
わたしは大きなものを好む。
意味・意義を好む。

「“普通”に幸せ」になど、普通になれない。

わたしにとってそれは、バカンスの街で浮き輪にぶら下がっているようなものだ。

邪念から逃げる為に海外で自由・自立を謳歌するようなものだ。


可能性がなくても目指せばいいじゃない

と言うのならば、わたしにとってそれは夢ではない。

ただの理想と、壁を隔てた自己満だ。





私はまだ気付いていない。

でももし、それに気付いたとしたら、

それに気付いた時、

私はどう 夢のない人間 を生きればいいのだろう。
どう「人生においてやりたいことのない人」を生きればいいのだろう。



この夢を持つわたしの人生は、もう終わったようなものなのか。

この理想を持つわたしの人生は、もう終わったようなものなのか。



わたしは、どうやって幸せになればいいのか。

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