人の話がわからない

「もっと人の話を聞いたほうがいいよ」そう最初に言われたのはいつごろだろうか。もう10年はすぎている。いや、20年すぎているかもしれない。

真剣に聞いている。そして、理解しようとしても、理解した時にはもう完全に置いてけぼりになっているのだ。そう、人の話を聞いて理解できない。とてもじゃないが、間に合わない。

いつも、蚊帳の外。ついていけない。まるでわからない。その孤独に苛まれてきた。だから、人がたくさんいる時間というのは、私にとっては孤独な時間でしかない。まるで矛盾しているように見えるが、そうではない。大勢がいるような状況、そんなところに身を置けば、いつの日だって、弾かれる。居場所なんて、ない。

10歳になり、20歳になり、30歳にもなったが、状況はまるで変わらない。いや、ますますひどくなるばかりだ。さっきあった話を、聞いた話を振り返ったところで、断片的な記憶しかない。流行の話、いつ誰と会うとか、たわいもない話だが、まるでついていけなかったし、反応することもできなかった。周りは全員何かを楽しんでいる。私だけが、空気になっていた。空気になって、質の悪いレコーダーのようになって、必死に話を聞いて、なんとかついていこうとしつつ、結局は全部消えていく。

いつもそうだ。いつも私だけ、空気だった。最後まで空気でい続けるしかない、そんな人生の終点も、見えてきた。

少なくとも、40歳になった時に、同じ展開になれば空気になる自信がある。おそらく、50歳でも。

学力試験も入試も学歴も何一つそこを変えてはくれなかった。結果を見れば当たり前のこと。

話を聞ける人間であったなら。聞き上手という人間がうらやましすぎて、生きるのが辛くなってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?