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出るとこ出ますよ(11)判決そして3年を経て確認できたこと 一般市民の民事裁判初体験記【32(最終回)】自転車は空を飛ばない

ここまでのお話

原告の私と被告のY氏が直接、法廷で対峙する最終決戦。当事者尋問が終わりました。あとは判決を待つばかり。本件、いよいよ一区切りの時を迎えます。

前回のつづき・・・

2018(平成30)年8月6日

小さな事故は、「◇◇簡易裁判所平成30年(ハ)第43号損害賠償請求事件」といういかつい名前の事件に名称を変えて、この日に判決の時を迎えた。
判決といっても、法廷で裁判官から「主文・・・」という話を聞くようなことはない。民事訴訟の場合は、誰もいない法廷で裁判官が連続して判決を読み上げていくそうだ。

従って、原告の私としてもこの日に判決は出ているだろうなぁと思いながらもその内容に触れるのは後日となった。

S弁護士からは翌日に連絡があり、判決内容の骨子を知った。そのあと、判決文の文書が送られてきた。

判決書の主文-「被告は原告に対し、10万4220円及びこれに対する平成29年10月4日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え」

弁護士費用2万円については認められなかったものの車両の修理代金については、私たちが求めていた全額に加えて、支払いが遅延していることによる損害金を認める内容となっていた。勝訴である。

弁護士費用については通例認められることは難しいとは聞いていたので、認めてもらえばラッキーぐらいの感覚だった。本丸は修理代である。私たちの主張が認められた上に、相手が支払うべきものを遅らせていたということで遅延損害金をも認めてくれていた。

これで、Y氏が「私は悪くない」とご近所ロビィ活動をしたとしても、この判決文書で、木っ端みじんに粉砕できる。

ただ、これでもまだ私たちは安心できなかった。権利上、Y氏は判決を不服として、控訴する可能性があったからである。 

しかしながら、この心配はすぐに解消した。

2018(平成30)年8月8日

Y氏代理人K弁護士からS弁護士に連絡FAXが来た。速攻である。
文書の要旨を記す。

冠省、長らく何かとお手数をおかけ致しました。
 当方は控訴はせず、判決を受け容れることになりました。
つきましては、貴方にて控訴をせず判決受け容れが確定すれば、振り込みをさせたく存じますので、振込口座をご教示いただきたく存じます。
本訴判決が確定されるのを機に相隣関係にある〇〇家とY家が少しでも友好的な間柄と雰囲気になるように願っています。
とり急ぎ要用のみ。
                                草々

こういう場面でこういう立場ならこういう文書内容にならざるを得ないと思いながらも私は「どの口が言う!」とつい思ってしまった。

尚、判決は双方控訴なしで8月22日確定となった。

実はこれでもまだ心配はあったのである。判決は権利の確定を示しているだけで、修理代金何がしを支払ってもらえる権利があるというだけで、そのお金の取り立てはこちらがしないといけないのだ。これは今回はじめて知った。裁判所は取り立てまではしてくれないのだ。

幸運なことに、相手方からの振込はすぐにされた。
取り立てはせずに済んだ。

結果として、
2017(平成29)年10月4日事故発生
2018(平成30)年8月22日判決確定

発生から一応の解決まで11か月。ほぼ一年がかりである。

こちらは、着手金20万円に訴訟時の追加10万円。そして勝訴による成功報酬が30万円。
勝訴で取れたのが、104,220円と、遅延損害金5分を合わせて、合計11万円もいかないぐらいである。あと、細かい話だが、印紙代とか弁護士の交通費、その他実費が発生している。

Y氏についても、K弁護士が一回の出番で済めば、10万円かそこら(あくまでもこちらの推定だ)の負担で済んだであろうが、その後の出番の度に費用発生していたのは間違いない。全部合わせれば、数十万円になっていることは容易に想像ができる。

当方の場合は、このあと、幸運なことが起きていた。当方の訴訟費用の10万円全額とと成功報酬の30万円の幾分かは入っていた自動車の損害保険でカバーされることになり、負担については助かる部分があった。入っていてよかった「弁護士特約」であった。この手続きは、S弁護士がすべてやってくれた。保険の存在を教えてくれたのもS弁護士であった。有難い限りであった。
とはいえ、まぁ、保険でカバーできた分を脇に置いたら、ザクッと言えば、10万円取るのに60万円をかけていたという話だ。
名誉を守るためのコストとしては、適正なのかは様々な考えがあることだろう。

Y氏の場合はこういう幸運がなかったのかもしれないとしたら、この一年はそれなりの経済的な打撃はあったことであろう。スッと、妻が提案した77,490円を支払っておけばよかったものを向こうも高くついたものだ。

その後の話である。驚いたことに、振り込みをしたあと、Y氏の態度が変わった。
私と妻の顔を見ると、「おはようございます!」と声を掛けて来る。

どうも金を払えば、それで終わりと思っているようなのだ。
私と妻は反応しない。とてもそんな気持ちにはなれなかった。

まずは、「この度はすみませんでした」と頭を下げるのが人の道というものではないのだろうか。
私は、Y氏に一度だけ言ったことがある。
「もうお気遣いなく」と。

つくづく、自分たちとは異質な人間だと思い知った。

ホント、親戚と隣人は選べないである。

選べないけど、付き合いは続く。親戚は顔を合わせないようにできるけど、隣人はそうはいかない。

仕方ないが、やむを得ない。日々の生活の営みは続いていく。

                             了


あとがき

今回が連載最終回でした。
ここまでお読みいただいた方々、ありがとうございました。
書きながら、自分だけが正しいという独善的なものになっていないかと始終気にしながら、客観性・冷静さをできるだけ保つように心掛けはしていましたが、もし所々そういうところを感じて、不愉快に感じさせるところがあったとしたらどうぞご容赦ください。

たとえ、小さな体験であっても、普通の一般市民、一人の人間にとっては、とてつもなく大きなものというものがあります。
自分のこの体験が同じようなことに出くわした方々のお役に立てばと思い切って書き残すことにしました。

もちろん、こんなことに巻き込まれないに越したことはありませんが、一旦、巻き込まれてしまうと、物心両面に渡って、失うものは決して少なくはありません。
ただ、知っていれば防げる。あるいは被害を少なくできることはありますからこの拙稿がそういうことに少しでもお役に立てば幸いです。

最後に凝縮した教訓を挙げますと、なんだかんだ言っても

君子危うきに近寄らず

これでした。難しいのは「危うき」認定が早期にできるかです。私たち夫婦の場合はこれが遅れました。

まさか、こんな人だったとは夢にも思わなかったのです。

まぁ、冷静に考えてみれば、証拠も示さず、「風でお宅の自転車が飛んで来て、うちの車のバンパーに当たった」と言うだけでも、実は相当ヤバい御仁であったのです。妄想を事実のように思えてしまうといいますか・・・。

 私と妻には、でも、「いくらなんでもそんなことはないだろう」と思いたい気持ちが勝ってしまったのでしょう。今から思うと、私たちも冷静さを欠いていたのは確かです。性善説に流れ過ぎました。しかしまぁ。無理はないとも思います。今後の付き合いのことも考えますからね。(このように思考がぐるぐる回ります・苦笑)

この事故以来のY氏関連の様々な経験の積み重ねで分かったことなのですが、このY氏。人間関係のポジションの取り方は、上か下しかない人だったのです。

自分より上と認定すれば、ペコペコへりくだり
自分より下と認定すれば、偉そうに高圧的に

 これが顕著でした。妻は明らかに下と認定されて、要はなめられまくっていたのです。それは、私も同様です。羊のような大人しい夫婦と思われていたのでしょう。
ところが実態はそうではなかった。うちもY氏にびっくりしましたが、向こうもびっくりしていたのではないかと思います。

 とは言いながら、今でもふと思います。時計の針を戻すことができて、2017年10月下旬の妻がバンパーの件をY氏に言われたあとぐらいに行くことができて、「どこに当たったというんですかぁ!」と私が血相変えて、怒鳴りながら、直接、Y氏に迫っていたらどうなっていたかと。

 でもまぁ、そうしたらそうしたで、別のまたややこしい事態が起きていたかもしれないとも思います。過去は変えられないし、あの時の私と妻は未来に禍根を残したくないから敢えて戦ったのです。激高しそうになるのを抑え、冷静さを必死に保ちながら。そう。未来を変えるための戦い。今は、これで良しと気持ちの整理をつけています。

 あとY氏には、もう一つの特徴がありました。猛烈な被害者精神の持ち主であること。自分の落ち度を認めず、他人のせいにする他責の権化。今回のY氏主張は自分は被害者であることをベースにつくられていました。その論理に無理があろうとそんなことはお構いなしです。これが、話し合いをぶち壊しました。

言わば、私も妻もこの人とは、友人には死んでもならないし、ビジネスの相手としても何億円積まれても付き合いたくない人が隣人だったのです。(もっとも向こうもそう思っていたでしょうが)

読者の皆さんも事が起きてしまったら、必死に冷静さを保ちながら、相手の「危うき」認定判定の精度を上げてください。

弁護士立てて、裁判まですると、これぐらいの大変さになるというのが今回事例です。

相手が弁護士を立てて来たのなら、これはこちらも弁護士を立てるしか対抗できないというのが私たちの実感でした。すぐに相談できる弁護士が居た方が人生、絶対いいです。引き受けてくれる弁護士が居ないというだけで相当追い込まれます。

実はY氏との絡みは、この後の話も沢山あるのですが、それを語るのはもうやめときます。いやはや、心底たいへんでした。その時も、また、司法の助力(民事調停)を得たとだけ言っておきます。苦労した甲斐があったという結末になったのが救いでした。こうして、どうして裁判所があるのかの理解をまたまた深めた私たち夫婦でした。

どうか読者の皆さんにはこういうことが起こりませんように。もちろん、私の子孫にも。

最後にミステリアスなエピソードをひとつ。

今回、何回も論点に上がったY氏による傷の前にあった小さな傷。

・その小さな傷の位置はY氏による傷と全く同じ高さの位置

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・Y氏は車両を停めて、荷物を入れる時には運転席側ドア(私の車側)を開けっ放しにする癖があった(うちの防犯カメラでこの事象を何度も目撃した)。
 
・Y氏による傷は、Y氏の車の運転席側ドアを開けていたところに風が吹いて来て、その右側に駐車していた当方の車の助手席に接触して付いたものであること。

・妻が「うちの車のドアに小さな傷がつけられてしまって」とY氏に立ち話で話す機会があった。その時のY氏の反応は「へぇーっ、そんなん気にするんやぁ」だった。

ここから推論できる事柄は敢えて書きません。一つだけ言いますと、法廷でのY氏の様子を見たあと、私がこの話を妻に切り出したところ、二人の見立てはピッタリ一致しました。

もし、この推論が事実としたら、これまでお読みいただいたストーリーの色彩が変わるというもの。でも、それはあくまでも推論であり、私の空想・妄想と言われても仕方のないものです。物証なき主張は世の中では認められないのです。裁判では、なおさらであることを私と妻は学びました。この真相は永遠に闇の中・・・としておきましょう。

長くなりました。今度こそ失礼致します。

皆さんの身の周りに、もし同じようなことが起きたら、お役立てください。

お付き合いありがとうございました。
さようなら。

                             了


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