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自転車は空を飛ばない 一般市民の民事裁判初体験記

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小さな事故が事件になって、そして訴訟になるまでとなってから。
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#トラブル

出るとこ出ますよ(10) 第4回期日 法廷決戦・当事者尋問(3)暴かれる被告の本性 一般市民の民事裁判初体験記【31】自転車は空を飛ばない

ここまでのお話 原告の私と被告のY氏が直接、法廷で対峙する最終決戦。まずは先攻の私が代理人弁護士による尋問を終え、被告のY氏のそれも終えました。尋問は相手の代理人弁護士から受けるスタイルに変わります。 今回記すのは、原告代理人から被告への尋問です。この中で、Y氏の本性が明らかになります。 前回のつづき・・・ 当事者尋問での勝負所は、自らの主張を裁判官に分かってもらえるようにすることである。トークだけでダメで、明確な証拠を揃える必要がある。自分が自分のものをするだけでなく

小さな事故が事件になるまで(6)一般市民の民事裁判初体験記【7】自転車は空を飛ばない

2017年10月26日(木)21時30分頃  修理費用の負担額の説明を妻より聞いたY氏はどうだったか? 「ごめんね。ホントにそれでいいの?ごめんなさいね。修理に出している間、車がなくてご不便でしょう。本当に、ご迷惑おかけして、すいません。すぐにお支払いさせてもらいますので」  こう言ってくれていたら、一件落着であったであろう。妻もそうなるはずだろうで説明に行っていた。念のため、事故発生時に一報を受けた娘も同行していたが、彼女もこのような展開を予想していたはずだ。  

小さな事故が事件に変わるまで(5) 一般市民の民事裁判初体験記【6】自転車は空を飛ばない

2017年10月26日(木)21時頃  妻と娘がY氏のもとに修理代の見積書を持参して説明に出向いた。21時頃にしたのは訳があった。この頃のY氏は夕方、車で出掛けていることが多かったので、妻は21時頃なら落ち着いて話ができるだろうとタイミングを計って、そうしたのであった。 今にして思うと、なんでこんなに被害者が加害者に気を遣わないといけなかったのだろうかとも思う。話を元に戻す。   妻は、まず、話の冒頭に、例の自転車接触の件は当たった事実はないと当家の認識を伝えた。ただし、

小さな事故が事件に変わるまで(4) 一般市民の民事裁判初体験記【5】自転車は空を飛ばない

2017年年10月25日(水)18時頃 帰宅した妻が庭で、Y氏より話しかけられる。 「修理の方、どうしましょうか」とでも言ってくるのかと思いきや、まったく想定外のことをこの御仁は語って来たのであった。 Y氏「あんなぁ、また台風くるやん。この前(お宅の)自転車飛んできて、(うちの車の)バンパーやったから良かったけど、気ぃつけてな」 言われた妻は驚いたが、「(うちの自転車が)当たったの?」と、すぐに問いかけた。それに対して、  Y氏「すごい音して、(外を)覗いたら、自転車倒

小さな事故が事件に変わるまで(3)一般市民の民事訴訟初体験記【4】自転車は空を飛ばない

 見積書も入手して、あとはお隣のY氏に説明してお願いをすればいいところまで来ていたのではあるが、ここに来て、妻は悩みに悩んでいた。主婦感覚で、10万円を超える負担はたいへんだろうとY氏のことを配慮していたのである。  ちなみにこの当時の私は仕事の繁忙期で、出張、出張の毎日。この件の対応は全部、妻に任せていた。  妻「やっぱり、10万超えるとたいへんやと思うねん」  私「そんなん全部もらったらええんちゃうの。こっちは代車も頼まないのになぁ」 当時、このような会話をしていた

小さな事故が事件に変わるまで(2)一般市民の民事訴訟初体験記【3】自転車は空を飛ばない

 私たち夫婦がしてしまった大きなミスとは何か。 冷静に考えれば事故は事故である。このあと、保険を使うとしたら必要になるもの。そう「事故証明」。これを忘れていた。警察を呼んで、保険会社にも連絡をしておくべきであった。当方過失ゼロ。賠償はすべて相手方がしてくれるという感覚を持ってしまって、この時には、私も妻も娘も誰もその必要性にまで頭が回らなかったのである。  写真は後の訴訟において、原告の私が提出した準備書面の一部である。あまり知られていないが、裁判の公開の原則は憲法に記され

小さな事故が事件に変わるまで(1)一般市民の民事裁判初体験記【2】自転車は空を飛ばない

2017年10月4日(水) 隣のY氏より、在宅していたうちの娘に一報があった。ピンポン鳴ってドアを開けた娘に向かってY氏はこう言った。 「(自分の車の)ドアを風にあおられて、(お宅の車の)ドアに当ててしもうた。ごめんな。修理代は払うから言うてな」 娘はそのあと、仕事に出かけないといけなかったので、妻の耳に入ったのはその日の昼頃。私が知ったのはその日の夜であった。妻も私もその夜に車両の状態については、確認することはなかった。翌朝、車を見てみると、確かにハッキリ分かる傷があっ

幕を開ける前に 一般市民の民事裁判初体験記【1】自転車は空を飛ばない

 人間の怒りというのはどれ位経てば収まるものなのだろうか。もちろん、「怒り」といっても様々なレベルがある。ここで、取り上げているのは日常生活の中で感じる大きなものといったものだ。大災害に遭っただとか、凶悪犯罪に遭ってというような程のものではない。  私がこれから書こうとしているのは、ちょっとした事故に遭ったという話である。具体的に話すと、自宅の駐車場に止めていた車をぶつけられて、ドアに傷が付いた。ぶつけたのは、隣人である。誰が見ても明らかな、過失割合は、当方ゼロ。相手方10