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サイード「晩年のスタイル」に刺激され   【転石庵茫々録】

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サイードは、1935年に、イギリス委任統治領パレスチナに生まれ、プリンストン大学を卒業後、92年にコロンビア大学で教授になり、2003年9月にニューヨークで亡くなりました。

私が、サイードの名を知ったのは、“オリエンタリズム”と言われる現象が、欧米中心視点で“発見”され、“称揚”されていった事象であり、オリエント(中近東、アジア)現地からの視点が欠落していた、むしろ欧米の植民地主義、帝国主義に都合よく使われていたという歴史を大量のデータと精緻な分析で記した『オリエンタリズム』という著作からでした。

サイード自身は、略歴にあるように、植民地で生まれ、欧米の高等教育を受け、欧米的な素養を身につけ、リベラルなアカデミシャンとして、現在のアメリカなどの帝国主義を批判し、パレスチナ問題に心を砕いたひとでした。

本書は、彼の没後に、コロンビア大学での最終講義であった「晩年のスタイル」を編集したものです。生前から出版予定でしたが、残念ながら、彼の死には間に合わず、著者校正はありませんでした。

この著作で、サイードは、人としての自己形成の時期を三つの大きな問題圏によって分類しています。

第一の大きな問題圏は、始まりBeginningをめぐる概念の総体で、「過去を回顧し、そこに始まりの瞬間を位置づけることは、その段階に、何らかの計画の基礎を置くことにな」るとあります。

第二の大きな問題圏がこだわるのは、「誕生後に生ずること、始まりから脱皮すること、すなわち継承ー誕生から思春期へ、子孫を残せる世代へ、成熟へと移行する時間」です。

サイードは、この二つの問題圏を通して、「人生の本質的健全さというのは、その時機と対応していることと大いに関係がある。」と想定します。

そして、「始まり」「継承」に次いで、いよいよ最後の大きな問題圏―「晩年」の登場となります。

「晩年」という問題圏は、人生の最期もしくは晩期、身体の衰弱、体調不良の始まりであり、あるいは若者においてすら早死にの可能性をもたらす要因が登場する問題圏、です。

サイードは、偉大な芸術家たちをとりあげ、人生の最期の一時期に、彼らの仕事と思索が、いかにして新しい表現形式を獲得したのか、を本書のテーマとし、かれらの晩年にもたらされた新しい作風を「晩年のスタイル」と呼びます。

「晩年のスタイル」ということばは、アドルノが作成した用語であり、「晩年のベートーヴェン」と題された37年執筆のエッセイ断章で初めて披露されました。その後この断章は、64年に『楽興の時』というエッセイ集に収められ、さらにアドルノの死後、ベートヴェンに関する本がまとめられた『音楽論』93年に所収され、これまでに長い年月を経過してきた用語です。

アドルノのこのエッセイでは、ベートーヴェンの第三期に属する作品群(第九交響曲、荘厳ミサ曲など)がとりあげられ、「この段階において、音楽という媒体を自家薬籠中のものにしていた芸術家は、にもかかわらず、みずからが組み入れられた既存の社会秩序体制とコミュニケーションを断ち、体制とのあいだに矛盾に満ちた疎外関係をこしらえた。」と、述べられています。

晩年のベートーヴェンの異常さー身辺に侵入してくる歴史的現実や迫りくる死への意識には還元できない創作意欲―に、注目し、「晩年のスタイル」を「芸術が現実を優先せず、みずから辞するのことのないとき、生ずるのである。」とサイードは定義します。

ここで、晩年のスタイルは、先の三つの問題圏のうちの先の二つ(時機に適うことが人生の本質健全さ)とは、まったく異質なことが明らかになります。晩年という時機に適うことない、創作への独自の問題圏です。

さらに、サイードは、アドルノの読解を通じて、「晩年のスタイルOn Late Style」にある、lateの概念性に戻り、もうひとつの概念をもちだしてゆきます。

LATEには、晩年性とともに、遅れてきたという遅延性の概念があります。
即ち、遅延性=晩年性(lateness)です。
こうして、「晩年のスタイル」は、「遅れてきたスタイル」でもあるという、両義的に捉えられてゆきます。

この両義性への言及により、「晩年のスタイル」という概念は、妙な躍動感を獲得しはじめます。

アドルノにとって、「遅延性」とは、「容認されたものや正常なものを超えて生き延びるという考え方」であり、乗り越えることも解放されることもない、いかなる超越も統一もない概念です。そっけなく、単語を並べれば、非和解性や否定性や非運動性ということです。

ところで、晩年のベートヴェンに関するアドルノのこのような高い評価はどこから生まれるのでしょう。

「遅延性=晩年性は、みずからがみずからに課した追放状態、それも一般に容認されているものからの、自己追放であり、そのあとにつづき、それを超えて生き延びるものなのだ。」

この説明として、晩年のベートーヴェンの作品が逆説的に現代音楽の新しさの核心に二点で位置していることをアドルノは指摘します。
和解できないものは和解できないままにし、そうすることで「音楽は、意味あるものから、曖昧模糊としたものへと、ますます変容を遂げ、最終的に、音楽そのものになる。」ことが一点。もう一点は、「晩年のベートーヴェンは、たんに奇矯な無関連な現象であるどころか、容赦なく異化され曖昧にされることで、現代的芸術様式のプロトタイプになりおおせたこということ。」です。

アドルノによるベートヴェンについての精緻な読みと分析が続きますが、引用は省きます。

サイードのアドルノ解釈では、晩年のアドルノこそが、晩年のベートーヴェンを通じて晩年性そのものを体現する人物であることがあらわになってゆきます。晩年を逢えた現在に対する、時機を失した、スキャンダラスな、破局的ですらある人物として。

晩年のベートーヴェンを論じる晩年のアドルノを通じて「晩年のスタイル」を掬い上げたサイードは、本書で、リヒャルト・シュトラウス、ジャン・ジュネ、グレン・グールド、ルキノ・ビスコンティをとりあげ、かれらの晩年のスタイルをひとつひとつ魅力的に掘り出してゆきます。

ここに取り上げられた創作者たちは、欧米の文化的素養では欠かせない人物であり、正直、私の文化的な素養ではついてゆけない人物がいます。少年期から好き嫌いにかかわらず接してしまうのが素養と思いますが、私の少年期にシュトラウスはいないわけです。

アメリカのポップミュージックを否定し腐ったアドルノについても、音楽観については、ちょっと待てよといいたくなりますが、ベートーヴェンについては、アドルノほど聞きこんでいないので、そうかと素直に傾聴するしだいです。

晩年性=遅延性という視点は、すでに前期高齢者としての自分を迎える私には、他人ごとではなく、何を行おうと死がアイロニーとして浮かび上がる晩年に、晩年の時機性についてこだわることなく、時機性に対して、非和解的に、否定的に、非運動的に生きてゆく勇気をもらえるのでした。

それでは、その勇気をもって、何を行うのか?

それこそ、自分の中にある遅延性を帯びたこと、すでに時代遅れで、今さらおこなっても、おそらくは収拾がつかない状態で終わるしかないようなことだろうといくつかのことを思い浮かべるしだいです。

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