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グループホームに難破した話。 【介護現場から考え始めたこと③】

折島学は、介護職として、グループホームに入職し、2日で難破した。あたらしい仕事を始め、たった2日で難破したというのは、何とも情けなくみっともない話だ。呆れる。

折島学は、69歳の男性で、前期高齢者になって4年、3年前に介護福祉士の資格を取得している。介護付き有料老人ホームに常勤として、7年間勤務していたが、最近辞めた。一応、契約満了で円満退社になっているが、同じところに7年通い、もうこのくらいでいいだろうという、気怠い雰囲気が折島と勤務先のあいだに醸し出されてきたというのが本音に近いだろう。

そもそも、折島が、介護福祉士を目指すことにしたのは、父が急逝し半年が過ぎた61歳のときだった。5年ばかり契約社員の身分でかかわってきたゼネコンでのプロジェクトが安定してきて、ちょうど一区切りついたところだったので、都合よく無理なく退社でき、すぐに職業訓練校の介護サービス科に半年通い、62歳になる手前で、介護付き有料老人ホームで介護職として働き出した。

そこの老人ホームでは、介護の基礎を教える訓練校を修了したとはいえ、まったくずぶの素人の折島だったが、半年も経たないうちに、日勤、早番、遅番、夜勤をこなすようになり、一応、一人前の総合戦力として扱われるようになった。
折島自身は、運良く、良い指導者や先輩たち、同僚たちに恵まれた結果だと思った。

介護職としての現場経験3年で介護福祉士試験の受験資格を得て、受験し、無事に合格した。その後も同じ施設に勤務しつづけたが、折島の自宅の隣地の森林を造成する大規模な宅地開発計画が明らかになり、自宅の引越を計画し、急遽、施設を辞職した。昨年の夏のことだった。

ところが、折島老夫婦の体力は夏の気候で予想以上に疲弊し、引越し作業が遅れ、また、いろんな事情で引越し先の再検討の必要もでてきて、引越を遅延せざるを得なくなった。

そういうわけで昨年秋に、時間の余裕ができたので、介護職のパートをすることにしたところ、人手不足だった前の職場から声がかかり、2~3カ月の短期でパートとして週に4日ほど日勤で働く契約をし、同じ職場に復帰した。


ところが、今年になってから、妻の体調が悪くなり、長期入院となり、パートの短期契約を今年の9月まで半年延ばしてもらった。
その契約満了を迎えたのが、この9月末だったということで、いろいろあったが、再契約はなく、昨年に2か月ほどのブランクがあったとはいえ、7年間働いてきた職場を去ることとなった。

体調が戻りつつある妻と引越の準備を少しづつ行ってはいるものの、引越予定地がかなり遠距離になることもあり、準備に手間取り、すぐに引越すのは難しくなり、引越を急ぐことはやめ、しばらくの間は、週3日ほどの介護の仕事をいれながらのんびりと準備することにし、再び、求職活動を始めた。

したがって、引越し準備前提で求職する上での今回の条件は以下の通りにした。
・自宅から30分以内の通勤圏内(自転車で20分くらいがベスト)
・週に3日就労。(引越準備があるため)
・日勤のみ。(加齢により夜勤は不可)
・3日連続の就労は、負担が大きいので避ける。(緊急時にはそのつど対応する。)

最初に連絡があった人材派遣会社から紹介された介護付き有料老人ホームは、自宅に近く、面接した代表者は、介護の現場を経験してきたベテランで、接する姿勢の印象も良かったので、面接後には入職する気持ちになっていたが、職務内容は、入浴介助専従であり、しかも、大企業の独身寮を改築したその施設の入浴場は、共同大浴場ひとつなので、予想される職務のハードさが、前期高齢者の自分に務まるかだんだんと心配になり、いろんな職場体験のある介護仲間にも相談し、結果、断ることにした。

もうひとつ気になったのは、この人材派遣会社とのやり取りだった。

面接に同行した若い営業員は、面接する上での注意点などを事前に親切に教えてくれ、連絡も滞りなく行ってくれていた。
ところが、始めは面接の候補は他にもありますが、まず一つ行きましょうと行った後に、折島が迷いだすと、こちらの事情を聴きながらも、いつの間にか、折島が行ける候補はここ1社になり、すぐさま、YESかNOかをはっきりさせねばならず、NOということはもう仕事はどこに行っても見つからないとまで言い出した。多くの可能性を示唆して、呼び込んでおいて、いつの間にか二者択一にするその営業方法は、折島の癇に障った。折島は静かに撤退した。

ほどなく、別の派遣会社から連絡があり、紹介されたグループホーム(以降、GH)への面接に赴いた。

GHの代表者は、現場上がりのやや大柄な初老の男性で、物静かな感じで、介護付き有料老人ホームなどのいろいろな施設での経験があるとのことだった。人手不足で困っていることをこちらの様子をみながら、感情を込め過ぎずソフトに語ってくる姿勢は、無理難題を一方的に押し付けてくるタイプではないことを伺わせ、折島はほっとした。

GHは、2フロアで1フロア9人の入居者がいる標準的なものだったが、介護職は10人と聞き、折島は少しびっくりした。

折島は、介護の勉強を始める前に、目黒区にあるGHで介護職の一日体験をしたことがあり、GHについては、いくつかのイメージと少しの知識があった。

その時に得た折島の知識では、GHは、入居者9人に対して、介護職7人が必要で、2フロアで入居者18人ならば介護職は14人は必要なはずだった。4人不足だ。

そのまま介護職の不足人数についての疑問について質問すると、現在緊急で人員の補充を行っており、人員不足の場合は、代表者自身も介護職のシフトに入ることがあるとのことだった。

確かに、折島の面接中にも次の面接者が現れ、ひっ迫している様子は伺われた。

折島は、前職退職後にあった手続きなどで、すぐには入職できず、およそ1か月後に入職可能だったので、それまでには、この現場上がりの代表者が自ら乗り出している熱心な人員募集があれば、ある程度は、補充されているだろうとこの時点では楽観視した。

前職では、介護や福祉についての未経験な、銀行員あがりの施設長に、さんざん振り回される介護の現場を見てきたので、現場上がりの代表者が現場の先頭に入ってまで動いていることにとても好感がもてた。
施設の見学を申し出るとコロナ感染を心配し、見学を断る施設が多い中では、珍しく、2フロアの見学を許された。これも折島には、自分が少しは期待されているようで好印象だった。

高齢者たちが思い思いの過ごし方をしている広いリビングに入室すると、湿度の高い甘酸っぱい匂いの見えない霧が立ち込めており、たちまち折島はその霧に包まれた。霧の内側には、高齢者施設特有の穏やかな時間の流れと突発的に起きる喧騒があり、折島は、退職以来離れていた高齢者施設特有の空気に触れ、懐かしい感情があふれてきた。

2階建ての瀟洒な施設自体は、GH専用に設計されており、入居者の生活の中心になる共同空間である日当たりの良い広いリビングリルームの南側のほとんどは日の光を多く誘いこめるようにガラス戸が並び、北側には、入居者の個室が並んでいた。キッチンは、リビングの横西側にあり、オープンキッチンで入居者たちの様子を料理しながら見ることができるようになっていた。フロアの各コーナーにある3つあるトイレも広く、入居者が入浴中だったのでバスルームは見学できなかったが、見学した限りでは、どの空間も介護をしやすく設計されていた。

紹介された介護リーダーの女性は、やや小柄ながら、人当たりの良さと落ち着きのある笑顔があり、ヴェテランらしい雰囲気を自然に感じさせ、ひっ迫した様子もなかったので、折島を安心させた。介護リーダーの横には、介護職がひとりおり、別にもうひとりが入浴介助を行っている最中だった。

昼間の時間に、介護職が3人いれば、GHならば充分に介護見守りができるだろうと折島には思えるのだった。GHの昼間の介護職配置の基準は、入居者3人に対して、介護職1人であることを折島が思い出していたからだ。

面接後に、派遣会社から入職の意志の確認があり、入職時期は少し先になるが、それでも良ければ希望する旨を伝えた。派遣会社を通じてのGH側の返答も入職時期は少し先でも良いということだった。

それから、1か月ほどが過ぎ、その間は、派遣会社との契約の書類手続きを行った。

折島が、派遣会社を通しての仕事を選択したのは、派遣会社との契約の更新が2か月ごとと聞いたことが大きかった。引越を控える身としては、2か月ごとの更新は、ちょうど良い区切りだったのだ。

派遣会社のことはよく知らなかったが、従業員が100人以下だと週の就業時間が30時間以上でないと社会保険に入れないそうで、今回の派遣会社は、従業員は100人以下で、折島の場合は週3日就業では、社会保険に入れないとのことだった。引越しを控えて、常勤並みには働けない折島にとっては、社会保険の加入はどちらでもよかった。
あっという間に1か月が過ぎ、予定していた入職日となった。

初日はOJTで、午前8時の早番で10分前に出社という連絡が派遣会社から直前にあったが、その後の勤務シフトについてはふれてなかった。折島は、シフトの件は気にはなったが、急ぐこともあるまいと勤務してから聞いてみることにした。ある意味、それだけ安心していた。

当日の朝は、早めに自宅を出て、秋の気配がやっと漂ってきた木々の下を小さな川にそって早朝の少しひんやりとした風を顔に受けながら自転車を走らせ、20分ほどでGHに到着した。

10分前に出社という指示があったので、施設内では早朝の忙しい時間帯であることは想像できたので、玄関前で15分ほど待機し、午前8時の10分前に玄関ブザーを鳴らすと、奥から人の気配があり、扉が開けられ、瞬間折島をじっと見つめ、すぐににこやかな笑顔となった中年の女性職員が迎えてくれた・・・ここで思わぬことが起こった。

疲れた表情に満面の笑顔の中年の女性は、数年間同じ施設の職場で働いたことのある旧知の知り合いだった。折島にとって懐かしい元同僚との予想外の再会となった。

彼女は前夜からの夜勤者であることをことわり、入館の方法、2階にあるロッカー室に用意してあるユニフォームに着替えて、1階のフロアに入ることを昔ながらの少しユーモラスなくだけたやり取りを行ないながら折島に伝えた。

折島は、彼女が前職の施設に入職したときも辞めざるを得なくなった事情も経緯もすべて知っていたので、彼女が介護を続けていることと夜勤までやっていることに、実は静かな衝撃を受けていた。
この瞬間に、突然再会した彼女から、折島がとりあえず受けたイメージは、このGHはよほどの人手不足であるか、彼女の介護職としての技量が急向上したか、だった。

急いで2階に上がり、ユニフォームに着替え、メモ帳を片手に1階のフロアへと向かった。
ユニフォームは、Lだったが折島には少し小さめできつきつに着こんだ。本来ならば、腰を痛めないように必ず着装する腰ベルトは装着できなかった。確か、ユニフォームの選択には、XLはなかったなと折島はつぶやいていた。

1階フロアのリビングには、大きなテーブルが二つあり、そこでまだ朝食を食べている入居者もいれば、入ってすぐ左にある洗面台で口腔ケアを受けている入居者もおり、面接のときにあいさつしたリーダーが、入居者の間を飛び回って奮闘していた。

リーダーに近づき、挨拶をし、OJT担当であることを確認し、翌日からのシフトを聞くと、1階フロアのOJTを3日間連続で行うとのことだった。3日連続の勤務は避けて欲しいという折島の希望はいきなり却下されていたが、OJT3日間と連続するというのは、前職でOJTをする側を多数経験してきた折島には納得のゆく設定だった。

OJT後のシフトも気になったが、フロアでは、朝食とその後の口腔ケアの真っ最中で、しかも、まだ就寝中の女性がひとりおり、彼女を起こしてトイレ誘導や着替え、洗顔などの起床ケアをしたうえで、朝食のテーブルに案内するという作業があり、リーダーと夜勤のふたりでてんてこ舞いだった。

あらためてみると、入居者は、リビングにいる8人と就寝中の1院で9人、そのうち、男性はひとり。車イスは男性1と女性3だったが、女性一人の体調が悪く車イスになった。

折島は、リーダーの各入居者への介助の手伝いをしながら、入居者ひとりひとりについての情報をリーダーから得ては急いでメモしていった。

ここの入居者の皆さんは、かなり要介護度が高そうだった。

「グループホーム(認知症対応型共同生活介護)」は、「軽度から重度の認知症高齢者(5人以上9人以下)が、介護スタッフとともに共同生活する形態のこと」である。「スタッフは入所者の持てる能力を最大限活用するため家事などは最小限の手助けのみで、利用者がそれぞれ自分の役割を持って生活しているのが、この施設の特徴である。」
<『実用介護事典』講談社より引用>


食事や排泄、入浴は自立で行い、食器の片づけを自分から手伝ってくれる入居者は、ひとりで、受け答えの会話ができる入居者は、3~4人ほどで、残りの入居者たちは話は聞いてる様子だが、受け答えの会話は難しいようだった。
とても、グループホームの特徴である共同作業などは出来そうにもなかった。

グループホーム入居者の平均要介護度は、2.68度<H29.福祉医療機構>らしいが、このGHは、3度は越えているようで、リーダーに聞いてみると3.3度前後ぐらいではないかとのことだった。

ざっと見る限りは、9人のうち6人は、付き添ってトイレ誘導し見守り、2人は車椅子からベッドに移乗しての排泄介助が必要で、この8人は、口腔ケアも介助が必要だった。昼間は、フロアのふたつのテーブルを囲むように座ったままで、それぞれの介護介助の大小はあれども、折島が見るところ、この8人は介護付き有料老人ホームに入所していても不思議ではない印象だった。

折島が以前に一日体験した目黒の緑山にあるGHでは、女性8名男性1名。車イスは男女1名づつで、一方的な会話になりがちかつ転倒の恐れがあるのは、男性1名のみで、他の入居者は、認知症とはいえ、活発に活動しており、今まで体験したことやテレビで話題になっていることなどを話題にして、かなり会話できた。したがって、ひとつのテーブルを囲んでの食事やおやつでは会話が弾んだりしており、食事準備や後片付けの手伝い、洗濯物を干したりなどをすすんでやられる方が多く、レクの時間は、全員で、外に散歩に出かけたりしていた。

折島は、だんだんと今回のGHの入居者たちと以前に体験したGHの入居者たちとのあまりの違いに唖然としてきた。時間が進むにつれ、この印象はますます強くなった。

7年前とは介護界の状況が変わり、GHに入居する認知症の要介護度が高くなってしまっているのかとも思え、折島は、GHと有料老人ホームのハードルがどんどん低くなっている現場を見る思いだった。

このGHの介護職の勤務時間帯は次のようになっていた。
・早番 8:00~17:00(休憩1時間)
・遅番 10:30~19:30(休憩1時間)
・夜勤 16:00~翌日10:30(休憩2時間)

いわゆる日勤といわれる午前9時から午後6時までの介護職が設定されていないのが目に障った。

入浴介助は、週に4日(入居者は週2回)あるが、折島がOJTを受ける3日間は休止になっていた。

折島は、各フロアの早番、遅番のOJTを受けて各フロア担当の介護職として、1人前の戦力になるらしい。

リーダーの横でOJTをあわただしく受けているうちに、10:30になり、夜勤の女性が帰宅し、遅番が来る時間になった。

夜勤の女性は、事務記録に追われ、結局11:00近くまでいた。

遅番は、少し早くやってきた。

遅番には、社員かパートが来ると折島は思っていたが、1日だけ派遣される介護職が3人やってきた。社員あるいはパートは来なかったのだ。
すぐに、リーダーが手際よく1名を2階フロアに送り、2名を1階フロアに配置した。

1階の2名は、ひとりは居室のシーツ交換、掃除機掛け、モップなどの居室の清掃整理、もうひとりはフロアの入居者を介助する担当になった。

1日だけ派遣される介護職(「助っ人」とか呼ばれることもある)を依頼することは、介護の現場で人手不足が深刻化すればするほど多くなる。人手が不足していて、猫の手も借りたいというときに急な依頼で来てくれるのはたいへん助かるし、前の職場では、折島も助けられて感謝することがたびたびあった。

1日派遣を依頼するときには、一応、派遣される介護職に介護職経験者とか条件を付けるが、実際には、どんな介護が来るのか、来てみないとわからない面もあった。看護師免許をもつヴェテランも来れば、排泄介助を未経験という、ほぼ戦力にならない無資格の素人まで来ることがあった。
入居者情報に基づく介護作業を教える手間、教えても1日限りで来ないという非効率があり、また、依頼するほうに依頼する仕事の整理がついていないと混乱を広げてしまうこともあり、1日だけの介護派遣は、時には冒険の面もあるというのが、折島の1日派遣に対するひとつの感想だった。

その日は、1日派遣を使い慣れている様子のリーダーの指示が、ヴェテラン介護職らしい2人に良く入り、作業が滞ったり混乱することはなかった。
リーダーと折島は、夜勤明けの介護職の助けを借りながら、10時半までに全員の口腔ケアと朝食後の排泄を終えていたので、遅番が来るあたりから、昼の食事の準備にかかった。
食事の準備は、マニュアル化しており、その通りにこなしてゆくのだが、入居者一人一人への注意事項は個別に細かくあり、台所にほとんど立つことがなく、他人のために料理をしたことがない折島にはかなりの注意と集中力が必要だった。

昼食の準備は、ご飯とおかゆをそれぞれの電気釜でマニュアルに従って作った。コメと水の定量に注意し、電源を入れれば準備終了となる。主食と副食は、朝昼夕食ごとにパックされたレトルト食品で、冷蔵庫から取り出し、冷凍パックに付属のマニュアル通りに食材ごとに湯せんと解凍をする。

入居者への配膳は、ひとりひとり専用のお盆にのせて行うので、棚からお茶わんや食器を取り出し、準備する。昼食は、味噌汁付きになるので、味噌汁は、パック製品ではなく、介護職が作ることとなる。自分の食事ならば、だいたいの長年のカンでだしをとり、実を入れ、最後にこれもカンでみそを溶かすのだが、9人分の味噌汁つくりは、はるか昔のキャンプの時以来かもしれず、折島は、リーダーに聞きながら慎重に行った。

折島は、施設での介護職だったので、お盆に載った食事を配膳し、食事介助することは行ってきたが、食事を作るのは初めてで、マニュアルのあるレトルト食品とは言いながら、かなり緊張を伴う作業だった。リーダーが言う通り、慣れてしまえば、普通にこなせるのかもしれないが、今の折島には、ひたすら未踏の域だった。

料理の作業が見えてきたところで、入居者ひとりひとりの食事のレシピの確認をせねばならない。入居者ひとりひとりのレシピがあるということは、主食、副食(主菜、副菜)、それぞれの量と質(きざみを入れる)が違うということになる。

このGHでは、常食で同じレシピは2名だけで、他の入居者は、それぞれのバラエティがあり、主食の種類や量の違い、副食での主菜や副菜のきざみ、ごくきざみのレベルがひとりひとり異なり、入居者ひとりひとりの食事の違いを間違えずにきちんと把握してなければならず、折島はリーダーから聞き取りながら、メモを取るのに必死だった。リーダーからは、入社や早番の仕事に就いてのメモを貰っていたが、読む時間はなかった。

副菜を盛るときには、一人分を定量、例えば130gを計量器で量り、ひとりづつ振り分け配るという細かく手間がかかる仕事もあった。
この副食をいれる皿や小鉢などの食器類は、介護職が毎食選択する。お茶碗とかお椀は、共通と思って安心しているとリーダーから、家族の差し入れの茶碗類もあるので気を付けてくださいとの注意を受けたりする。もちろん、食器類に入居者の名前はない。

副食のおかず類をその人にあったきざみからごくきざみを数種類つくるためにひとりひとり用にきざむのは、介護職の仕事で、折島は、慣れない手つきで食事用のはさみをちょっきんちょっきんするのだった。

やがて、慣れてしまう仕事でも、入居者の顔と名前すら覚束ない折島には、各入居者のレシピを間違えないように集中するので精いっぱいだった。

ところが、この作業中に、高齢者施設でよくある高齢者特有の行動がフロアで待機している入居者たちに始まりだしていた。

・徘徊して、他人の部屋に入ろうとする。
・短時間にトイレに行きたがり、介護職の付き添い介助を求める。
・周りに暴言を吐き、周りを不穏にするので、介護職が語りかけて気持ちを落ちいてもらう。
・眠っているのか気を失っているのかわからない入所者には、声かけを定期的にした方が良い。
・車イスや椅子から急に立ち上がって転倒しそうになる入居者がある。

これらの行動は危険をともなうこともあり、遠くから声かけしてすむことはほとんどなく傍に駆けつけねばならなかった。

昼食の準備をしながら、折島は次々とやってくるフロアからの難題の気配に対処しようもなかったが、この日は、フロアに配置された1日派遣介護が結構ベテランだったので、フロアを駆けずり回りながら、初対面の入居者相手に上手にこなしていた。介護職がひとりフロアに待機し入居者たちを見守っているだけでも入居者たちは不穏にはならず、事故のリスクは回避されるという当たり前の原則ではあるなと折島は、キッチンに立ちながら頭の片隅でかろうじて考えていた。

そのうちに、一緒に料理の準備をしていたリーダーが折島に向かって恐ろしいことを言い出した。

「昼間の時間は、介護職は通常二人ですが、入浴があれば、一人取られてしまい、フロアの介護は1名になります。」

「それは、この状態で1名で食事の準備もフロアの見守りもやるってことですか?それは、できないのではないでしょうか。」

「昼間の介護は、皆やってますよ。やってください。」


「できる方もいれば、私のようにこの状態で介護二人分の仕事までは出来ない人間もいるってことで、誰でもできるわけじゃないんじゃないでしょうかね。」

「やるしかないんです。」リーダーは、あきらめるように決意するように言った。

これは、初日の昼前のことだった。


これ以降は、リーダーから折島に、介護のもうひとりは、入浴専念になるので、このフロアの介護職は1名になりますよと、ことごとく言われることとなった。

トイレ誘導していても、
「介護職はフロア1名ですから、付きっきりでトイレの中に入らずにフロアの様子が確認できる位置にいてください。」
「便座に座っている入居者が急に立ち上がり転倒する危険があるときは傍に張り付いていないと危なくないですか。」
「それでは、フロアが見守りなしで危険になります。」

折島とリーダーの会話は堂々巡りになりがちだった。

折島にしてみれば、リーダーの言うことも理解できたが、優先順位をどちらにするかという二者択一になりがちな会話には介護とは違う疲れがともなった。その場、その時で、優先順位は変わるだけの話なのだが。

折島は、7年以上介護やってきたので、人手不足の修羅場の経験がなかったわけではなかった。介護2名看護師1名の夜勤で相棒が入居者の真夜中の緊急搬送の付き添いで救急車に同乗しいなくなり、看護師と二人で、朝の排泄介助、起床介助から朝食までの準備を68名分やったり、やはりコロナで介護職員も大きく不足し、感染監視下で全身に感染防止した装備を覆い、ほんの少人数で1日過ごすなんていう修羅場はやってきたので、ひとりの入居者さんに集中して他の入居者さんがリスクを負う状況は体験的にわかっているつもりだった。しかも、そのために、センサーなどを有効に使うなどのいろんな対策も経験してきていた。

しかし、このGHでは、センサーは夜間しか使用していなかった。昼間の時間帯は、全部、介護職の目と耳と直感(アンテナ)で入居者の状態を判断してゆくことが多そうだった。

折島には、早番と遅番しかいずに、普通の日勤がいないことの違和感の正体が徐々に見えててきた。

このGHの介護の配置は
・早番 8:00~17:00(休憩1時間)
・遅番 10:30~19:00(休憩1時間)
・夜勤 16:00~翌日10:30(休憩2時間)

折島が経験してきた施設介護の配置は、
・早番 7:00~16:00(休憩1時間)
・日勤 9:00~18:00(休憩1時間)
・遅番 10:30~19:30(休憩1時間)
・夜勤 16:00~翌日10:30(休憩2時間)

このGHでは、日勤が1名入れば、入浴担当者が入浴に専従しても、フロアに二人残り、ひとりはフロア見守り、ひとりは食事の準備を主にして二人で協力し合えるはずだった。
折島が面接で見学したときには、昼間に介護3人いる配置だった。

日勤1名を想定した介護配置は、折島が考えただけのことであり、このGHを継続してゆくための実状には沿わないのかもしれないと考え直しもしてみた。

何らかの事情で日勤の介護職1名欠員になった「非常事態」のなかで、介護職二人分をひとりで対処することは日常で充分に起こりうることではある。しかし、1名欠員の人員不足が常態化し、「欠員のある非常事態が常態化している状況」になっていることを受け入れて、介護2名分の仕事をひとりでこなしてくれと言われても、新入りの折島に入居者さんへの安全の担保を背負えるわけがなかった。

食事の準備をするキッチンは、フロアに開かれており、顔をあげれば、フロア全体が見渡せたので、ひょっとして慣れてきたら、気配や音でフロアでの不穏に気づいたときにすぐにフロアを見て、手を打てるようになるかもしれないとは、折島は思った。そう思いながらも、その前提に必要な、入居者たちとの親密で信頼感のあるコミュニケーション形成にどのくらいの時間を要するかについてはすぐには予測できなかった。

昼食が始まり、食事介助についたが、自分で食べられない入居者はふたり、あとの方は、途中で手が止まったり寝込んでしまったり、かき込み過ぎて喉を詰まらせる恐れがあったりと、テーブルを回りながら、見守りができるようだった。

その後の口腔ケアは、食事が済んだ入居者から洗面台にお連れして、そのあとに定時のトイレ誘導を順番に案内してゆけば良かったので、折島には、この流れは既知のものだった。

もちろんひとりひとりの様式作法があり、それらはメモに取り、これから折島が真摯に学んでゆくことだった。

食事の途中で、折島は、昼休憩を1時間とるように言われ、2階にあるロッカー室の横の介護職の休憩室へ向かった。休憩室には、6人掛けのテーブルが1卓あり、その周りにオーバーをかけるらしいハンガー、冷蔵庫、洗面台、電子レンジなどが置かれていた。
すでに、ふたりの職員が食事をしていた。途中で、もうひとりやってきて、4人になり、テーブル席はもう二人分空いていたが、やや体格の良い折島には少し息苦しい感じだった。3人の会話を拾って聞いていると、GHに併設した建物にデイサービスがあるらしく、そこの職員たちらしかった。後からきた女性職員が気さくな人だったので、何とかここまで聞いた感じだった。

折島が、昼休憩をさっさと済ませ、早めに1階フロアに戻ると食事を終えた入居者を順番に洗面台に誘導して、口腔ケアをおこなっているところだった。

どこの施設でもよくあるように、自分から歯を磨き口をゆすぐ入居者は少なく、やはりほとんどが付きっきりになった。
ハブラシを持たせれば後は大丈夫なひと、ハブラシでの歯の磨き方を忘れているひと、鼻っから口を開けずに頑固に拒否し続けるひとなどで、個別の対応に追われ、メモに追われた。

口腔ケアが終わるとトイレ誘導しての排泄介助となる。

折島にとって、フロア介護職1名を前提にするとやはり困るのはトイレ介助だった。
入居者の中に、車イス移動のたいへん太った女性がおり、トイレへの定時誘導介助が必要だった。午前中に介助を見学していたら、慣れているリーダーも慎重に話題を選びながら声かけをし、ある程度の時間をかけながら立ってもらい、ズボンを下ろし、便座に移動していた。リーダーからは、彼女は気難しいところがあり、ことばをかけながらならば、立ち上がるので、その要領でお願いしますと指導された。

ご自分で立っていただくのが重要です、とのことだった。

ただ、折島の目には、立位というよりは、便座横に設置してあるにあるバーを両腕で掴んで腰を浮かせたところに介護が自分の膝を彼女のお尻の下に入れて支えており、彼女自身はSの字が潰れかけたZに近い形で介護の膝の上に座っているとしか見えなかった。

その日は、定時トイレ誘導の3回目からは、リーダーが見守るので、折島が彼女を誘導するように言われた。

折島は、初めてであり、彼女との信頼関係といわれるものはまだ何もなかったので、ゆっくりとことばをかけながらすすめた。できれば、彼女との信頼関係の階でもできればというところだ。

通常の介助、折島が経験してきたトイレ誘導の介護では、車椅子で生活していても立ち上がることができ、立位が安定していれば、便座に横に設置されているバーを掴んで立ち上がってもらい、ズボンを下ろし、便座に座り用をたしてもらい、終われば下半身をウォッシャレットで清潔にして、先ほどとは逆の動作で車椅子に戻るという流れだった。

いくら自分で立ち上がり立位が取れるといっても、車椅子で生活しているので、立ち上がりなどの動作に不安はあり、介護職はすぐ横で、見守り、いつでも支えられる姿勢でいることになる。

彼女に声をかけながら立ち上がることを促してもうんともすんとも言わない。何とかわずかながら会話するところまでは行ったが、立ち上がることは一切拒否だった。折島は、試しに声かけしながら、横から、手を添えて、腰を持ち上げようとしたが、びくともしなかった。
お手上げになり、リーダーに指導を求めると、リーダーが声をかければ当たり前だが折島よりも全然反応が良く、お尻を浮かせたその瞬間を逃さずにリーダーは、彼女のズボンの後ろを掴んでグイっと持ち上げ、膝を滑り込ませた。

このままでは、ズボンを下ろすことは出来ない。

彼女の少し前に洗面台があり、リーダーはそこへ手をつくように彼女を促し、彼女は何回目かの促しの後に、バーを握っていた手を洗面台に動かした。洗面台に手をつくと少し彼女の体は前のめりになり、お尻が浮いた。その瞬間にズボンを下ろし、そのまま便座に座るように誘導した。

前のめりにしゃがみ込むように立っていたまま便座に座ったので、彼女本人を促してきちんと便座に座るようにした。

彼女の場合は、排泄の前後にこの儀式を繰り返すことになる。

便座に座るまでの、介護職1名だと早くても5分かかる時間は、フロアには介護職は誰もいないことになる。また、途中でフロアで異音がしてもすぐに駆けつけることができないことになる。

折島は、この便座に彼女が座った時点で、彼女の排泄の時間を利用して、フロアを一回チェックしに行くことを考えてみた。

ところが、便座の外側には落下防止の開閉式の柵がしっかりあったが、反対の壁側には柵がなく、ずり落ちた場合にとても危険であることに折島は気づき、便座に座っても目が離せない入居者がほかにもいそうだと折島は思った。トイレ内とフロアの両方が見える廊下の位置でしばらく待機するしかないが、転倒が起こる場合は、トイレ内にもフロア内にも間に合わない気がした。
折島の経験からいえば、このかなり太った女性のトイレへの排泄誘導はふたり介助が必要だった。
ひとりが正面から支えて抱えて立ち上がり、もうひとりが後ろから下半身の様子をチェック(これはとても重要)しながらズボンを下ろしたりあげたりするのが、介護にとっても、本人にとっても有効だという考え方だ。

トイレ誘導で大事なことに下半身状態のチェックがある。見えにくいところは爛れやすく、入浴の時だけでなく、日ごろから観察することが重要だと折島は教わり、実行してきた。

この彼女をひとりでトイレ誘導してなんとか排泄介助できても、前述した通りで、下半身のチェックは不可能なことは明らかだった。

折島が、この話をリーダーにすると、前から支えるのは、本人が怖がるし、1名の介護で他の介護も皆やってるんですから、それはダメです、とのことだった。
折島は、この入居者は会話はある程度できる方なので、きちんと話して了解をとれば、前から抱えて支えることは可能だろうと、折島は思っていた。
この施設の流儀なのか、大事なところは入居者の中に踏み込んでゆかねばならないはずなのに、その基準があいまいで、お客さま扱いをして大事なところで踏み込んでゆかない面があるように感じ始めていた。
リーダーがこの入居者のトイレ誘導と介助はひとりでやるんだと強く言うので、折島は、この話は、もうリーダーと話すことはやめたが、あんな危険な状態(前かがみで膝折れで立たせて介護職の膝で支える)をつくり、しかも下半身のチェックもできずにここの介護職は何をやっているんだろうと折島は心の中では思うのだった。

ひとりで行う介護の仕事が増えることは、仕方のないこととリーダーにいわれるだろうが、風呂に専念しているもう一人の介護と時間のタイミングをあわせて協力してやれば良いことと思った。実際に、折島はひとりできないことは、同じフロアの他の介護職とタイミングをはかって協力してやってきた。この施設では、入浴担当介護とフロア担当介護が連携をするコミュニケーションが折島には見えてこなかった。

この女性リーダーは介護としてもリーダーとしてもとても優秀な女性だと折島は思っていた。
リーダーとして介護業務をこなしながら、初対面の介護を3人(折島と助っ人2名)に指示することはなかなか難しいのに、リーダーは的確にこなしていた。また、OJTで、折島への教え方は一つ一つの内容をきちんと捉え、しかも、折島の高齢者の中に入ってゆくコミュニケーションの方法が折島を知らない人からは失礼で無礼な態度に見えることや介護を長くやっていることからくる悪い意味の慣れの兆しには敏感に反応して折島に注意を与えていた。折島にとっては、ありがたい指導者だった。
ただ、ひとと協力して何かをやるよりはじぶんひとりでやってしまうタイプではないかということが少し気がかりだった。

16:00より前に余裕をもって、夜勤の男性が現れた。長身の真面目そうな30代くらいの男性で、リーダーに申送りを確認し、無駄なく、仕事に入っていった。

タイムスケジュールでは、16:30が夕食の目安だったが、慣れない折島が仕事の手順を覚えるためにメインの作業をやっているので、遅れ、夜勤の男性が目立たないようにところどころを助けてくれたが、ほとんど17:00近くになってやっと配膳まで終わった。

折島の初日の仕事はここまでとリーダーに言われ、リーダーと夜勤、1日助っ人に挨拶して、折島はロッカー室へ向かった。

時間通りに、1日の仕事が終わったが、何となく割り切れない感じのまま折島は帰宅についた。
外へ出ると、既に、日は落ち、街灯もあまりない川沿いの真っ暗な道を自転車で走るときに、行き交う車のライトに照らされてできる折島の影が正面に注意を向けている折島の視界の隅でときおり揺れていた。

帰宅し、入浴し、食事し、妻に初日の職場の出来事のポイントを話し、会話したあとに、少し読書をして床に就いた。さすがに、寝る前には、今日あったことが思い出され、ぼつぼつと押し寄せてきて、いま自分がGHで体験しつつある出来事が、自分だけの体験なのか、他の多くのGHでも起こっていることなのかをぼやっと想像しているうちに、疲れていたのかいつの間にか眠りについていた。


翌日は、初日より早い時間に家を出た。休日らしく、川沿いの道には、早朝の散歩する人の姿が多く見かけられた。自転車の足は昨日ほどは軽くなく、顔に当たる風も聞こえてくる音もどこかそらぞらしかった。

GHに到着すると、さっさと着替え、当分は誰も来ないであろう介護職の休憩室で、昨日メモしたことを整理しなおしてみた。入居たちの名前と顔は、テーブルに座っている配置を利用して覚えることができたようだった。どの顔がどの位置にいるかがわかっただけで、名前は、まだ、覚束なかった。入居者各自の特性と接し方、排泄や食事の介護の仕方は、今日1日あれば、ある程度こなせるようになるような気はしてきた。ここまでは、今までの経験の延長線上か枝線上にあった。折島にとっての難関は、やはり、台所仕事一式だった。入居者各自の食事準備の違いをどう覚えるかは、未体験の分野そのものだった。

時間が来たので、1回フロアにおり、多少は段取りがわかっていたので、出勤するとそのまま夜勤とリーダーに挨拶して、リーダーの指示の下でひとりで職務についた。

折島の早朝の自己確認によれば、入居者たちの顔と名前がやっと一致してきた段階の一方で、入居者ひとりひとりの生活特性の細かいところまではまったく追い付かず、例えば、配膳時のひとりひとりの特性の違いはメモでも追いつかないぐらいの量だった。

ただ、折島が追い付いていない介護上の細かさは、リーダーが実践している介護の繊細に秀でたところで、それだけ行き届いた介護サービスを丁寧にキチンと提供していることなので、折島は何とかリーダーの介護に早く追いつくことを念じていた。

昨日からの夜勤者は、とても気の利くそれでいて出しゃばらない感じの良い男性の介護職で、リーダーとのコミュニケーションもスムーズで、これは折島を安心させた。彼は、折島が口腔ケアやトイレ介助に手間取り、昼食の準備が遅れていると見るやそっとご飯が焚ける準備までして帰宅する介護職だった。そのことを折島はあとで発見したが、感謝しようにも彼は、既にいなかった。

2日目の遅番にも社員は来なかった。またしても、1日派遣の介護職が2名がやってきた。

2日間の勤務で折島が会った社員は、リーダーと初日2日目の夜勤職の3名だけだった。施設の代表者も他に用事があったのか、顔を見せなかった。事務職はいるのかいないのかはわからなかった。看護師は、毎日来るわけでもなさそうだった。事務職はいるのかいないのかわからなかった。

2日目は、初日と同じことをリーダーは折島から少し距離を置いて指導した。できるだけ折島がひとりでこなすようにしていた。

昨日から手こずった太った女性のトイレ誘導と介助は3回行ったが、彼女との会話が少し進んだだけでこれといった進展もなく、折島には疑問が残ったままだった。

折島自身が主となって介護を行うと前職の施設介護とはだいぶ違う点も見えてきた。

まず、折島が驚いたのは、この施設では、トイレ介助でウォッシュレットを使わないことだった。折島がウォッシュレットを使っていると使わないでくださいと注意された。ウォッシュレットを入居者が知ってしまうと勝手に使い出し、トイレ内や衣服をびしょびしょにする事件がおきるそうだった。
しかし、排泄後の清潔のためにも使用したほうが良いのではという疑問は折島に残った。

移乗してオムツ交換をする入居者二人も折島は任されたが、この介助は、折島が前職の施設介護でさんざん行ってきたことであり、用具の確認さえできれば、自分でも安心して出来た。移乗からベッド上でのオムツ交換を見ていたリーダーもホッとしたようだった

夕方も近くなり、夕食の準備に入る頃に、折島は、リーダーから、3日目は、折島ひとりで介護業務をやることを言われた。OJTの3日目なので、リーダーはOJTとして折島を見守っていることにするので、わからないことがあったら質問してくださいとのことだった。

「3日間のOJTが終われば、1日休んで、ひとり立ち、です。」

OJTが何日着くかは、介護の職種により様々で、折島の経験では、前職の施設の場合は、3日間だった。これは、日勤も夜勤も変わりなかった。入浴は、機械浴と個浴とありそれぞれでは違っており、入浴全介助の機械浴は2名で行うので、古参の相棒がそのままOJTをおこない特別にOJTはつけなかった。個浴は、1名担当で、曜日ごとにグループわけがあり、1日づつのOJTだった。

今回の場合、OJTに3日は常識的だし、リーダーの判断は無茶はないと折島は思った。

しかし、実際は、いわば「早番と幻の日勤の二人分の介護業務」のOJTだった。

折島は、2日目の帰宅時からずっと自宅に帰ってもこのことについて、自分で果たして入居者さんの安全を維持できるのかを考え続けていた。
日勤がいないだけで2名が1名に半分になっただけじゃないかという人もいるかもしれないとも考えた。だが、折島のこれまでの実体験からいえば、これは、まったく違った。

折島の経験は7年にわたる施設介護なので、一般的ではないかもしれないが。

介護職1名は1名分の仕事をこなすとしても、介護職2名がこなす仕事は、介護職1名分の倍ではなく、介護職1名分の4倍くらいの職務能力が発揮されるチームとなる。介護職3名になると介護職2名の倍近くの能力が発揮されるチームができあがる。

ということは、介護職2名でおこなってきたチーム仕事を1名でやるということはその1名が4倍の仕事をこなさねばならないことになる。本来ならば3名で行う仕事を2名で行うときは、およそ2倍の力が必要となる。
(この場合の介護職1名は、きちんと仕事のできるひと1名のことだが。)

折島の結論は、介護職2名分のチーム仕事を新人1名でこなすことは、入居者たちとのコミュニケーションも希薄な今の自分には、とてもひとりで務まる仕事ではないということだった。

介護2名で行っていた仕事が1名になったので、1名に負担がかかり過ぎるので、もう1名になって手伝ってくれないかと依頼されれば、一助になればと手伝いに行ける。しかし、2名で行っていたチーム仕事を1名でおこなうことになってしまい、その1名に負担がかかりきつ過ぎるので、その1名の代わりをやってくれないかという依頼には、折島はとても責任をもって負うことは出来なかった。まして、これは、高齢者という相手がいる仕事なので、は余計に慎重にならざるを得ない。
折島は、2日目の帰宅後の夜に、派遣会社に連絡し、事情を話し、辞意を伝えた。ただ、3日目に行くことになっているので、3日目の勤務は相手の意向を聞いてからということになった。ともかく、3日目は出社することにした。

ところが、3日目の早暁、折島の体は、奇妙な反応をあらわにした。折島は、ひどいめまいに襲われ、床を離れることができなくなったのだ。

めまいは折島の持病ではなかったが、7年前、1度起き上がれないぐらい重い発症をしたことがあった。そのときの主治医によれば、今までの発祥の病歴がなく、原因は特定ができないが、ひどいストレスが起因になっているらしいので、まず休んでくださいとのことだった。

折島は、忸怩たる思いを抱きながら、GHに連絡し、今日は休むことと今後については代表と相談する旨をリーダーに伝えた。

今回の折島のめまいは重く、1週間ばかり続き、脳神経科まで受診することとなった。

<終わり>

2023.11.13



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