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インドネシア ジャワ島を横断する旅 ジャワ編


東京はすっぽりと梅雨にくるまれている6月の終わり。
どういう運びになったのか、おれはインドネシアの首都、ジャカルタのスカルノハッタ空港で入国審査を終えて、屋外に続く通路をマレーシア人の一家と一緒に歩いていた。

つい昨日までは、いつも通りに池袋の行きつけのベローチェでコーヒーを飲んでいた記憶があるから、あまりにも急なシュールな状況に少し可笑しくなっている。

もちろん東京で、カクテルを作ったり人のご飯をデリバリーしたりしてつくった纏まったお金で、事前にチケットを買って、ボストンバッグに荷物を詰めて自分で飛行機に乗り込んだんだけど。
勢いで準備をして、空港に着いたタイミングでふと我に返っているわけだ。

このマレーシア人の一家とはクアラルンプールから乗った飛行機で席が隣になった。
「インドネシア初めてか?いいぞ〜インドネシアは。飯も美味いし物価は安いしな。」
と、お父さんは自国の人のような歓迎してくれた。
よく家族でインドネシアに旅行に来るらしい。

50代くらいの両親と、高校生か大学生くらいの娘さん。
クアラルンプールから来たこの一家はイスラム教徒で、お母さんと娘さんは綺麗な柄のヒジャブを頭に巻いていた。
おれが5ヶ月くらい前に立ち寄ったクアラルンプールのことを話した。
街は綺麗だし、ご飯が美味くてとても良かったと言うと、お父さんもお母さんもまるで自分の容姿でも褒められたみたいに、なんだか少し照れくさそうに笑った。

荷物を取って外に出た。ここでファミリーと別れる。
現地に着いたらまずは両替だ。
空港のレートは悪いから、市街地に出る交通費くらいあればいいんだけど、財布を見ると万札しかなかったから1万円を両替。
1万円が118万ルピアになった。
インフレなのか、お金の単位が大きくてややこしいのはわりと東南アジアあるあるだ。
当時のレートでは1ルピアは0.0075円くらい。

両替を終えて歩いてると、"世話役"のお兄ちゃんが話かけてきた。
アジアの空港では大体、一歩外に出ると、ゴリゴリに私服の世話役の男たちが「これからどこに行くんだ?タクシーか?SIMカード買うか?」とコミッション目当てで寄ってくる。

こいつから買う気はないけど、話かけられたのであしらいながら、「SIMを買うつもり」と言うと、男は「ここで待ってろ!」と言い残して、目の前のコンビニに走り、シムカードを持って戻ってきた。
試しに「いくら?」と聞くと、値段は忘れたけど、たった今現地に着いたおれでも相場よりは高いだろうと分かるような額を提示してきた。「高すぎる」と言うと簡単に半分くらいの額まで下がった。明らかにボッてきているので、「考えとくわ」と言って強引に振り切った。

こんな、旅ではよくあるやりとりに初めての土地ではありながらも、"東南アジアに帰ってきた" 感じがした。

近くのモバイルショップに行くと、シムカードがたくさん並んでいて、簡単に買うことができた。
さっきの奴が言ってた額の半分くらい。
店の女の子に携帯を渡すとあっという間にSIMを入れ替えて設定をしてくれた。

外に出ると、もわっと暑い空気に包まれた。
"いつもの感覚" だ。
湿気はあるけど、海が近いからかタイとかカンボジアみたいな、無風の熱気がこもった感じはないし、気温もあって30℃くらいだろう。
でもやっぱり共通して"東南アジアの空気"ってものがあってジャカルタもそれだった。


ここから旅が始まる。ざっくりと決まっていることは、2週間という期間。ジャカルタから何かしらの方法でバリ島まで行くこと。バリから飛行機に乗ってクアラルンプールに寄って帰るということくらい。
あとは全てがフリー。旅をしながら予定を組んで行く。

次、ジャカルタをいつ発って何に乗って何処に向かうのかなんて何も考えていない。
ただまとまった時間と、遠くに"バリ"という目標があるだけ。最高の旅だ。


ビッグシティ ジャカルタ


旅の出発点、ビッグシティ ジャカルタ


町に出る。とりあえずさっきネットで予約した安宿に向かうんだけど、タクシーや電車もあるけど、断然バスが安いと聞いていたので、案内を見ながらバス乗り場へ。

係の人に街の中心地にあるガンビル駅行きというのに乗りたいと言うとその場でお金を徴収されてそのままバスに案内された。
40000ルピア(300円くらい)だったと思う。
バスは小さめでオンボロ、エアコンなんてなく埃っぽかった。バスはすぐに走り出した。

バスでしばらく走ると新しそうな高層ビルとかが見えてきて、ビッグシティらしい風景になってきた。
高速道路のようなものが真っ直ぐ、ずーっと先まで渋滞してノロノロ走ったり止まったりしてる。立体交差している道四方見渡しても、どこまでも車がギッチリと隙間なく走っている。
いうなら 車平線 状態。

ジャカルタは今年に入ってから地下鉄がちょこっとできたりしてるような感じで、交通事情は街の発展具合と比べると追いついていない感じがある。
交通インフラが弱い都市、という何処かで聞いた情報はすぐに実感することができた。
よく引き合いに出される、タイのバンコク、マレーシアのクアラルンプールの比じゃない交通量だ。

のろのろと走ると、街の中心部らしいところに入った。
街の中心は大きな公園のようになっていて、人もあまり歩いていない、整理されたような雰囲気だ。近くには大使館なんかがいくつかあった。雰囲気としては皇居の周りみたいな感じ。
公園の真ん中には高い塔が建っていた。
真っ白い塔のうえに金色の炎のような形のものが乗ってる。ロウソクみたい。
後から知った情報では、この塔は モナス という国家独立の記念に、スカルノ元大統領が建てた塔で、一番上に乗ってる金色のレリーフは本物の金らしい。
その塔のすぐ近くにガンビル駅はあった。
大通り沿いで降ろされる。
ここから宿までは歩くと20分くらいありそうだった。
いつもなら歩く距離だけど、フライトの疲れに荷物。
駅前で待機してるトゥクトゥクがいたから、声を掛けて乗りこんで宿を目指した。

ジャカルタの街はいつもトラフィックジャム


宿に着いた。一泊1000円ちょっとの安宿だ。
シーツは湿っているし、床にはゴミが落ちてる。
テーブルの上には食べかけのクリスピークリームドーナツの箱が放置してある。
まあこんなもの。
個室で、ベッドとエアコンがあれば充分だ。
とりあえずひとまず仮眠。

目が覚めると夕方だった。
宿があるのはジャランジャクサという通り。
インドネシアではマレーシアと同じように、通りを ジャラン という。

ジャランジャクサは昔バックパッカーストリートとして栄えていたらしい。
今でも安宿やレストラン、ランドリーなんかがポツポツと残っていたけど、
かなり廃れた雰囲気だ。

すぐ近くのレストランでナシゴレンとビールを飲む。
店は薄暗い。客よりも店員のほうが多く、店のおっさんも座ってただ煙草をふかしている。
ナシゴレンを頬張っていると、店の前に椅子を出して座ってた男がおれの目の前に座り、
「レディ?」と声をかけてきた。もちろん女を買わないかという意味だ。

「安いし今なら若い女が呼べばすぐ来る」
おれが終始「そうなんだ」と適当に返事していると、男はセールスを諦めただの話相手になった。
「煙草をくれ」というので煙草をあげて、食べ終わるまで適当な話をした。

宿の隣のレストラン。店の外に立ってるのが売春斡旋のおっさん。


店を出て近くの駅から電車に乗ってみた。
電車は見覚えはないけど、日本のどこかで走っていたであろう車両だった。

駅前のホテルやレストランが入った建物の上にゴーゴーバーみたいなものがあったのでそこで一杯のビールを飲んだ。
ここでは東南アジアらしく缶ビールにストローが付いてきた。
目の前のステージでは派手なドレスを着た女の子たちがパラパラみたいなダンスを踊っていた。

帰りはバイタクで帰る。
バイクは渋滞している車をすり抜けてくれるので早い。あっと言う間に宿に着いた。

気がついたら眠っていて、次に起きると昼すぎだった。かなり寝た。
都会好きのおれとしてはジャカルタにしばらく留まっていそうな気がしていたけど、予感的に思ったよりやることもなさそうだし、目指すは遠い楽園、バリ島だったので、そろそろ移動しようと思った。
ジャカルタで沈没してしまったら、そのまま飛行機で直接バリに行ってもいいと思っていたけど、まだまだ日もある。

調べるとジャワ島の東、ジャカルタから、西の端まで列車を乗り継いでいけることがわかったので、ひとまず列車での旅をすることにした。

ジャカルタの中心駅 ガンビル駅


ガンビル駅まで行って列車のチケットを買いに行く。
看板や案内がないので分かりづらかったけど、せっかく長い列に並んだのにカウンターではチケットを売ってもらえず、駅の端っこにあった券売機でなんとかチケットを買う。
明日のジャカルタからジョグジャカルタという所に行くチケットを買った。
ジョグジャカルタは中部ジャワというエリア、だいたいジャワ島の真ん中だ。


東南アジア最大のモスク


無事チケットを買ってガンビル駅の近くにあるモスクまで歩いてきた。

東南アジア最大のモスク、イスティクラルモスク。
モスクの敷地内くらいまでは入ったことがあるけど、イスラムのモスクは一般の人が入れないことも多く、入れたとしてもお祈りの時間はダメ、ということがほとんど。
モスクの中に入るのは初めてだ。
ここはイスラム教徒じゃなくてもお祈りを見学できる。

イスラムでは肌の露出はよろしくない。
バックに入れてきた長ズボンを短パンの上から履いて入った。

すでにちょっと荘厳な雰囲気


大きな建物で、真ん中が吹き抜けになってる。
石造りのモスクの中はひんやりとして涼しい。
広々とガランとしていて、市役所を大きくしたような感じ。

意外と殺風景で味気ないなあとか思いながら歩いていくと絨毯が敷かれた礼拝堂に出た。
とても静かだからわからなかったけどちょうどお祈りの時間で、たくさんの人々が集まってサラート(礼拝)をしていた。

とても大きな礼拝堂

礼拝堂の中はイスラム教徒しか入れないので2階に登って上から見学する。

左右に男女に分かれて祈る


たくさんの人たちの正面ではイスラムで、神父さんやお坊さんに当たるであろう人がコーランというお経のようなものをあげる声がスピーカーを通してモスク全体に響き、人々は祈る。

モスクの中にはとても厳かな静けさと涼しさだけがある。
独特なイントネーションのコーランだけが響きわたる空間をイスラムの人たちと共有する。
今まで感じたことのないタイプの厳かさ、静けさだ。
しばらくその場にいるとコーランの声や空気にとても気持ちが穏やかになってきた。
どんな宗教でもやっぱり人々が心を清らかに過ごす場所に行くとやっぱりどこか落ち着く。

異国、異教徒の人たちと心が通う感じがした。
おれには胸を張って公言できる信仰や宗教はない。だけどそれを尊重してくれる人たちがいて、今までたくさんの宗教施設を見させてもらった。
だからこっちも最大限のリスペクトを持ってお邪魔させてもらう。

現役のモスクや寺院でとても強く感じるのは、神を信仰して祈る人々の姿は、どんな観光地や絶景スポットよりも美しいということだ。
大昔に建てられた遺跡よりも町の小さな寺院のほうが尊い気がしている。

吹き抜けになっている外。たくさんの人がお祈りに来る金曜日は、中に入りきらない人が外で祈るみたいで、床のタイルが礼拝マットのサイズになっていて、綺麗にイスラム教の聖地、サウジアラビアのメッカの方角を向いている。


礼拝が終わって敷地内でのんびりと過ごす人たち。上の ⇦KIBLATの標識はメッカの方角を指している。



バイタクを駆使してあちこち、ショッピングモールに行ってコーヒーを飲んだり、宿の近くのレストランでビールを飲んだりした。
明日の列車は10時15分発。遅くても宿を9時半くらいには出たい。
おれの旅としてはわりと早起きだ。

早めに宿に帰ったけど、昨日寝すぎたせいかなかなか寝られなかった。

なんだかんだで朝4時。空は薄っすら白んできた。
宿の近くのモスクから、早朝のアザーンが聞こえてくる。
目の前の安宿のボロ壁とアザーンの妙なイントネーションをした声が、なんだかしっくりとくるような感じがして、海を越えてずいぶん遠くまできたような気がした。

今世紀最大の寝坊

気がついたらすっかり朝みたいだった。
アラームは鳴ってない。いや、鳴ったんだろう。
だいぶ嫌な予感はいたけど携帯を開くと9時48分。列車は10時15分発。
宿からホテルまでは渋滞もあるだろうし車で20分はかかりそうだ。しかもまだ荷物もまとめていない。終わった。
一瞬で状況を整理した。
ほとんど空きのない列車のチケットが無駄&買い直し。
ネットで予約したジョグジャカルタの宿キャンセル、当日だからお金返って来ない。しかも2泊分。

とはいえ、まだ列車は行ってしまったわけではない。
とりあえず本気出してみるか!とベッドから飛び起きて、部屋の中の私物を乱雑に全部バックパックに投げ込んだ。

階段を駆け下りてフロントへ。
「チェックアウトね〜。昨日はよく寝れた?これから何処に行くの?」というホテルのお兄さんの話もそこそこに、
「ジョグジャ行きの電車乗る!とりあえず乗り遅れそうだからじゃあね!」と威勢良く鍵を渡し外に走り出した。

これからどうやって駅まで行くか、歩いていたらアウト。
今からタクシー呼んでも余裕で遅い。
とにかく通りに出ると、運良く1台のトゥクトゥクが走ってくる。

武田鉄矢ばりに目の前に立ち塞がって止めるとトゥクトゥクは運良く空車で、すぐに乗り込んだ。

「ガンビル駅まで行って!10時15分の列車に乗りたいから急いで!」
ドライバーは何も言わず頷いて走り出した。
あとはコイツに掛かってる。

走り出してしばらくすると、やっぱり渋滞。
日本ならここでもうアウトだけど、ここは東南アジア、交通ルールなんてあってないようなものだ。

「ハリーアップ!ハリーアップ!」と馬に鞭を打つように急かす。(本当に面倒くさい外国人になってしまっていたと思う。)
おれの気持ちが伝わったのか少しずつドライバーも運転が積極的になってきて、歩道を上手く利用しつつ渋滞を縫って走ってくれた。

ガンビル駅に着いた。この時10時06分。
だいぶ間に合う兆しが見えてきたけどまだわからない。

とりあえずドライバーに何度もお礼を言いながら、100000ルピア札(750円)を渡して走り出した。
当然、値段交渉もせずに乗ったのだ。
相場もくそもないけど乗り遅れることを考えたら安いし、何より彼の走りが素晴らしかった。おっちゃんは予想以上の金額に喜んだのか、今までとは打って変わって笑顔になり手を振っていた。

ここからだ。見たことない入り口。
ここでホームまで迷ったらアウトかもしれない。
ガンビル駅はかなり広い。

迷う前に人に聞く。何人もの人に道を聞きながら確実な道を行く。
ホームへの入り口。入り口で駅員が一人ずつチケットと身分証をチェックされる。
ここもわりと並びが少なく、なんとかクリア。ここでしっかりホーム番号も教えてもらっておいた。

教えてもらっあホームへのエスカレーターを駆け上る。
ホームに着いたと同時に電車が入ってきた。
ポーターにチケットを見せて確認するとおれの乗る列車だった。勝った。
列車に乗り込んでドラマのような展開の余韻に浸っているとすぐに列車は走り出した。


列車の旅はじまる

エグゼクティブクラスという名前の平凡な列車


列車はずーっと田んぼや林の中を走っていた。
座席のスタイルは2席のセットが左右に2つ、それが一車両10列くらいはある。
乗ったことないけど新幹線みたいなものだろうか。

食堂車もあって、後で弁当を買って食べようと思っていたんだけど、隣の席のお兄さんがバッグから取り出した謎の物体をおれに差し出した。
それは、たぶん駅とかで買ったであろう軽食セット。
お兄さんは自分の分を取り出し、なぜか残った半分を当たり前のような顔をしておれに差し出した。

ただの透明のビニールにギチギチに入っていた真っ茶色のものたち。
見ただけではなんだかよくわからなかったそれは、食べてみるのその正体はチマキみたいなものと揚げた豆腐だった。

見知らぬ男からの急なローカル色全開のランチの差し入れにおれは少しびびってしまったけど、一口食べるとその味はあまりにも美味しかった。
素朴な日本の田舎の家庭料理みたいな感じ。

お兄さんに「めっちゃ美味しいわ〜」とか言っても、くれた本人は無関心で、携帯ゲームに夢中だ。

途中駅のプラットホーム



思えばいままで東南アジアでは列車よりもバスの旅ばっかりだった。
東南アジアでは列車よりもバスの方が早いし安いことが多いのだ。
あまり慣れない列車の旅はバスとは違うフィーリングがある。
イメージとしては 世界の車窓から の雰囲気だ、

途中の停車駅のホームに着くたびに煙草も吸えて、なかなか快適な列車移動だった。
ジョグジャカルタに着いたのは18時半。

ジャカルタから8時間かけて着いたジョグジャカルタ駅



古都ジョグジャカルタ 仏教遺跡とアートの町


マリオボロストリート


ジョグジャカルタ駅前から始まる、マリオボロストリートという通りがこの街の中心。
時間帯的なこともあってか、すごい賑わいだった。
屋台とレストラン、土産物屋がたくさん並んでいて、道路を馬車が走る。
オランダの植民地時代の町並みが残る洒落た観光地だ。
国内からの観光客らしい人たちでごった返していた。

マリオボロからすこし歩いた所に今日の宿はあった。
宿の人は全然英語が喋れず少し苦戦しつつも無事今日の寝床に着いた。
ロビーには国内旅行者っぽい若者の集団が音楽をかけて騒いでいる。
部屋はこじんまりとしていて清潔だけど、トイレとシャワーは共同だった。

部屋の天井にも"KIBLAT"
国民にとってイスラムというものがとても身近なものだということがわかる


荷物を降ろしてマリオボロストリートのレストランでサテ(焼き鳥)やテンペ(納豆みたいな塊)をつまみにビールを飲んだ。

サテ テンペ ハイネケン



ボロブドゥール遺跡

次の日、前に調べて行ってみようか迷っていた場所がある。
"ボロブドゥール遺跡 "

ジョグジャカルタの近郊ある仏教遺跡。
カンボジア、シェムリアップのアンコール遺跡群、ミャンマー、バガンのバガン遺跡と並んで世界三大仏教遺跡と言われている。
アンコールには一昨年、去年はバガンに行った。
制覇ということでもないけど、時間もあったし行ってみることにした。

ジョグジャの中心部からは、町の外れのバスターミナルからバスで行けるみたい。
すっかり使い慣れたGRAB(UBERの東南アジア版)でバイタクを呼んでバスターミナルへ。

バスターミナルはとても小さく、「 暇そうに座ってたおじさんに「ボロブドゥール?」と声をかけられ、「Yes」と答えるとバスまで連れていってくれた。

バスにはエアコンはなく埃っぽくジメジメとしていた。
発車までは30分くらい待った。東南アジアのローカルバスではよくある、満席になるまで発車しないシステムだ。
止まってる間、バスには物売りが次から次へと乗り込んできて、フルーツなんかを売っていた。

バスが走り出した。ぎゅうぎゅうだ。
シートも狭く、おれの膝はずっと前のシートに当たっていた。

ぎゅうぎゅうだけどのんびりとしたローカルバスの旅

1時間ちょっとでバスは到着。
すっかり田舎の空気わ、山がたくさん見える。
ここから歩いてボロブドゥールへ。

10分も歩くと遺跡のエントランスに着いた。
観光地らしく、ツアーの大型バスがたくさん乗り入れているし、冷たい飲み物やお土産を売っているおばさんにひっきりなしに声をかけられる。

外国人専用のチケットカウンターから入る。
チケットは350000ルピア(2600円とか)。
物価の安いアジアの国でも、もれなく高いのが観光地の入場料。
カンボジアのアンコール遺跡も40ドルくらいしたし、バガンの村の入域料としてかなり取られた。インドのタージマハルもかなり高かった記憶がある。

まあまあ、せっかく来たし必要経費ということで、今泊まってる宿の2泊分とほとんど変わらない額を支払った。
チケットと一緒に小さいボトルウォーターを、1本くれた。

敷地内を歩いていくと横に長いボロブドゥール遺跡がそびえ立っていた。
想像よりも2回りくらい大きい。
中心の階段を登って上まで行く。

登っている時は平べったいのかと思っていたけど、奥行きもあって、頂上からは360度、ストゥーパー(仏塔)に囲まれていた。
時間はサンセット。ストゥーパーとさらに周りを囲む山がとても幻想的に映る。

仏教遺跡だけど、国内からのイスラムの人たちがたくさん来ていて、袈裟を着ているような人は見かけなかった。
修学旅行の高校生くらいの子たちもいて、自撮りをしまくってはしゃいでいる。
日本の修学旅行で、清水寺とかに行くようなノリなんだろうか。
宗教施設らしい厳かさはなく、みんな浮かれている。

ここに来るか迷っていた理由としては、
おれは基本的に、観光地だろうが名所だろうが、現地の人や、その宗教、人の生活みたいなものが垣間見えないと、行ってもすぐに退屈してしまうのだ。

遺跡=過去の遺産、みたいな古〜い歴史だけで、遥か昔を想像するだけで楽しめるタイプではない。
だから市街地から遠く離れて高いチケットを買ってボロブドゥールに行くのはどうか、と思っていた。

結果、景色もとてもよく、すーっとした感じの場所で気持ちが良かったので思ったより良かったと思う。

帰り道、たくさんの物売りがずっと付き纏ってくる。慣れたものだけど。

「コレネ、神様ノオ面。コッチガ男デコッチガ女ネ。」
もう5分くらい一緒に歩きながらテレビショッピングのような商品紹介をカタコトの日本語で受けている。
「そんなお金ないし、まずそれちょっとデカすぎるな〜」
「ジャアコッチ、小サイノ。フタツデ200000ルピア(1500円くらい)ネ、ベリーチープ」
とても一生懸命でセールスが上手い。
最初は買う気はなかったけど150000ルピアを切る頃には、彼の饒舌なセールストークにまんまと、一応買っとくか?という気持ちになってきた。

「100000ルピアなら買ってもいいよ」というと
「130000 ラストプライス」と言う。
「高い高い。100000(750円くらい)しか出さないよ。」
元々特別欲しい訳でもないしおれも譲らない。
「ジャア110000。」相手もだいぶ下げてきた。
「10000くらいいいじゃん。負けてよー」というと(今考えるとおれこそ10000ルピア(75円)くらい払えばいいのに)
「ウーン、、、OK!」と言って交渉成立の握手。

しっかりビニール袋に入れてくれた。
そいつと入れ替わりで、おれが買ったのを見ていた他の物売りたちが一斉におれに群がってきた。
マグネットだの、キーホルダーだの、扇子だのおれの周りで一斉にセールスをしている。
特に欲しいものもないし、適当に「ほんとだーすごいね。へーくっつくんだね」とかいいながら出口のゲートを出て振り切った。
ゲートを出た後まで柵の向こうから、
「ミテ!ミテ!」とゲートの柵にマグネットを貼り付けてみせて手招きしている。
すごいバイタリティ。

バスターミナルからボロブドゥールまでの道。
山に囲まれた盆地。参道のような通りに日用品を売る店やご飯屋が並んでる。


バスターミナルまで歩いて行くともう日が落ちていた。
ターミナルは真っ暗で誰もいない。

どうしたものかと思ってるとひとりのおっさん が
「バスはもうフィニッシュだ。バイクで町まで乗せてってやる」と言う。
もう一回辺りをよく見渡してみたけど、どうやら本当に終わったみたいだし、もう真っ暗。
この真っ暗な田舎に取り残されるのも嫌なので、値段交渉して、110000ルピア(800円ちょっと)でおっさんにマリオボロストリートまで乗せてもらう。

帰りはバイクなので速かったけどそれでも1時間。小さなバイクでずっとお尻の痛みとの格闘だった。

マリオボロ通りに帰ってきた。
寂れたレストランでビールを飲んだ。
やっぱりイスラム圏。ビールを置いている店が限られている。
宗教的に豚は不浄の動物なので、当然見かけることはない。
ツマミに頼んだビーフのハムはけっこうおいしかった。

もう夜も遅いのにすごい人混み。
路上ではバンドが民族音楽を演奏して盛り上がっている。
インドネシア全体の名産らしいけど、バティックという伝統的な、ろうけつ染の服や布の店もアメ横の様な活気で遅くまで営業している。
ジョグジャや隣町、ソロはバティック産業が盛んらしい。

賑やかな町をしばらくほつき歩いた。
屋台ではミーゴレン(焼きソバ)やミーアヤム(チキンヌードル)なんかを売っていて、プラスチックのテーブル席はどこも満席だ。

マリオボロモールという小さなショッピングモールの広場では小学生くらいの女の子がバイオリンを演奏していた。

町の屋台


次の日、起きて忙しなく荷物をまとめる。
旅でも夜更かし気味のおれはだいたい宿のチェックアウトギリギリまで寝ているかごろごろしている。(チェックアウトはだいたい12時)
夕方の列車に乗ってまた移動することにしていた。
次の目的地はさらに東、スラバヤという町だ。

朝ごはんに、バーガーキングでお気に入りの(この旅では今まで食べたことのないスパンでバーガーキングを食べてる)クアトロチーズワッパーを食べて、目ぼしいバティックを一枚買って、モールの中のカフェでコーヒーを飲んだりした。

インドネシアでは結構どこにでもあって、だいたい喫煙席があったのでよく使っていたカフェ EXCELSO スターバックスくらいの値段する。



もう夕方だ。
駅に向かう。列車は16時発。
ジョグジャカルタ駅はとにかくすごい人混みだ。
売店で買った甘ったるいファンタオレンジを飲んでいると、定刻より少し早く列車が来た。


窓側の席だった。
少しずつ陽が落ちていく中、家や田んぼや人の生活を眺めていた。
隣にはサリーみたいな服を着たおばあちゃんが座った。

おばあちゃんは座るとすぐに駅弁を買って、食べる前に一言おれに向かってなにか言ったけど、たぶんインドネシア語だったのでわからなかった。

たぶん、なにも食べてなかったおれに対して「失礼しますね」的なことを言ったんだろう。

うとうとしたりしてるうちにもうスラバヤに着いたみたい。
4時間半くらい。ジャカルタからジョグジャは8時間かかったから、とてもあっという間に感じた。

おばあちゃんもスラバヤで降りるようで、座席の上の荷物棚からおばあちゃんの荷物を降ろしてあげると両手を合わせて拝むようにお礼を言われた。

スラバヤの駅


スラバヤ  第二の都市でひねもすのたり

時間は夜8時半。
スラバヤはジャワ島第二の都市とか言われてるみたいだけど、この時間ですでに結構真っ暗だった。
この町で1泊だけするつもり。
駅でそのまま明日の列車のチケットを買う。

次の行き先はいよいよジャワ島の一番東端、バニュワンギ。
券売機でバニュワンギ行きのチケットを見るとどれも満席、かろうじて空きがあったのが22時発の列車だった。
ホテルは12時にチェックアウトだし時間がありすぎる。
しかもバニュワンギに着くのも明け方とかだろう。
ちょっと難しい時間だけど、この時間以外次の日の列車まで全部フルだった。
この列車ももう満席に近い。残りの席数は一桁だった。
迷っていられない。勢いで取った。

駅から歩いてすぐの宿に向かう。
変な出口から出てしまって、半分高速道路みたいな歩道もない道を歩いていく、
横に川が流れていて、上に電線でライトアップされていて、遠くまでずっとカラフルなアーチが架かっていた。

歩いてすぐのはずだったけど、遠回りしてわりと時間がかかった。
今日の寝床は今回の旅で初めて、おれの価値観での、"ホテル" と呼べそうなリッチな感じだった。

リッチとは言っても1泊2000円ちょっとの、日本のビジネスホテルをすこしチープにしたような所。
明日の列車の時間のこともあってレイトチェックアウトができるか聞いてみたけど、できないみたいだった。

明日もまた移動。
中継地点であるスラバヤでは体力をチャージするためにゆっくりと過ごすつもりだ。

近場でサクッとご飯食べて今日は部屋でダラダラしようと思って、駅前のホテルを取ったのに、周りにはなにもなかった。コンビニもない。
ただ、2〜3分歩いたところにデカいモールがあったので腹ペコのまま行ってみる。
モールのグランドフロアにはアイススケートのリンクがあって、この時間だからか、若い人たちが何人か、ワイワイというよりもわりと本気で滑っている。どんな気持ちなんだろう。

とりあえずレストランのありそうな上の階。
ショッピングモールに来てしまうとどうしても日本食を食べたくなってしまう。
東南アジアのショッピングモールは絶対に日本食のチェーン店が豊富なのだ。

ここはオーソドックスに吉野家、ペッパーランチ、変なラーメン屋、変な弁当屋があった。
迷った末に弁当屋に入ってオススメに書いてあった焼肉とエビフライの弁当を食べた。
店の名前は忘れたけど、"Bento-ya"みたいな適当なやつだったし、店内の内装もちょっと高い和食屋みたいな感じで、まさしく"海外の人が思い描くジャパニーズ"という感じだ。
日本のレストランってこんな感じっしょ!みたいな。

まずレストランで弁当箱に入った弁当を食べるのもなんとも言えない気分だし、
エビフライを出しておきながらタルタルソースもマヨネーズもなく、テーブルには醤油しか置いてない。サラダにも何もかかってない。
まあ最初からこの店に日本国内並みの味を求めてない。

おれは、店員たちの、「日本人、どうせ何にでも醤油をかけて食べるんだろ!」という期待に応えてるように(わりと偏見だけど)、
サラダとエビフライに醤油をかけてあっという間に完食した。
海外の日本食なんて、こんなもんで充分なのだ。

ホテルに帰ってシャワーを浴びる。
さすが"ホテル"、この旅でのシャワーの最高温度更新。
まだ日本みたいな熱いお湯には及ばないけど、浴びていても息は上がらない(水のシャワーを浴びているとだんだん息が上がってくる)くらいのぬるま湯だ。

ごろごろ動画を見たり、この先の目的地の調べものをする。
明日バニュワンギに行くのはいいけど、明後日の明け方着くし、そこで泊まるのか、そのままバスかなにかでバリに入るか、入れるか、バスはどこで乗るのか、調べてもいろいろと曖昧な情報が多くてわからないことが多かった。
とりあえずバニュワンギまで行って考えることにしよう。

小腹が空いて、グラブフードでデザートとかを頼む。
20分くらいでお兄さんがバイクでホテルまでマクドナルドのチョコパイとポテトを持ってきてくれる。
そしてふかふかのベッドでゴロゴロしたまま食べる、この旅初の部屋の冷蔵庫で冷えた水を飲む。天国だ。

モールのレストランで日本食を食べて、部屋に帰ってひたすらお笑い動画をみる。
デリバリーでマクドナルドを食べる。
わざわざ遠い外国でこうゆう自堕落なことをさせると、なかなかおれの右に出る人はいないといつも思う。
せっかくの海外なのに観光とか、現地のものとか食べないともったいない!みたいな韓国行くおばはんみたいな価値観だけでおれは旅をしてるわけじゃないのだ。

そんな自堕落なまま夜は更けていつの間にか眠っていた。


次の日、いつものように慌しくチェックアウトを済ませるも列車の時間まで外で時間を潰すのはしんどすぎる。
調べるとすぐ近くに格安ゲストハウスがあるみたいなので、とりあえず行ってみた。
ホテルのすぐ裏の寂れた路地の奥にこじんまりとそのゲストハウスはあった。

わりと洒落た感じのゲストハウス。
「ドミトリー空いてますか?」とスタッフの女の子に聞くと空いているタイプの部屋の写真を見せてくれた。
値段は125000ルピア(1000円弱)。
安いし、今日の夜出て行っていいと言うのでとりあえずここに荷物を降ろすことにした。

部屋はドミトリー、冷房の効いた部屋には2段ベッドがたくさん敷き詰められていた。
ベッドにはスクリーンカーテンもついていて、わりと快適な1畳弱の空間。

ロビーと部屋の間には中庭があって、ここで煙草が吸える。木工彫刻みたいな椅子とテーブルがあって現地の若者もダラダラしてる。
なんとなくアーティスティックな場所でなんとなく美大の寮のようなイメージの場所だ。
ここでダラダラしたり、すこし町を歩いてみたいして、久しぶりにゆっくりと過ごした。

出発前に近所のレストランでミーゴレンを食べた。
目玉焼き付きのミーゴレンを注文した。10000ルピア(75円くらい)と激安。
ただのミーゴレンになると5000ルピアとさらに半額だ。
途中現れたギターを持った流しのおじさんの歌を聞きつつ、ミーゴレンをすする。
ローカル感があっていい店だった。

いよいよジャワ島の最東端、バニュワンギ それからバリ島へ


夜22時に予定通り発車した列車が、ジャワ島の東端、バニュワンギに到着したのはやっとうとうとしかけていた明け方4時過ぎだった。
辺りはまだ暗い。
この先のプランは何も決まってない。
とりあえず駅で煙草を吸って外に出た。


この時間から宿を探すのも難しいし、バニュワンギにはこれといってなにもなさそう。
それならバスがあればそのままバリに行ってしまいたい。

駅前に観光バスが止まっていたので、バリに行きたいんだけど、と話しかけるとフェリー乗り場のあたりからバスが出てるはずだ、とのこと。
こんな明け方にこんな真っ暗な町からバス出ている想像がつかない。


空は薄っすら白んできた。
とりあえず駅からフェリー乗り場まで歩く。
駅を出て、舗装されていない道をまっすぐ200mも歩くと真っ暗い海が見えてきた。
フェリー乗り場らしき灯の前で、おじさんが話しかけてきた。
「バスに乗ってバリにいきたい」と言うと、
「バスは来るからそこら辺で待ってろ」とのこと。
とりあえずこの勢いでバリに入っちゃうことにした。

バスを待っているうちに辺りはどんどん明るくなってきて、海の向こうにバリ島が見えてきた。
ジャワ島のほぼ西の端、ジャカルタから、陸路でジャワ島を横断したことに気づいてすこし晴れ晴れとした気分になった。

陽が昇り始めるとともにすぐ近くに山が現れた。
辺りで鶏が鳴き出して、近くのモスクから聞こえてきたアザーンと共鳴している。
眠気と疲れはきているが、こんな気持ちのいい朝は何年振りだろう。


フェリー乗り場の前でかれこれ1時間は待ってる。
バスは来る気配もない。
それでも一緒に待っている人もいたから、なんとかなるだろうという安心感はあった。

レゲエっぽいお兄ちゃんと、旅行でバリに行く家族(50代くらいの夫婦と高校生くらいの娘さん)が同じバスを待っていた。

お母さんに話しかけられたけど、英語はほとんど話せないらしく、インドネシア語とジェスチャーでコミュニケーションを取ってくれた。

「バリ?」「バリ!」「オー、セイムセイム」という具合に、とにかく目的地が一緒だということがわかって心強かった。

待ちくたびれて家族はお弁当を広げ食べ始めた。
途中、一台の乗用車が止まって、降りてきた男がおれたちに話かけてきた。
他の人たちとの会話を聞いてると、どうやら1席空きがあるから誰か乗れ、という流れ。
レゲエのお兄ちゃんも断っていたし、相手もなんか強引で怪しかったからおれも断った。

しばらくするとやっとバスがきた。
バスといってもハイエース的なボロい大型車だ。いわゆる ミニバス というやつだ。
みんなで乗り込んだ。
値段は150000ルピア(1100円くらい)だった。


1時間半も待ったし体力的にもとにかく早くバリに行きたかった。
運転手は汚いジャージにビーチサンダルを履いた髪の毛ボサボサ髭面のでかいおっさんだった。

フェリーに車ごと乗ってバリを目指す


車をフェリーに入れて車を降りる。
乗客は階段を上って、上のフロアのシートや甲板で過ごす。
朝早いけど、乗客はかなり多かった。

美しい朝日の中をフェリーは出航した。

甲板で風を感じながらバリを目指す。
朝の光と海と風がとにかく気持ちよかった。


バリ島はジャワ島から見ても目と鼻の先。
フェリーは30分くらいでバリ島の港に到着した。


ジャワ島を旅して思ったこと


今回確実に感じたこと。
いつも旅に出る直前からの、少し億劫で東京での日常に少し未練のある気持ちを持ったまま飛行機に乗る。
そして現地の空港に着いて外に出た瞬間、空気も景色も全てが変わって一気に清々しい気持ちとエネルギーが湧いてくるんだけど、
東南アジアの旅を重ねていくうちにそんな、"異世界にわくわくする"みたいな気持ちが薄れてきている。

思い出してみると、おれはこの2年弱の期間の中で、タイから始めて東南アジアというエリアの国を6ヶ国旅をしている。インドネシアで7ヵ国目。

非日常だった東南アジアの空気、景色が"もうひとつの日常"みたいなものになってきていて、湧いてくる異国でのエネルギーが、勝手がわかってきたことによって、力の抜けた旅ができるようになったんだと思う。

初めての国でも東南アジアの空気を感じて、どこか"帰ってきた感"がありほっとする。
本の栞を手繰るみたいな感じで、前回の旅の続きからまた始まったみたいだ。


インドネシアを訪れる外国人旅行者の多くはバリに行く人たちみたいで、ジャワ島の情報は今まで行った場所の中でもかなり少ない方だった。

実際に列車のチケットオフィス、モスクのエントランス、観光地なんかも海外からの旅行者の受け入れ体制が整っていない感じがした。
インドネシア語の看板だけで英語の説明がなかったり、都市にはよくある外国人旅行者街や、パブストリートみたいなものも少ない。

実際に1週間ジャワ島を旅していて、見かけた外国人旅行者なんて10人もいないくらい。
ホテルに泊まろうが観光地に行こうが、ほとんど外国人はおれ一人だった。

旅行者は少ないけど、みんな旅行者、外国人丸出しであるおれに親切に接してくれていたし、
なにかを言い値で買ったりする時も、旅行者相手のぼったくりなんかもあまりないんじゃないかと思った。

ジャカルタは東南アジアでは、バンコクとクアラルンプールと並ぶビッグシティという扱い、印象でいたけど、実際街で過ごしてみるとそこまでの規模には感じなかったし、まだまだこれからどんどん大きくなっていく街だと思う。
もちろん今でも綺麗な高層ビルが立ち並んでいるようなエリアもあったけど、全体的に見れば、ベトナムのホーチミンとかの方が栄えている感じがする。

ジャワで食べた料理は今まで行った国の中でもかなり美味しかった。
ナシゴレンやミーゴレン、サテとかはマレーシアにも共通していて、日本食に通じる味。それとインドネシアの特色、豆腐料理が美味しかった。

前に行ったマレーシアもイスラム教国だけど、多民族だし、そこまでイスラムが濃くなかった。
インドネシアは国民の90%近くがイスラム教という今までで一番イスラム色の強い国だったんだけど、とても敬虔でありながらどこか緩い 中東とは違った"東南アジアでのイスラム"を感じた。(中東のイスラム国には行ったことないけど)

例えばまず、ショッピングモールなんかにいくとヒジャブ(イスラム教の女性が頭から被るヴェール)を被っていない女の子が普通にいる。
それにお酒を飲む人が結構いる。イスラム教では基本的に禁忌。
そんなどこかインドネシアにはインドネシア独自のイスラムがあるように感じた。

それでもやっぱり国民のほとんどが信仰するイスラムは生活、日常の風景に自然に溶け込んでいて、それが人の生活や気持ちを垣間見るために旅をしてるおれにはとてもいい体験だった。

モスクでのサラート(礼拝)ももちろんそうだけど、一日5回必ず聞こえてくるアザーンも東京の夕焼けチャイムのような感覚で流れているし、ショッピングモールはもちろんバーガーキングなんかにも礼拝室があって、子供達が走り回ってる横でお祈りをしてる人がいた。

町中にもベンチに座ってお祈りをする人もいて、祈るということが神聖でありながら特別なことではなくとても日常、身近なことなんだと感じた。

東南アジアでは珍しく、バスより鉄道の方が使い勝手がよくて結局ジャカルタからバニュワンギまでの全区間を列車で横断した。
列車や駅もどんどん整備されて新しくなっているみたいだし、全区間ほとんど発着時刻に正確だった。
駅の券売機で空きを調べて予約ができるし、席も指定できて便利だった。
座席にはクッションが置いてあるし、夜中の列車では清潔はブランケットもあったしコンセントもついていてホスピタリティは充分。

物価は基本的には東南アジアでは平均か少し安め。
交通費なんかは少し高いけど、食費は安い。
コンビニで缶のコーラが8000ルピア(60円)ボトルウォーターが4000ルピア(30円)くらい。買う所によってはもう少し安かった。
ご飯はハンバーガーとか日本食チェーンはそれほど日本と変わらないか安くて3分の2くらい。
現地のご飯は普通のレストランで主食1品2〜300円くらい。
ビール2本飲んで2品くらいつまんで1000円しないくらい。やっぱりビールは少し高め。

スラバヤのご飯屋で食べたミーゴレンが最安値。10000ルピア(75円)で目玉焼きとサラダが付いてきた。

旅も半分くらいまできて、ここからいよいよバリへ。
とりあえずジャワ編はこんな感じで。

バリ編↓



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