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インドに呼ばれて 6


ガヤーからしばらく列車に揺られてバラナシについた頃には夜になっていた。
予定より数時間遅れ。想定内だ。
列車はバラナシ駅ではなく、少し離れたムガルサライという駅に着いた。
ここから乗り合いリクシャーでバラナシの中心まで。

バラナシといえばガンガー沿いの町。
日本のテレビや写真で見るインドの景色はだいたいここだ。
ドライバーが言うにはガンガーのリバーサイドには車やリクシャーは入れないので、リバーサイドへの入り口、ゴードリアチョーク(交差点)までリクシャーで行く。

市街に近づくにつれて、道は狭く大きな町ではないのにどんどんと人や交通量が増えていく。
人は多くおっさんの声やクラクションと、とにかく賑やかなのに町は暗い。カオスさがすごい。

車とバイクと牛で大渋滞の道をノロノロとしばらく走って、こじんまりとした交差点に着くと「着いたぞ」といわれリクシャーを降りる。
雰囲気的になにか違う感じがしたから「ここゴードリアチョーク?」と何回も確認したけど、運転手はなんども横に首を傾げるだけだ。(インドでは横に首を傾げるのが「Yes」)

仕方なくそこからリバーサイドがあるだろう方向に歩き出すが、いつまで歩いても川どころかどんどん暗く人通りの少ない町並みになっていく。
途中何回か人に道を訪ねるも、インド人の道案内はあてにならない。
みんな違う方角を指指すんだ。

真っ暗い道端で途方に暮れていると「何してるんだ」と話かけてきたおじさんに「ガンガーを目指して、リクシャーにゴードリアチョークまで乗せてもらったはずが全然違う場所で下ろされたんだけど、ここがどこだかわからない。」と説明すると、通りかかったサイクルリクシャーを止めて話をつけてくれた。
彼がゴードリアチョークまで連れていってくれるから乗れ、と値段交渉する隙も与えてられず、言われるがままに乗せられてしまった。
手際が良すぎて、かなり怪しい気もしたけど、長距離移動とバックパックを背負って歩きまわった疲れで、今度こそゴードリアチョークまで連れて行ってもくれるなら少しくらいぼったくられたっていいと思うくらい、とにかく早く宿に行きたかった。
まだこれから今夜の宿探しもしなくちゃならない。


本物のゴードリアチョークはかなり離れた場所にあった。
最初の運転手は渋滞が鬱陶しくなって、ゴードリアチョークだと言って適当な交差点でおれを下ろしたんだろう。
やっと本当のゴードリアチョークに着いて、リクシャーを降りてお金を払おうとすると、サイクルリクシャーの運転手は手を振りながら走り去ってしまった。
よくわからなかったけど、インド人がお金を取り忘れるなんてことはないはずだ。
嘘つかれ途方に暮れていたおれの状況を知って、彼はお金を取らなかったんだと思う。
もしかしたら、旅人に嫌な思いをさせたリクシャーの運転手と、同じインド人として、尻拭いをしたのかもしれない。

毎度のことだけどこういう優しさに触れた時、きっとぼったくってくる、と疑ってしまったことを本気で申し訳なく感じる。
話かけてくれたおじさんとサイクルリクシャーの運転手のおかげでやっとゴードリアチョークまでたどり着いた。

ゴードリアチョークからごちゃごちゃのメイン通りをしばらく歩いて細い路地、ベンガリートラのあたりを歩いていると、"友達の宿"とででかでかと書かれた日本語が目に入った。
長い旅の途中、異国で日本語を見つけるとどこか少しほっとする。
まず悪い宿ではなさそうだし、とりあえず訪ねてみることにした。

フレンズゲストハウス


中に入っておばさんに部屋はあるか聞いてみると、300ルピーシングルルームはフルだけど、明日には空くというので、ひとまず500ルピーのダブルルームにチェックインした。
日本語こそ通じなかったけど、名前の通り家族経営のフレンドリーなゲストハウスだ。
ゲストハウスから細い路地を1分を歩かないうちにガンガーの小さなガートに出る。

バラナシの旧市街は細い路地が迷路みたいに入り組んでいる


バラナシでホーリー

バラナシに着いたころ。インドで一番大きな祭り、ホーリーが近づいていた。

ホーリーは春の訪れを祝う祭り。
この日はインド中で店が閉まり、みんな色水を掛け合ったりして大騒ぎする祭り。
この日だけは身分もなにも関係ない。
ホーリーの何日か前になると、町の至る所でカラフルな色粉や水鉄砲なんかを売り始める。

ホーリーの前日に路地を歩いていると、どこかからいきなり背中に水風船を投げつけられた。
上を見ると家のベランダから子供が嬉しそうに笑っている。ホーリーは明日から。フライングだ。

当日、いつもより騒がしい外の音に起こされた。
ゲストハウスのお父さんには、「バラナシのホーリーは危険だから外に出ない方がいい」と言われたけど、「ホーリーを体験するためにここに来たんだ」というと「どうしても外に出るならお金もパスポートも全部置いていきなさい」と送り出してくれた。
ホーリーで若者が暴徒化したり、どさくさに紛れてスリを働くやつも多いらしい。

ホーリー中の町中はまさにカオス


外に出ると町中の店のシャッターが降りていて、爆音の音楽に合わせて若者たちが踊り狂っている。
ハロウィンの渋谷みたいだ。
仮装してる人もいる。

古いシャッター街でこんな仮装の奴らが踊っている。ゾンビ映画かなにかみたいだ。


真っさらな格好で歩いているおれは、すぐに近くの集団に目をつけられると、一気に囲まれて顔から体から全身に絵の具みたいなものを塗りたくられたり、バケツや水鉄砲でびしょびしょにされた。
おれは応戦するにも、武器をなにも用意してなかったからやられっぱなし。

たった数分で白かったシャツはこんな。顔は真紫だ。


外国人だろうとお構いなしで、全身にベタベタと色粉を塗りたくり合う。
この日は外に出たら、誰にどんなに汚されようも恨みっこなし。
子供も若者も老人も。牛も犬も。とにかく街中がカラフルに染まっている。
最後にはやった方もやられた方も「ハッピーホーリー!」という合言葉でハグをする。
こんなカオスでハッピーなイベントが国全体で行われている。

宿に帰ってすぐにシャワーを浴びたけど、いくら石鹸で擦っても顔の色が落ちない。
共同のシャワールームを出ると、宿のお父さんに出くわした。
お父さんはおれの顔を見るなり思いっきり笑う。

デリーに帰るくらいまでこの顔で過ごすことになりそうだ。
夕方、ホーリーが終わった頃、お腹が空いて紫色の顔を恥じらいながら外に出ると、道行く人たちみんなおれと同じ色の顔をしていてこっぱずかしさは吹っ飛んだ。
ホーリーが終わってから何日かは、地元のおじさんも、欧米人のヒッピーも野良牛もみんなおれと同じ紫色の顔をしたままいつも通り日常を送っていた。


ガートはバラナシの憩いの場

ガンガー沿いにたくさんのガートが並んでいて、ひとつひとつに名前がついている。


ガンガーのガートはカオスなビーチみたいだった。
川幅が広く風通しがいい。
こっち岸は川のギリギリまで建物がひしめき合ってるけど、反対岸は、建物ひとつない砂漠みたいになっていて、奥には木々しかなさそう。
なにやら河の反対岸は"不浄"という概念があるらしく、誰も住まないらしい。
ボートで降り立った観光客が観光用のラクダに乗ってるのが見えるくらいだ。

こっち岸のガートはみんなの憩いの場、若者も老人もサドゥー(修行者)も牛もゆっくりとした時間を過ごしている。
子供はこの聖なる川で泳ぎ、隣ではおじさんが沐浴をしてる。
お姉さんは川の水で洗濯をして、ガートにロープを張り、色とりどりのサリーを干している。

ガートに座ってチャイ売りに声をかけて1杯5ルピー(8円)のチャイを飲んだらもう最高としか言えないシチュエーションだ。

堂々と静かに流れるガンガーの前では、こんなに賑やかなガートでもなんとなくみんな穏やかに見える。
ただもちろんここはインド。
ガートを散歩すると1分に1回は誰かしらが寄ってくる。
土産物売り、ボートの勧誘、ホテルの客引き。ガンジャ売り、路上床屋、勝手に手をニギニギしてきてマッサージ料金を請求してくる奴。
メインガートになっているダシャシュワメードガートあたりは特に商売のバラエティに富んでいた。


毎日夕方の涼しい時間になると、小さなガートでぼけーっと過ごした


火葬場


ある日、ボートに乗っかって、火葬場を見に行ってみることにした。
ありえなく高い金額を提示してくるおっさん船頭が多い中、かなり安く乗せてくれる大人しいお兄さんに出会い乗せてもらった。

のんびりと聖なる河を水上散歩


ガンガーの火葬場があるマニカルニカーガートが見えてきた。写真を撮ることができるのはこのくらいの距離まで。

マニカルニカーガート


たくさんの薪が積まれ、河のすぐそこで、囲いもなにもない所で死体が焼かれている。
空の高くに溶けて行く煙は24時間、365日上がり続けている。
陸に上がるとすぐにおっさんが勝手にガイドを申し出てきて、彼について周る。

奥の建物も火葬場だ。
建物の上の火葬場はカーストの高い人が焼かれる。
川沿いの地面では一番カーストの低い人やお金のない人が焼かれる。
火葬場の隣には解体途中みたいながらんとした建物があり、そこは"死を待つ家"と言われていた。
刑務所みたいな何もない小部屋で、インド中から集まった死期を悟った老人たちがただ死を待っている。
彼らはここで、観光客からのドネーションなんかを自分の火葬の薪代として集めながら死に、この火葬場で荼毘に付され、骨になって目の前の聖なる河ガンガーに還るまで、ただ何をするわけでもない毎日を過ごす。死を待っている。

インド人、ヒンドゥーの人たちにとってガンガーに還るということはとても幸せなことらしい。
バラナシの町では人混みの商店街を、担架みたいなものに乗ってサフラン色の布を巻かれた遺体が火葬場に向かって運ばれるのをよく目にした。
そして薪の上に乗せられ、お祈りをされたのちに家族、赤の他人、おれみたいな外国人観光客の目のある場所で焼かれていく。
すぐ隣では子供が野良犬と遊んでいたり、牛が寝ている。
明らかに人同士の距離の感覚が近いこの国の人たちらしい最期だと思う。
日本で育ってきたおれには、自分が死んで焼かれていくのを、例えば道端で他人に見られるなんて想像もできないことだ。
それに日本と違うのは、死が悲しいことということに終始していない感じがする。
生の反対が死じゃなくて、生の先に死がある。生を全うしたことへのリスペクトみたいなものがある気がする。

どこかのおばあちゃんの細い脚がパチパチと音をたてながら焼け落ちていくのをただずっと見ていた。
どんな気持ちだろうか。この国の人の宗教観や生活に触れながら旅をしてきて、なんとなく想像はできてもその気持ちの大きさはインド人でもヒンドゥーでもないおれには一生わかることではないと思うと少し寂しくなった。

ガイドからは薪代を払えとありえないような高額を請求された。
きっとそのお金は薪代にはならないだろう。
20ルピー札を見せて、「これしか払わないよ」というと彼はそれを受け取ろうとせず、「もっと寄越せ。これはカルマだ」とか言ってくるので、「要らないの?じゃああげないよ?」と20ルピー札をしまおうとすると、彼はそのお札をおれの手から乱暴に奪いとっていじけた顔をして行ってしまった。

1ヵ月以上、毎日こんな感じのことがあるので、もう鬱陶しいのをとっくに通り越して、いじけた顔で行ってしまったおっさんが子供みたいで少しかわいいとすら思える。

超満員のボート



バラナシでは丸々1週間、ゆっくりと過ごした。
毎日ゆっくり起きだして、決まったような店でご飯を食べて、町をほつき歩く。
日本語ペラペラのインド人、ソナの店がベンガリートラにあって、居心地が良く毎日のようにラッシーを飲みに行った。
ソナはラッシー屋だったり貸本屋だったりチケット屋だったり、日本人の相談にも乗ってくれるようなナイスガイななんでも屋だ。
ソナの店の他にも、バラナシには他の町で飲んだ(食べた?)ラッシーよりずっと美味しいラッシーが飲める店がたくさんあった。

ソナの店のチョコバナナラッシー


ベンガリートラあたりのカフェで本を読んだり、道端でチャイを飲みながら土産物売りの子供と適当なことを喋る。
夕方になるとガートでガンガーに沈んでいる夕日をただぼけーっと見る。
こんな贅沢な光景が1週間という時間で少しずつ"日常"になっていた。
これが沈没することの一番の醍醐味なんだ。


毎晩、日が落ちるとダシャシュワメードガートにステージが組まれてプージャ(お祈り)が始まる


夜になると散歩をしながら、どこかでご飯を食べて近所の商店でお菓子や飲み物を買ったり、道でフルーツなんかを買って帰る。

聖なる河、ガンガーの川畔での日常だ。
町はとにかく小さな路地まで人が多く雑多だけど、川があるだけで町に不思議なバランスが生まれる。


沐浴

バラナシを経つ日の朝には、自然と気が進んで、ガンガーで沐浴しようと思った。

ハリドワールのガンガーで沐浴する人たちを見ていたときは、完全に傍観者というスタンスでいたけど、それからインドの旅を続けて、バラナシのガンガーの川畔でしばらく過ごしているうちに、この濁りきった河を神聖なものとして、生活の一部として生きている彼らの気持ちにできるだけ寄り添いたいという気持ちになってきた。

もちろんこの国生まれてヒンドゥーを敬虔に信仰してきた彼らの感覚には到底及ばないけど、同じ場所で同じ行為をすることで、ほんの少しは近づけるかもしれない。

この川の水は現地の耐性がある彼らにはどうってことないんだろうけど、外国人でガンガーに入って体調を崩した、みたいな話はインドの旅ではぼったくりと並んでとてもありふれたエピソードだ。
むしろなにも異常がなかった人の方が少ないようなイメージだ。

久しぶりの早起きをして早朝に宿のすぐ近くの小さなガートに来た。
この時間のこの小さなガートにはあまり沐浴している人がいなかった。
朝靄があたりを包んでいて、どこかからお祈りの言葉が流れていた。
いつも見ていたこの川だけど、やっぱり入るとなると緊張する。
サンダルを脱いで一歩水に足を踏み入れると、ヌルッとしたヘドロみたいな気持ちの悪い感触を足の裏に感じる。
それに思ったよりもずっと朝のガンガーの水はひんやりと冷たい。
滑らないようにゆっくり一歩ずつ歩を進めていく。
やっと胸くらいの深さの所まで来る頃には、水の冷たさにもだいぶ慣れてひんやりと気持ちよかった。

沐浴の習慣も、ヒンドゥーの教えもないし、日本の神社に行ったような感覚で、この川の水に肩まで浸かり、河の向こうから昇りはじめた太陽を眺めながら小さくここまでの旅の無事に感謝をした。

ガートに上がると、とてもすーっとして気持ちよかった。
滝に打たれた後の感じに似てる。

ガンガーで沐浴という、目的というか大きなイベントを終えてしまうと、いよいよこの旅の終わりを感じる。

インドを旅するにあたって最初に思い浮かんでいたのがバラナシのガンガーだったし、それを漠然と最終目的地にして1ヶ月以上旅を続けてきた。
ガンガーに沐浴までしてしまったら、旅もそろそろ終わりなんだろう。

ここまで大まかにインドのフルコースのような旅をやってきて気が済んだような感覚もあるけど、
散々早く帰りたいと思いながら毎日過ごしてきて、やっぱり帰るとなると名残り惜しい。
インドで過ごす時間もいよいよほんのわずか。


インドに呼ばれて 7 最終章 につづく↓

インドに呼ばれて 5 仏教の大聖地ブッダガヤ↓

バラナシでホーリー↓

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