見出し画像

インドに呼ばれて 5


デリーの北、ハリドワール、リシケシュの旅を終えて、またメインバザールの定宿でのだらだらとした生活を送っていたおれはいよいよ最後の旅に出ることにした。



ブッダガヤで感じたアイデンティティ

町中での足 オートリクシャー


ニューデリーから夕方に出発する特急列車に乗り込んだ。
いつも通り、等級のないエアコン付きのスリーパークラスのチケットを取ったんだけど、手違いで全く同じ座席番号の人がもう一人いて、困っていると、隣に座っていた袈裟を着た欧米人が車掌に説明してくれて、おれが移動することになった。

車掌に着いてこい、と案内されたのは1Aというランク、1等の席だった。
1Aはもはや席ではなく、個室になっている部屋に、2段ベッドが二つある。
トイレとシャワーこそないけど、エアコンも効いていて、寝具までついている。普通にゲストハウスのドミトリーみたいだ。
こんな列車だったら何十時間の移動も苦にならない。

そんな贅沢な部屋で相部屋になったのは明らかに身なりの良い家族だった。

見たことのないくらいパリッとしたシャツを着たおじさん、高そうなサリーを着たお淑やかで上品なおばさん。
明らかにいい物ばっかり食べてそうな10歳くらいの恰幅のいい女の子。

3人家族で、1つベッドが空いているからと当てがわれたんだろう。
完全な個室に言葉の通じない見知らぬファミリーとおれ一人、という空間は最高に気まずいし、なかなかサイケな夜になりそうだ。

出発してしばらくすると食事が運ばれてきた。1等には食事が付くらしい。

お母さんが「あなたも一緒に食べなさい」と言ってくれたのでベッドから下を見下ろすと、そこには4人分の食事が並んでいた。

本来無等級のおれの分まで用意されていたのだ。
こうして4人で不思議なディナータイムが始まった。

食事をしながら簡単に今までの旅のルートなんかを説明したりするとお父さんとお母さんはおれの下手な英語に真剣に耳を傾けてくれた。
娘は食べ終わらないうちからタブレットで熱心にゲームかなにかをしてる。
この国でタブレットを見たのは初めてだ。

彼らは見るからに富裕層だった。
カーストの名残もあって、格差が大きいインドでは身なりを見れば、金持ちかそうでないかすぐにわかる。

コンノートプレイスあたりでショッピングをしてるリッチピープルというようなファミリーだ。
これまでそういう人たちと接したり話す機会もなく、どちらかといえば貧困層や庶民の優しさみたいなものに助けられながらここまで来た。

ただ、この家族には今まで会ってきたインド人にはない心のゆとりがあったし、インドでこんなに上品で柔らかい感じのする人たちに会ったのは初めてだった。

もちろん貧しい人がそうじゃないとは言わないけど、豊かな暮らしが育んだ余裕みたいなものがあって接していて自然とリラックスできた。

それはどこか感覚が近い気がしたから。
インドの貧困層みたいな水準で暮らしている人は東京にはなかなかいないだろうし、
大まかに見れば、東京から来てぶらぶらと旅をしているおれも明らかにこの家族と同じ、物理的に豊かな人間なんだろう。


深夜、「もうすぐガヤーにつくぞー!」というお父さんの大きな声で目が覚めた。

家族は降りる駅はまだ先みたいだ。
こんな夜中にこの駅で降りるおれのために自分も起きておれを起こしてくれたお父さんの優しさに、お礼を言って列車を降りた。

インドの列車にはアナウンスはほぼなく、あっても早口でさっぱりわからないヒンディー語。
それに予定時刻通りに運行しないことが多い。
おまけに携帯の電波も入らなかったりするから現在地の見当が全くつかない。
外国人としては電車を降りるのがちょっとしたギャンブルなのだ。


ガヤーの駅に着いたのは明け方4時くらいだった。人もまばらで真っ暗で怪しげな夜中のガヤー駅。

プラットホームを歩いてると、足元にちょろちょろと水が流れてきて、その流れを辿ってみると、おばあちゃんが思いっきりこっちにお尻を向けてサリーを捲り上げて大股を開いて立っていた。
そして、おれがそれがおしっこだと理解するかしないかくらいのタイミングで、ぼとっとうんこをした。
真夜中の衝撃的な映像だった。

駅を出るとたくさんのリクシャーの客引きに囲まれてた。
市場のセリの要領で値段をどんどん下げていき、一番最後のまで手を上げていたお兄さんにブッダガヤまで乗せてもらう。
この値段交渉スタイルはインドの旅に慣れた旅人たちの受け売りだ。

宿も取ってないし、もちろん土地勘はないので、とりあえず町の中心であろうマハーボーディー寺院を行き先にした。

リクシャーで肌寒い夜明け前の風を浴びながら走っているうちに、うっすらと向こうの夜が白んできていた。他に灯りなんてないような真っ暗い道を爆走していく。

リクシャーを降りて、真っ暗で誰もいない町を少し歩くと、向こうにライトアップされたマハーボーディーの塔の頭見えた。

遠くから聞き馴染みのあるイントネーションによくわからない言語の乗ったお経の声が聞こえる。
うっすらとした朝の光越しに、続々とサフラン色の袈裟を見に纏ったチベット系の僧侶たちが集まってきていて、仏塔の前で座禅を組んで瞑想しているのがみえた。

まるで死ぬ前日の夢の中みたいな美しい光景に"最大の聖地"に来た実感が湧く。
ブッダガヤ、マハーボーディー寺院は仏教の最大聖地。
この寺院の横にある菩提樹の下でブッダは瞑想に入り、悟りを開き"ブッダになった"のだ。
世界中の仏教徒が1度は訪れるべき最重要聖地と言われているのがここマハーボーディー寺院なのだ。

寺院から少し歩いた所の安宿のおばさんを起こしてチェックインをした。
部屋の壁にはヤモリがうようよといる部屋だ。

町で見かけたブッダガヤで一番お洒落なサリーのおばさん


ブッダガヤはとにかく暑かった。
ラジャスターンみたいに乾いた暑さじゃなく空気のこもった、日本の田舎の盆地的な暑さだ。
毎日昼間は40℃近くになっていた。
それでもやっぱり現地の人はみんな涼しい顔をしている。
畑の横の沼にはたくさんの豚がひしめき合うようにして行水してた。


ブッダガヤは今まで旅した町よりさらに田舎で、町というより村という感じ。
近所にポツンと一つ、畑の横に派手なプレハブ小屋みたいな食堂があって毎日通った。

この店のお客さんは袈裟を着た僧侶が多かった。
どこの国からきたのかわからない浅黒い肌の彼らの食事は不思議なもので、おかず(いろんなカレー)もご飯も漬物も全て托鉢の鉢に放り込んで一緒くたにして食べていた。
大勢で会話もしないで黙々とあっという間に食べ終わると、一斉に水道で鉢を洗って綺麗に拭いて帰るのだ。
そんな風変わりな光景を見ていると、一人での食事も退屈しなかった。

食堂。モモやネパールカレー、オムライス、カツ丼と海外からの仏教徒向けのメニューがあった。



マハーボーディー寺院と日本寺

マハーボーディー寺院

マハーボーディー寺院。
チケットを買う列に並んでいると一人の少年が日本語でガイドをすると話しかけてきた。
「フリー、フリー」というけどこの手のガイドは後でしつこくお金を請求してくることは知ってる。
断りながら歩き進んで行くと、チケットを確認される入り口のギリギリまで彼はついてきた。
入り口で靴を脱ぐ。
この時間の強い日差しで石造りの地面はとんでもない熱さ。
それに動じないインドの人たちは足の皮が分厚いんだろう。
思ったよりも敷地は小さいけど、仏教徒から欧米の観光客までたくさんの人が来ている。

寺院の中にあるのは黄金の仏像


塔の中に入ると"SILENCE"の立て札とともにひんやりとした空気と静寂。
鮮やかな仏像に静かに祈る人たち。

世界中からたくさんの仏教徒が集まってくる

今までたくさん見てきたヒンドゥー教の宗教施設とは様式は違うけど、その場の雰囲気は通じるものがある。
生活の中でなにかを信仰する人たちの姿はとにかく美しいし、なんだか少しほっとするものがある。
崇める対象は違ってもなにか信仰する心はひとつのような気がする。

仏塔の周りで座禅を組む人たち。
脇の菩提樹の周りの狭いスペースには、地面に平伏すように礼拝している人たちが、あちこちにいた。五体投地というものだ。


日本寺

ブッダガヤの町には、中国寺、タイ寺、スリランカ寺、ブータン寺、チベット寺、ミャンマー寺、ネパール寺と、仏教の根付く国の寺が点在している。
日本寺は中心から少し外れたところにあった。

日本寺に入ると、日本国内の寺となにも変わりない、造り、線香の匂いにインドにいることを忘れてしまう。

がらんと涼しい堂内。
ちょうど夕方の禅の時間。
日本人のお坊さんがお経を読み始める。
ひんやりとした床に座禅を組む。
この時間はおれ一人だった。
座禅の心得もなく、とにかく心を落ち着けて目を瞑っていると、日本の心を強く感じると同時にどんどん肩の力が抜けていく。

きっと日本の寺でやるよりも、遠い異国だからこそ日本を強く感じているのは明らかだ。
日本にいたらこんな気持ちではないだろうし、おれは敬虔な仏教徒ではない。
ただこの場の空気を吸っていると、日本では芽生えない、体中が日本人としてのアイデンティティを発している感じがした。
日本に対してこれといった感情もなかったし、愛国心もそれほどないおれだけど、やっぱり紛れもなく日本人なんだ。


買い物はもっぱらセブンイレブン(偽物)


ブッダガヤでは毎日のような怪しすぎるネパール人に、「バイクで有名な寺に連れて行ってあげる」と付き纏われ続けた。

ブッダガヤの町は狭く、毎日道やレストランでばったり出くわしてしまって、そのたびに「まだしばらくブッダガヤにいるから気が向いたらね」とようやく振り払うがストレスだった。
途中から「ブラザーだ」と、見るからにに育った地域の違うであろう顔のつくりをした奴を紹介され、2対1でしつこすぎる勧誘を毎日2〜3回ずつ受けた。

寺院以外になにもない田舎町でなんだかんだ5日くらい、存分に暑さと仏教の匂いを味わい、次はいよいよバラナシへ。
旅の最終目的地だ。

勝手に相乗りさせていく商売熱心なリクシャーでガヤー駅までのドライブ。




インドに呼ばれて 6  This is インド バラナシ編 はこちら↓



インドに呼ばれて 4  デリーからさらに北 ガンジス河の上流へ ↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?