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教えを語るという機会の減少について(私見)

僕は、信者が日常的に教えを語らないような宗教に明るい展望があるとは思えない。
天理教はどうだろうか。おそらく、その機会が少なくないと思う。

しかし、まだまだだ。信者の教えへの関心、それを語るという前向きな姿勢は十分だとは言えない。

なぜ、そうなるのだろうか。
僕は①"恥じらい"と②"倦厭"という二つの要因から考察してみたい。このように二点に絞ってはみたものの、僕の調査不足から、なお見落としや誤解が少なくない。また他の要因も考えられると思う。「私見」と題し、読者のご教示を願う所以である。

まず、①"恥じらい"についてである。当然、話し手が感じる恥じらいだ。これは突き詰めれば、a語る者の勉強不足という側面と、b天理教学がもたらした功罪という側面とに分けて考えることができる。

自分より信仰の年限や経験、知識が多い人の前で話をするのは誰しも多少の恥じらいがある。前に出て講話するわけでなくとも、同じ空間で信仰上の討論をすることさえ、ある種の緊張が伴い、一つ一つの発言に勇気がいる人も少なくないであろう。

それは、話し手が自身に対して感じる"至らなさ"と"プライド"、あるいは批判されたくないという"自己擁護"の気持ちからくるものである。

今一つ、天理教学の功罪ということも取り上げてみたい。
戦後、復元が提唱され、中山正善二代真柱様を中心として構築された天理教学の路線は、一見はなばなしい展開を遂げたようにみえる一方で、思わぬ代償をはらうことになった。


それは、曖昧さを排除したことで、自由な問いかけと討論を封じたということである。

よく言われるのは、「月日のやしろ」となられた後の教祖の言葉を"神の意思の表明"とみるか"人間の経験の表現"とみるかの二者択一を迫り、二つの観点を曖昧に包み込んだ解釈を禁じた点である。

もちろん、おやさまの教えが人間的な経験の表現であるとは思わないし、そう理解されるべきではない。

しかし、教祖の内面の展開を理解することの一切が禁じられ、人間的な感情や思案からまったく切り離された解釈しか許されない今の天理教学の世界はやがてゆきづまりを感じるか、あるいは薄情な理論武装がされつくして刺激ある討論がなくなり研究が停滞するであろう。

この功罪が与えた影響は当然教学の世界だけではなく、異端と見なされたくない、おかしな理解をしていると思われたくない人々が、教えを口にすることを"恥じらい"躊躇うことにもつながってしまった。

教会本部の権威のもと発行された解釈の枠組みを超克した理解に対して異常なまでの厳しい目が当てられる。

もちろん、異端的理解は言語道断である。

しかし、原典解釈の幅を狭めるということで自由な問いかけと討論をする余裕が失われた世界では、誰しもが教えを語れるわけではなくなってしまった。

あまり深くまで"天理教学"の勉強をしたことがない人のピュアで無邪気な解釈に、教学者のするどい目線が光るためである。

かといって、知識人に教えを乞うことをするだろうか。そういった立場や講義のご用をあたわった人でなければ、そこまでの関心を持たず、知ることを怠るのが普通ではないか。事態は人間の感情も交え、複雑さを増大させる。

②"倦厭"ということも、また一つ、信仰を、教祖を語らなくなってしまった要因である。
上記でみてきた、①"恥じらい"は語り手の感情を代弁したものであるが、これからみていく②"倦厭"は聞き手の本音に傾聴するものである。

"倦厭"。つまり毎回同じような教えを聞くことに飽きてしまったのである。

これについても、煎じ詰めれば二代真柱様がはめた理解の枠組みを守り抜き、その土俵の中心部(いわゆる天理教学的理解)でしか討論しないことにすべてのエネルギーを注いだ、今までの研究の軌跡にこそ問題点がある。

つまり、ある程度研究が進み、重箱の隅をつつくような理論武装が終われば、天理教学は完成したかのように見え、研究者は不要となりかねないのではないか。

また、さまざまな講習や講義の場においても、日常的に語るシーンにおいても、天理教学が敷いたレールを脱線することは、およそ許されず、教義として裁定した正論を前に、自由な言い回しや解釈は死屍累々を築くしかない。

ほぼ固定された話を聞く者は、教えを聞くこと自体に"倦厭"してしまうようになり、やがて教えに対する無関心や自分が立ち入る世界ではないと敬遠してしまうようになったのが、現在の天理教における信仰の語りの状況ではないだろうか。

これまで、①"恥じらい"と②"倦厭"という観点から、教えを語らなくなってしまった原因について、思うところを述べ、そのほぼすべての責任を二代真柱様のはめた天理教学という強固な枠組みに押し付けてしまった。
しかし、これだけは言っておきたい。僕は中山正善二代真柱様が大好きであると。

『おふでさき』の公刊をはじめ、間違いない史実だけを記した『稿本天理教教祖伝』の発行。その他、書き連ねると枚挙にいとまがない功績の数々。そして何より天理図書館や天理教教義及び史料集成部を通して、研究者でなくとも、これだけの史料が閲覧できるような環境をお整え下さった親心に敬慕の念しかない。

しかし、だからこそ、彼の研究を越えていく義務が我々にはあり、天理教学というロープでかたく縛りつけられた枠組みをほどいて、おやさまの教えが持つ無限の可能性と展開性に目を向けていくべきだと思う。

まだまだ、復元は終わっていない。いや、むしろこれからなのだ。来るべき天理教学のために、いやそれは「おやさまのかたり」「信仰のかたり」という姿となって、令和以降の信仰者を導いてくれるようになるために、今の僕にできることはなにか。

天理教学の枠組みに対して、果敢に揺さぶりをかけることと、自由な問いかけと討論がゆるされ、各々が「私の教祖」をもって信仰できるようになった世界で、なおこれだけは守らなければならないというガイドラインをひくことに尽力することだと思っている。

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