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【前半】アマガミは「マナザシ」

皆さんいつもお世話になっております
んぱんてと申します

さて早速ですが、本日は2022年クリスマスイブ・そしてアマガミASMR完結……そしてそして2023年下半期アマガミASMR第二弾配信決定を記念しまして、ちょっとしたアマガミ考察(妄想)を綴りたいと思います。

前回は絢辻詞というキャラクターに考察の焦点を絞りましたが、今回はより広く 恋愛シミュレーションゲーム『アマガミ』についての記事でございます。
(前回の記事はこちら)

今回の記事では『わんわんディスコフィーバー』から「絢辻さんの手帳の謎」まで、幅広くアマガミの構成要素に目を向けつつ「アマガミとは一体何なのか?」を皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

前回に引き続き乱文失礼いたします。
また『アマガミ』本編および『ちょおま』『ぬくぬくまーじゃん』『アマガミASMR』等のネタバレとなる内容を記述するおそれがあります。あらかじめご了承ください。

絢 辻「では不本意ですが、1から説明します」

絢辻詞「アコガレ」(39, 42)より

① アマガミを「見」つめなおす

「私をつけて」──絢辻詞
「ダ〜メ ちゃんとこっちをて」──森島はるか
「ず〜っとてるからね」──桜井梨穂子
「そんなにないで下さい」──中多紗江
「ふふっ みんなてますよ」──七咲逢
「なんでもお通しよ」──棚町薫

『アマガミ』公式サイトより

『アマガミ』発売前広告にて各ヒロインに添えられたこれらのフレーズ。(現在『アマガミ』公式サイトから壁紙がダウンロード出来ます)

おそらくアマガミストであれば誰もが一度はたことがあるでしょう。
特に絢辻詞の「私をつけて」は彼女のキャラクターを理解する上で重要なテーマであり『アマガミ』の真骨頂といっても過言ではありません。

これらのフレーズ、それぞれのヒロインの口調でありながら実は厳密には作中の台詞ではないのが特徴的ですね。
大抵こういった「キャラ+台詞」を大写しにする広告では作中の代表的な台詞を合わせるものですから、少し特殊なケースと言えましょう。

これらのフレーズにはもう一つ不可思議な特徴がございまして……
というのも、全ての台詞に共通して漢字の「」という字が採用されているのです。
しかも実際の画像をご覧くだされば一目瞭然なのですが、ただ字面に含まれているだけではなく全ての「見」が赤字で強調されているのです。
(『キミキス』でも同様の広告があるのですが、あちらはキャラごとに別の単語が強調の対象になっています)

それは当然何かしらの企てがあってこのような表記がなされているわけですが、一体なぜ「」が強調されているのでしょうか?

たとえばタイトルが直接的に「」に関連するとか、物語上で明確に「」ることがテーマになるとか……そういった「コレ!」という答え合わせが用意されているものではありません。
したがって、この「」には無限に解釈の余地があるのです。

皆さんはどのようにお考えでしょうか。
本日はそんなところから考察を始めたいと思います。
もちろん全部読んでくださると大変ありがたいのですが、お忙しいでしょうから気になる部分を掻い摘んでいただければと思います。

② 「主人公」に向けられるマナザシ

思えば『アマガミ』は壮大な「マナザシ」のお話なのです。

『アナザーロンリークリスマス』
言わずと知れた(?)アマガミ開発中の仮題です。
現在私たちが知り得る『アマガミ』とはジャンルから何まで全く異なるゲームの構想であったようです。したがってどこまでタイトルと内容が符合するかは分かりかねますが……
このタイトル『アナザーロンリークリスマス』
聖夜の晴れやかさとは対照的に「取り残されたひとりの夜」の寂寥に眼差す素敵な題名だと私は思います。
ここで言う「取り残されたひとり」というのはもちろん『アマガミ』のプロローグにおける主人公(以下、橘純一)のことであり、スキBADにおける各ヒロインのことであり……
はたまた絢辻詞の「わたし(D)」のことであるかもしれません。

こんなところからも分かる通り、アマガミの出発点は「ひとりの夜の寒さ」にあるのです。
この物語において選ばれなかった者はマナザシから取り残されて聖夜にひとり 自分の世界に閉じこもることになります。

『アマガミ』を読み解く上でプロローグを洞察することは非常に重要になるので、これから順を追ってストーリーの解説をしてまいります。
これがやたらと長いのをご容赦ください。

と、その前にまずは今作のプロローグの重要性について説きます。私はプロローグこそがアマガミが名作恋愛シミュレーションゲーム(以下、恋愛SLG)たる所以だと確信しております。

主人公「橘純一」のモノローグから始まる一連のお話がアマガミの物語を重層的に味わい深いものにしているのです。
アマガミは恋愛SLGでありながら「橘純一の物語」としてても非常に面白いのですよね。
この世に恋愛SLGは数多くありますが、彼ほど作品ファンから愛されている「主人公」を私は知りません。
いわゆる「喋る主人公」の中でもそれなりの個性派であり、変態紳士という何とも濃いキャラ付けがなされていますが……そんなキャラ性も含め広く受け入れられているように思います。
この作品は「主人公の個性が強すぎてシミュレーション出来ないよ!」という声がファンから上がることが少ない気がするのですよね。
そればかりか彼には熱心な固定ファンがつく始末。(かく言う私もいわば橘純一のファンでありますが)
つまり作品に「乗れた」人の大半は、橘純一にも「乗れた」のではないか。と思う次第であります。

それは一体どうしてか?

結論から申し上げると「プロローグが優れているから」というのが私の答えです。

ここから一般的な「主人公」像への持論を並べていきます。ご興味なければ次の項までスキップしてください。


ゲームジャンルの特質上、恋愛SLGの主人公というのは必然的に「頑張るぶさいく」を演じる羽目になります。

「ぶさいく」というのはいわゆる「奥手」や「鈍感」であったり、容姿や性的な魅力についての(自己)評価が低いことであったり、とにかく恋愛成就に不利な性質を有している(ようにえる)ことを指すことにします。(一般に言う不細工の意味合いとは違うので注意! チクチク言葉をつかってごめんね!)
そもそも「ぶさいく」でない(たとえば恋愛について自信があり積極的な)主人公の恋愛が何の滞りなく成就しても達成感がありませんし、あっという間にロマンスにアクセスできる人物に感情移入できる余地は無いかもしれません。
要するに恋愛の過程であるストーリーやゲーム体験を楽しむ上では主人公の「ぶさいく」という属性が欠かせないということです。これが恋愛のハードルとなるわけですから。

……設定された以上は主人公はそのハードルを越えなければなりません。「ぶさいく」の恋愛を成就させるための説得力のあるシナリオがなければギャップを埋めているのは不自然なご都合ということになります。
つまりそこには「ぶさいく」の克服であったり、あるいは「ぶさいく」がもはや問題にならないほど恋愛対象と個別性の結びつきを構築するストーリーであったり……が必要ということになります。

そのプロセスが「頑張る」ということです。内容はどんな形であれ何かを「頑張る」物語が十分に演出されているかがポイントです。会話モードを成功させるとか何かしらのパラメータを上げるとか、ゲーム性の部分にこの役割が充てられることも多いですね。このバランスがよろしくない「主人公」はしばしばなじられるわけです。(なんでコイツがモテるんだ、とか)

このように考えると多くの恋愛SLGや巷のラブコメ主人公は一部の例外を除いておよそ皆この「頑張るぶさいく」であると言えるのではないでしょうか。
割と当たり前のことを言ってますね
その文脈からするとアマガミの「橘純一」もまた「頑張るぶさいく」の典型的な主人公像であることになりそうです(繰り返しますが決して不細工な男ではありません。彼はカッコいいです)
それでは、どうして彼は特別に愛されているのでしょうか。

私はプロローグにて最初に提示される「頑張る」と「ぶさいく」の絶妙な塩梅がカギではないかと思います。

③ 「2年前のクリスマス」を見せるワケ

導入はおよそ主人公のキャラクター性を紹介するエピソードであります。
2年前のクリスマスの日、クラスメイトの蒔原美佳に約束していたデートをすっぽかされた……という回想から物語はスタートするわけですが
実のところ序盤は盛大な「ぶさいく」でない(≒モテ)要素の応酬です。
そもそも中学生男子が好きな女の子とクリスマスデートの約束を(かけ上)取り付けていること自体が恋愛SLGの世界において既にゴールしている状態と言えないでしょうか。実際はゴールしないわけですがゴール出来るポテンシャルがあることはお分かりでしょうか。

(梨穂子には女の子が喜びそうなプレゼントを聞いて……)

「プロローグ 」より

何とも罪な男です。ここで他にも懇意にしている女の子がいるということが明かされます。(この時点ではまだ関係性は明かされませんが)彼のことを「ず〜っとてる」幼馴染の梨穂子です。
皆さんご存じの通りに梨穂子は幼い頃から主人公に対して特別なマナザシを向け続けていた子なのです。
こんな風に、プロローグ序盤では2年前の橘純一が潜在的に「ぶさいく」でない(≒モテ)ことが大胆にも明かされていたんですね。
そしてそれを覆されるところで回想は終了するわけです。

蒔原美佳の企図不明の裏切りにより、彼にはクリスマスへのトラウマが植え付けられ、異性に対する自信の無さや尻込みする気持ちが芽生えてしまいました。
これが彼の「ぶさいく」獲得のエピソードなのです。

彼はその後、誰とも話さないために日々をやり過ごしました。つまり他者からのマナザシを遮断しようとする選択を取ったのです。
そしてその象徴がすなわち「押入れプラネタリウム」です。

自分で作った、誰にも見られない、自分にしか見えない空間に閉じこもることで彼はマナザシから逃れて行きました。
(★以下「押入れプラネタリウム」という言葉をシンボルとして多用します)

さてここまで「マナザシ」という言葉をしれっと用いてきました。これは哲学の言葉であるところの「まなざし」(regard)をアマガミ風に柔らかーくした概念だと思っていただけるとありがたいです。
当記事ではいくらか理屈っぽいお話をしますが、『アマガミ』以外の背景知識はほとんど必要がないことを目指しております。
厳密性に欠けることを承知であんまり堅い言葉を使わずお話ししますから、この先「マナザシ」が登場した際には、なんとなーく「ること」とか「方」とか「視線」のことだと思ってくだされば幸いです。
カッコつけてごめんなさいね。

④ 「美也」というマナザシ

プロローグ前半のお話をまとめると

  • 主人公の橘純一は意中の人を(3年越しにではあるが)クリスマスデートに誘えるような人物であった

  • デートをすっぽかされたトラウマにより橘純一は恋愛について消極的な気質(ぶさいく)を獲得した

  • 橘純一は他者の視線から逃れるために自分の世界(押入れプラネタリウム)に閉じこもっていた

ということになります。
ここまでただけで橘純一の背景が大体理解できるわけです。
特に「押入れプラネタリウム」は印象的です。デート当日の夜空をぴったりと複写したような星位(オリオン座)は、彼が今も過去のトラウマに囚われている様を視覚的に表現しています。
彼は決して動かない星を一方的に見つめることでもって精神の安定を図りました。
(それはつまりあの夜に嫌というほど体感した天球の動き(蒔原を待つ時間)から解放されるということかもしれません)

ここで言えるのは橘純一も他者に対するマナザシを閉ざしたということです。
かなり核心に触れるのですが、生身の他者というのはこちらがマナザシを向けるとあちらもマナザシを向け返してくる恐れが常にあるのですね。彼はそれを恐れました。

ここで少し変態紳士を擁護するような説を挟むと……
彼が「お宝本」に傾倒した理由もまた、決して動かない女性の肉体を一方的に見る体験への安堵ではないでしょうか。
すなわち絶対に彼をマナザシ返すことのない異性としての『ローアングル探偵団』というわけです。
(このタイトルが後ほどお話する絢辻さんの「書き殴ったアレ」問題の大きなカギとなります。まさか。)

このように思春期に他者(とりわけ異性)のマナザシを閉ざした主人公が「鈍感」であったり「消極的」であったり「変態的」であったりするのはある意味で当然だと言えましょう。これが橘純一を「ぶさいく」たらしめているのです。
最初にこの辺りの事情を知ることで、彼の奇怪な行動の数々に対しプレイヤーは(たとえ理解はできなくとも)同情的なマナザシを向けることが出来るのです。
そんなわけで私たちは変態紳士の変態的な部分をどこか憎めないように感じるのではないでしょうか。「ぶさいく」な部分のキャラ付けが本当に上手い塩梅なんですね。

さて、プロローグはまだまだ続きます。
そんな橘純一の閉じこもる「押入れプラネタリウム」の襖を開けたのは妹の美也です。
マナザシのお話をする上で美也は欠かせないキャラクターと言えます。
何を隠そう美也とは鈍感な橘純一に他者のマナザシを示してくれる存在であるからです。

──何を根拠に?

例えば美也チェックです。
美也チェックとは、ゲーム内の1日が終わる前に 美也がヒロインとの進展具合などを反映したメッセージをくれるちょっとメタっぽいイベントの俗称です。
目立った進展が無い日には例の“日々の積み重ねが──”というセリフを聞かせてくれるのですが、デートの日などはしっかりとバレていて茶化してくる……といった具合です。
(特に二股をかけている場合はあたかも全てをて知っているようなメッセージを投げかけられます。ドキッとします)

美 也「にぃにが一番好きな人って誰?
美 也「……ううん、何でもない。あ、明日は雪が降るんだって」

美也チェックより

「妹」であり「非攻略対象の女の子」であるという立場から最も客観的に純一の恋愛をつめる美也。
美也チェックの直前に表示される「好感度」の図と併せて、恋愛SLGではお馴染みの「女の子からの評価」を教えてくれる存在の役割を担っているのが美也というキャラクターなのです。

美 也「最近のにぃに、ちょっといい感じだね」
美 也「これなら女の子もほっとかないかもね」

美也チェックより


このように考えるとゲームの演出上の美也は他者のマナザシでおよそ間違いないわけです。
(なお、この点は前作『キミキス』における主人公の「菜々」から 自身の評判を聞く機能を継承していると言えますが、イベントによっては評判を聞けずじまいになることもありました。また菜々は美也よりも「攻略可能ヒロイン」としての性格が強く、比較すると美也の立場はより客観性の高い第三者であるように思われます)

では物語上の美也はどうかというと、先ほども述べた通り 彼の「押入れプラネタリウム」を開けてくれた人物なのですね。

少し思い出していただきたいのが、橘純一の誕生日イベント。
レベルが「スキ」に到達しているヒロインのいる場合のことですが、彼はヒロインからプレゼントを貰えず失望の中 帰宅します。
しかもそんな日に限って美也が不在。そんな彼が何をしたかというと、久々に「押入れプラネタリウム」に閉じこもることでしたよね。
これはひょっとするとかなり重要なお話かもしれません。

どうして彼が失望したかというと、彼自身もそのヒロインが「スキ」に移行したという手応えを感じていたからではないでしょうか。
つまり鈍感な彼なりに(美也の力を借りながら)ヒロインのマナザシを解釈した結果、貰えると期待していたものが貰えなかった……という挫折です。この挫折は彼のマナザシに対する恐怖を再び駆り立てます。加えて美也チェックも無いとなると、いよいよ女の子のマナザシが分からなくなり 追い詰められるわけです。

これは少し話が違ってくるかもしれませんが、実は彼「誕生日プレゼント」もトラウマの一部なのです。
あまり取り沙汰されませんが、彼がクリスマスデートに確かな希望を持っていたのは、蒔原美佳の誕生日にプレゼントを贈った時に喜んでもらえた……という成功体験があったからでもあるのです。

(何で約束はしたのに来なかったんだろう……。誕生日プレゼントを贈った時はあんなに喜んでいてくれたのに……)

「プロローグ」より

なにせ彼女の誕生日は12月21日。クリスマス直前の好感触ということもあり、彼女のマナザシを見誤ったのかもしれません。

あれ、彼の誕生日は……12月14日。ちょうど一週間前ですよね。
蒔原美佳からプレゼントは貰っていたんでしょうか?

(……少しこじつけのような気もいたしますが、彼がナーバスになりやすいイベントであるのは納得していただけるのではないかしら)

お話を戻すと、帰宅後すぐに美也が飛び出して来てくれたらどうだったでしょう。
あくまで仮定の話で恐縮ですが、私はきっと「押入れプラネタリウム」に入らずに済んだのではないかと思います。
美也がいつものように「好感度」のボードを持ってきてくれたら(そんな仕組みだったのか?)ヒロインのアイコンは確かに「スキ」に位置していることが分かるのですから。純一も不安がらずに済んだのではないかしら。
お肉も焼いてくれますし。

先ほどからサラッと「レベル」のお話をしておりますが、これを単に「好感度のことだ」と言い切ってしまうのは勿体ない気がします。
私は今作のレベルの概念に「時間に伴って変容するマナザシの在り方」と注釈を加えたいです。
「LEVEL 1」「LEVEL 2」「LEVEL 3」というのは決して愛の深さを示す数値ではなく、横軸である「時間」のことであると言えます。だから同じ「LEVEL 3」においてもスキソエンが両存し得るのです。
時間という横軸をとるからには、レベル変動とは それこそ「手帳を燃やす」ような不可逆性を孕むものであり得ますね。

もっとシンプルに「ヒロインとの関係性」とか言っても良いじゃないか、と思われるかもしれません。
たしかに「関係性」でも間違いではないのですが、私は敢えて「マナザシ」という表現を貫き通したいと思います。
簡単なところで言うと「テキタイ」って「敵対関係」というより「敵対視」の方がしっくり来ませんか。「アコガレ」もまた然り。

レベルが「マナザシ」の尺度であることを裏付けるもっと積極的な理由は、今後のお話の中でお伝え出来るかと思います。

それでは再び橘純一を取り巻くマナザシに目を向けていきましょう。

⑤ 「梨穂子」という一途すぎるマナザシ


橘純一をマナザシ続けてきた女の子は美也だけなのかというと、そうではありません。
先ほども申しましたが彼には梨穂子が居るんですね。ずるい。
それも幼馴染という立場から他のヒロインとは一線を画すマナザシであることが分かります。

(注 梨穂子にちょっと失礼なことを言いますが、貶める意図は断じてありません)

ぽちゃ「うん、プラネタリウムは確かにキレイだったなぁ〜」
ラブリ「……」
もじゃ「……」
ぽちゃ「あれ? ど、どうかしたの?」
イナゴ「ど、どうしてプラネタリウムのことを、知ってるんですか?」
ぽちゃ「それはほら、昔純一と一緒に押入れに隠れたときに見せてくれたんだ〜……って、幼馴染の女の子が言ってたよ!

ちょっとおまけ劇場「6人サンタ」より

『ちょおま』の「6人サンタ」にて、梨穂子だけは「押入れプラネタリウム」に入ったことがあるという描写がありました。
それもそのはず、私の意味づけの通りに捉えるならば橘純一が「押入れプラネタリウム」を閉ざした(=マナザシを遮断した)のは中学3年生の頃。
中学入学と同時に純一は蒔原に惚れてしまうわけですが、それ以前に彼の「押入れプラネタリウム」ふすまを開けていたのは紛れもなく梨穂子です。(だいぶ観念的な物言いで申し訳ありませんが、純一にとってのいわゆる異性の原体験という観点からた「梨穂子」のことです)

したがって他のどのヒロインのルートを楽しんでいる最中も、梨穂子とのデアイは強烈に意識せざるを得ないのです。

そんな梨穂子のイメージソングの題名が『』というのは何とも感慨深いですね。

時折考えるのは、もしも蒔原美佳が存在しなければ純一は中学の間に梨穂子とくっついてしまったのではないかということですが……あまりに無粋な仮定であり、もはやアマガミの文脈ではなくなってしまいますゆえ、詳しくお話することは控えたいと思います。
蒔原美佳が種を蒔かなければアマガミはスタートしないということです。
つまり梨穂子には実らない片想いのマナザシを純一に注ぎ続ける宿命があるわけなのですね(ごめんね

梨穂子とマナザシの物語は時に虚しく、純一からマナザシを向け返されることを願うあまり、ソエンではアイドル(=不特定多数の他者から一方的にマナザシを向けられる存在)になるまでに自分を変身させてしまうのです。そんな梨穂子のイメージソングの題名が『』というのはまことに皮肉ですね……彼に寄り添うはずがスターになっちゃった。

そんな彼女が「シュナイダー」という内なる他者のマナザシを伴ってレベル変動するのもまた大変興味深い事実です。
シュナさんは彼女の13歳の誕生日に純一から贈られたもの。
ちょっと辛い話なのですが、彼女の誕生日は4月12日。13歳といえば……中学入学直後ですね。中学の入学式で純一は蒔原美佳に一目惚れしまして……その直後に贈られたものなんです。
……彼女の本格的な片想いを支えてきたパートナーですよね。その日以来、彼が梨穂子の部屋を訪れることはなかったわけです。
物凄くシリアスに捉えるならば、桜井梨穂子が「彼を追い続ける自分(梨穂子)」と、「それを見る自分(シュナイダー)」に分離した証だったりするかもしれないです。

彼女にとってのアイドル活動は、「シュナイダー」の延長線上だということが言えそうです。


ここから完全に余談ですが……
こんなふうに主人公を攻略ごめんね)しようと直向きに「頑張る」幼馴染ヒロインは珍しいですよね。
これはもしかすると、かの「藤崎詩織」のアンチテーゼかと思ったりもします。

藤崎詩織というのは恋愛SLGの金字塔『ときめきメモリアル』のメインヒロインの名前です。主人公とは幼馴染の関係にありながら「高嶺の花」というキャラ設定であり、特に攻略難度の高いキャラとして名高いです。
そんな彼女を代表する有名なセリフがこちら。

藤崎 「一緒に帰って、友達に噂とかされると、恥ずかしいし…。

『ときめきメモリアル』 より

ゲーム開始直後の初期状態で一緒に下校しようと提案した時の反応がこれです。(家すぐ近くなのに? 幼馴染なのに? かなしい……)

もうお気づきかもしれないのですが、梨穂子との下校イベントにて、まるでこのシーンの再現のような選択肢があるのです。

桜 井「だから、一緒に帰らない?」
橘 「う〜ん……」

⚪︎それじゃ一緒に帰るか
⚪︎人に噂されると恥ずかしいから、一人で帰るよ

桜井梨穂子「デアイ」(32, 28)より

ひ、ひどい……

ここで大事なのは「ときメモ」とは立場が全く逆転していることです。

そんなところでまた『アマガミ』を別の角度からることが出来まして、それはつまり桜井梨穂子が「主人公」の恋愛SLGという解釈です。

たとえば梨穂子は「ぽっちゃり」という属性を克服するべく 「頑張る」(減量)わけですが、恋愛SLGにおいてこんな風に容姿】を磨くのは むしろ「主人公」の役割なのではないでしょうか。(なお、どう転んでも梨穂子は本当にかわいい。)

つまり桜井梨穂子は「桜井梨穂子の物語」の主人公として、高嶺の花であるヒロイン「橘純一(およびプレイヤー)」を攻略しようとしている……と。

こんな伝説の桜井説は却下していただいて構いません。

けれど、梨穂子がアマガミの作中で特に「やさしい」ヒロインなのは、もはや純一のマナザシ次第だから、というのはきっと間違っていないはずです。
「男子A」のイベント(31, 11)のように、彼女にあらためてマナザシを向けるキッカケが待たれます。

話が散らかってしまいそうなのでこの辺りでまとめると、
ほんわかとした梨穂子もまたマナザシについて難儀している人物であるということが分かります。
梨穂子は純一が自分の世界に閉じこもっている間もずっと「主人公」としてマナザシ続けていたのですが、彼がそれを感知することはありませんでした。
(だからこそ梨穂子と結ばれるエンドはお互い救われた気持ちになるのですよね、スキ。

さて、橘純一の閉ざしたふすまはなかなかに強固な様子です。

しかし、そんな彼に届くほどに鋭くマナザシを突き刺した人物がプロローグの中盤に登場します。

⑥ 「森島はるか」の青いマナザシ


『アマガミ』のキーパーソン、森島はるかです。

森島先輩を語る上で外せないのは、トラウマのクリスマスからちょうど1年後。
いわゆる「公園君」のエピソードです。
私の記憶が確かならば、中学3年生から高校2年生にかけての2年間に起きた出来事を回想するシーンは、アマガミの中でも大変珍しいのですよね。(パッと思い浮かぶのはこのイベントだけ……)
つまり橘純一の心が「押入れプラネタリウム」に閉じこもっていた間、他者と関わっていた形跡は絶妙にうっすらしているのです。(黒沢典子周りのお話とか特に)

そんな期間に森島先輩と出会っていたという重大な事実が判明するわけですが、何だか叙述トリックの様相です。

しかも、ただ出会っていただけではないのですよ。
少し順を追ってこの回想シーンを解説します。

森 島「今日はよく見えるわよね」

森島はるか「スキ」(55, 35)より

1年前のクリスマスの日、橘純一が丘の上公園で項垂れていると森島先輩がやって来て声をかけます。
森島先輩は初対面の橘純一に、海の向こうの山をるように促しました。

橘 「近くで見たら…… もっとすごいんだろうなぁ……」

森島はるか「スキ」(55, 35)より

彼はこのとき初めて海の向こうにある雄大な山を眼差し、思わず感嘆の声を漏らします。

森 島「ふふっ、見えると楽しくない?」

森島はるか「スキ」(55, 35)より

ここで純一にマナザシを向けることの尊さを説く森島先輩。

橘 (あ、この人……。よく見るとすごくきれいな人だな)

森島はるか「スキ」(55, 35)より

この瞬間、閉ざされていた橘純一のマナザシは森島はるかに向き合います。
彼が正面から女の子を見られるだけで大きな進歩なのですが、これだけに留まりません。

森 島「やっぱり、似てる」

森 島私が飼っていた犬に」

森島はるか「スキ」(55, 35)より

つまり彼女は橘純一にマナザシを促し、向き合った上で彼をマナザシ返し、その様を亡き飼い犬「ジョン」と重ね合わせて肯定的に受け入れるというウルトラCをやってのけたのです。
(こんなの好きになっちゃいますわよ)

プロローグではその情報が開示されぬまま、漠然と橘純一の憧れの女性という位置付けのみ紹介されます。
そこでこの事情が分かっていると、なぜ彼があの朝 森島先輩をかけた直後に一念発起したのか非常に納得の行く説明がつくわけです。

さもなくば、彼のマナザシは並み居る「殿方の視線」(森島はるか キャラソング『わんわんディスコフィーバー』より)とおよそ同質のものとなされてしまいます。

この点については、言わばマナザシの観察者である美也が鋭敏に感じ取っているのですよね。
美也は彼のデレデレとした好色的な視線を良しとしませんでした。

私はそれと同時に「森島先輩から橘純一に向けられたマナザシ」も美也は快く思わなかったのではないかと推察します。

「デアイ」のイベント(36, 34),(37, 34),(36, 35)などを見る限り、やはり美也は森島先輩に敵愾心を剥き出しにしています。

これについて「アコガレ」のイベント内(43, 31)にて弁明が為されるのですが

美也「みゃーはね、別に森島先輩が嫌いなんじゃなくて、先輩の前でデレデレしているにぃにが嫌いなの!」

森島はるか「アコガレ」(43, 31) より

しかし、これだけでは「デアイ」で美也から森島先輩に向かって放たれた

美也 「なによ! ちょっと胸が大きいからって! いい気にならないでよね!」

森島はるか「デアイ」(36, 35)より

以上のセリフの説明が微妙につきません。
あるいは彼のデレデレとした視線の責任は森島先輩の肉体にあることを主張したいのかもしれません。結構まじめな話です。

そんなに深い意味は無く、嫉妬だとか、落ち度のない森島先輩にも八つ当たりをしたんだとか……その解釈でも宜しいでしょうが、それにしてはフォローが足りていないような気がいたします。

美 也「別に美也は森島先輩のこと嫌いなんかじゃないよ」
美 也「人気もあるし、明るくて楽しそうだし、いいなぁって思ってるけどさ……」
美 也「だって、先輩と一緒にいるにぃに、格好悪いんだもん」
美 也「ずーーーっと鼻の下伸ばしちゃってさ。そんなにぃに嫌いだよ」
美 也「だからついつい森島先輩に当たっちゃうんだよ……。もう! わかってるの?」

森島はるか「シリアイ」(46, 39)

ではどういうことかというと、美也なりに「二の舞を防ぎたかった」ということなのではないでしょうか。
客観的にて森島先輩の好意的な態度は「デアイ」程度の間柄の男子ならば誰にでもせるものであると……いわゆる八方美人(ごめんね)の振る舞いであるように映ったということです。
『超初期人物相互関係図』(高山箕犀個展&アマガミ10周年記念展覧会より)を見てみると、「橘美也」から「森島はるか」には『油断できない』という矢印が伸びているんですね。しかも【みやの防御壁】という壁を2人の間に作ってるのです。
これは開発初期段階から美也には森島はるかから橘純一を防御する役割があてられていたということではないか。

橘 「ははっ、美也に自慢話までしちゃったよ……。僕って本当に間抜けだ……」

「プロローグ」より

2年前の兄は蒔原美佳の思わせぶりな態度に舞い上がりデートに誘って悲惨な結果に終わったことを、美也も当然知っています。
今度もまた「男殺しの天然女王に兄が殺される」シナリオが見えてしまったのです。

実際のところ「デアイ」の段階で森島先輩のペースに乗せられて告白したところ、彼は呆気なくふられたわけです。
(そしてその晩、彼はまた「押入れプラネタリウム」に閉じこもるのでした。その理由は言わずもがな)

ではなぜ「アコガレ」では過程を描写せずにいきなり和解していたのか。
これは厳正な美也チェックを経て森島先輩のマナザシが「アコガレ」に移行したことを悟ったからではないでしょうか。

森島はるかは元来マナザシについて非常に真摯な人物でありまして、それは彼女を知るほど分かってくるものです。
彼らがお互い誠実なマナザシを向け合っているのであれば美也の行動原理にも一致します。美也と森島先輩はかなり打ち解けた仲になれるのではないでしょうか。

※なお「シリアイ」(45,41)ではどのように美也と仲良くなったのかを森島先輩が教えてくれます。まず紗江ちゃんと仲良くなってから芋づる式で美也と話すようになり、共通の趣味(ダッ君)を見つけて意気投合した、ということらしく……塚原先輩の助言だそうです。策士。

ここまで森島先輩について振り返ってきましたが、ふと私の脳裏をよぎったのが
「アマガミのメインヒロインは森島はるかであるべきではないか?」
というご意です。(度々おかけしました)

ごもっともだと思います。
公式サイトの「Game Introduction:ストーリー」から閲覧できる あらすじには、なんと「森島はるか」しかヒロインの名前が出てこないんですね。
パッケージヒロインさんは……?)

そんな待遇のお話だけではなく、もっと積極的な理由もあります。

森島はるかは「橘純一の物語」のメインヒロインとしてあまりに相応しいヒロイン像なのです。
それは1年前の回想であったり、美也との関わりであったりと、至る所に要素が散りばめてありますが、一番肝心なのは彼女がマナザシを重んじる性格のヒロインであるということです。

彼女のシナリオは(特にスキ√では)橘純一が過去に向き合う覚悟を示すと、それに呼応するように進展していきます。
ふられることをあれだけ恐れていた彼は、クリスマスの日までに2度も森島先輩に告白をしました。
1回目の告白は森島先輩と噴水をている時でした。
つまり森島先輩が水をているそのマナザシが1年前の公園での(2人で海の向こうをた) 出来事を思い起こさせたから……と考えても良いかもしれません。

ふられてから橘純一は暫く後悔していました。
それでも2回目の告白に踏み切れた理由は、森島先輩が“ちゃんとふってくれた”からなんですよね。

橘 「僕が一番怖いのは……返事をもらえないことなので……」

森 島「そ、そんなことしないわ!」

森島はるか「アコガレ」(45, 31)より

ここでようやく彼も気づいたのかもしれません。彼が恐れていたのは「ふられること」ではなく「相手のマナザシが分からないまま終わる」(=蒔原美佳から受けた仕打ち)ということだったのです。

そして森島先輩は決して告白の返事を有耶無耶にしない人物でした。

実はこの転回に至った橘純一は怖いもの無しであり、既に森島はるか特効を獲得していると言えます(ごめんね)

“殿方の視線 釘付けにして”いた森島先輩は、一度ふった相手(異性)がまるで興が醒めたように離れていく経験をこれまでに何度もしているでしょう。

森 島「人付き合いって彼氏彼女だけじゃないと思うんだけど?」

森島はるか「デアイ」(38, 35)より

このようなスタンスの森島先輩にとってみれば、殿方の視線にある種の空虚さと不実さを感じていたのではないかと思います。
(このスタンスが形成されたのは彼女の3人の男兄弟が影響しているのではないかと推察します。つまり彼女にとって「彼氏彼女ではない仲の良い異性」との関係性のモデルがあるからこそ、ふった殿方も自分の兄弟のように振る舞うことを期待していたのではないかしら)

その殿方代表が「ハナヂ王子」や「撃墜王ミッキー」です。告白の返事をしている間も彼女自身からはインスタントな恋愛への軽い失望が見え隠れしますよね。

そんな中で橘純一だけは懲りずに2回目の告白をしてきた上、今後も恋愛感情を伴う関係を続けようとしました。

橘 「今日は駄目でも……。明日なら……。明日は駄目でも……来週ならOKかもしれない……そう思ったんです」

森島はるか「アコガレ」(45, 31)より

森島先輩もそんな彼の直向きなマナザシに心惹かれていきます。(彼のマナザシは事あるごとに「ワンチャンみたいな目」などと形容されています。森島先輩のツボにピッタリはまるようです。)

そういえばスキ√を基盤に構成されている『アマガミSS 森島はるか編』のエンディング曲のタイトルは何だったでしょうか。

『キミの瞳に恋してる』

でしたね。
そういうことです。

……どういうことかというと、曲の題名が示している通り、彼女は橘純一の瞳(マナザシ)に恋焦がれていくのです。
すなわち初めて恋愛のフィールドで彼をマナザシ返したのですが、その結果彼女はマナザシについての問題に直面します。

これまでのお話をまとめると、彼女が経験したことのある異性のマナザシは
「殿方(恋愛を伴うが一過性)」「兄弟(恋愛を伴わないが継続性)」か、二つに一つだったわけで、どちらにも属さない「橘純一(恋愛を伴う上、継続性を約束されている)」という「第三のマナザシ」には形なしなのです。

彼女のスキBESTは「第三のマナザシ」を彼女に信じさせるのが条件と言えませんか。

スキ√も終盤のお話ですが、3回目の告白がなかなか来ないことを森島はるかは不安に思っていました。
つまりその時点で自分は彼のことが「スキ」なのに、告白が無いということは橘純一もこれまでにふった殿方のように離れていってしまうのか(あるいは恋愛感情を失くして兄弟になってしまったのか……これは無さそうですが)

彼のマナザシが不明であるために彼女は実験を行いました。
それが「橘純一はシャワーシーンを覗きに来るのか」というとんでもない方法でした。

もし彼が殿方の視線をもって彼女をマナザシていたらどうでしょう。
きっと覗きに来るはずだと彼女は考えたのです。
……なんとなく彼女にとって殿方の捉え方が分かってきますね。
それは自分を一方的にマナザシの対象とする行為(のぞき)こそが殿方の本質という方です。
……言い過ぎかしら。

もちろん橘純一のマナザシはここで覗かないことで殿方の視線でないと分かるのですが、そうなるといよいよ彼女は弱ってしまうのです。
彼女は殿方に対しては「天然女王」という(外的な側面)をもって接する術を持ちますが、そうでない橘純一に向けられるが無いんですね。
だから照明を消したのでしょうか。そもそも裸体を見られたくないのならば実験自体が成立しませんもの。

と、ここまで述べてきたことが間違いでないとすると、この一連のイベントがスキGOODではあり得ないのはお分かりでしょうか。

前回の記事でも申しましたがスキGOODは女の子をひとり取り残す選択であって、橘純一に「裏切り者のクズ」の役割を担わせるものなのです。
一時の快楽のために女の子に思わせぶりなマナザシを向ける男……それはつまり疑いようもなく撃墜王ミッキーと同類の殿方ですよね。
実験するまでもなく森島先輩はそれを何故か理解していて、クリスマス当日に彼が3回目の告白をしようとした瞬間に遮ります。
これは恐ろしい話でもあるのですが、「森島はるか スキGOODエンド」とは、彼女が「男殺しの天然女王」の顔のまま、橘純一を「特別な殿方」として迎え入れる結末であると言えるのです。
この辺りはスキGOODのエピローグとスキBESTのエピローグを比べると納得していただけるのではないかと思います。
私が特に気になったのはスキBESTエピローグの以下のセリフです

昨日よりも今日が、きっと今日よりも明日の方が……
純一君の事を好きになってるの。

森島はるか スキBEST エピローグ より

純一君が2回目の告白の際に彼女に言った言葉に似ていますね。
つまり彼が説いた恋愛感情の継続性(永続性)を彼女も信じたということ。
「第三のマナザシ」を信じて受け入れたということかもしれません。

ダ〜メ ちゃんとこっちを

『アマガミ』公式サイトより

そんなところで、なにが「ダ〜メ」「どっち」ちゃんと 見ればいいのか、このフレーズの意味するところが分かってきたように思います。
……こんな具合に真摯にマナザシ問題に向き合う森島先輩を裏切る行為がどれだけ取り返しのつかない事態を招くのかはご存じの通りです。

また余談ですが、彼女の顔である「天然女王」って「わんわんディスコクイーン」のことなんですよね。
急に何を言い出すのかと思われるでしょうが。
彼女にとって殿方への精一杯の愛は「ワンチャン」扱いすることとして表出するのではないでしょうか。

スキGOODでは本物の犬を飼うことによって森島先輩のワンチャンを卒業した橘純一が見られます。(これはこれで本当に幸せそう)
裏を返すと3回目の告白からそれまでの間ずっと森島先輩のペットを続けていた橘純一が確かに存在するのですよね。
(なお初対面の「公園君」エピソードの時から既にワンチャンプレイは始まっていたわけですが……)

無論、橘純一以外の男性であればペットを越えた関係性になり得ないので、そこはやはり彼が特別な殿方(まだまだディスコキング)であったということになります。(はぁ……?)
この観点で『わんわんディスコフィーバー』の歌詞を追っていくと随所に「マナザシ」を出せるので、改めて聴き直してみましょうね。(????)

さて一方スキBESTでは少し様子が異なり、直接ワンチャンが登場するわけではありません。橘純一が刑事という「犬」(本当にごめんなさい!!)になったことがワンチャンの名残かもしれませんが、もはやクリスマスデート以降、彼女のペットであった形跡がありません。確証は無いのですが。

──ではナカヨシエンドは?

ナカヨシもワンチャンが登場しないエンドです。
前回の記事で考えをまとめている時にも思ったのですが、「ナカヨシ」は「スキ」に見受けられるようなマナザシ問題の葛藤が、ある程度どうでもよくなった物語なのではないでしょうか。

「どうでもよくなった」という言い方が乱暴であれば、あるいは問題にマナザシを向けないまま幸せになれる生き方を見つけるエンドと言い換えることができましょう。

具体的には“おじいちゃん”“おばあちゃん”という言葉を用いて語られ、一見すると「恋愛感情の継続性」を匂わせる内容なのですが、確信しているというよりも2年間の交際期間を経て帰納的に導き出した答えという色合いが強いのです。
したがって自覚的にこの問題に向き合いクリアした……とは言い難いでしょう。
(「美也」から隠れるシーンが何かを示唆しているとでも言いたげな顔ね)

以上が余談でした。

さて……長々とご紹介してまいりましたが
アマガミのプロローグ、実に恋愛SLGの導入として優れている点が、
恋愛成就(=ゲームクリア)と主人公「橘純一」のトラウマ克服を同じゴールに据えているところなのです。

橘 「クリスマス。女の子と過ごしたい」

「プロローグ」より

字面を眺めると「頑張る」動機として何となく不埒なものにえてしまいますが、そこに「過去のトラウマに向き合い乗り越える」という文脈が加わることで、彼の成長物語のゴールに昇華されます。
そして、成長していく彼のマナザシに惹かれていくヒロイン(森島はるか)という構図がとても綺麗です。
(それに加えてスキBADという選択肢で橘純一の物語を破滅的に急転直下させることも出来るのです。プロローグ自体がスキBADへの盛大な前フリですから最高にエッジが効いています)

あら、こうなったら「森島はるかがメインヒロインで間違いない」のでは?
……と思わせたところでプロローグ後半。

最もマナザシの中で雁字搦めになっている女の子が登場してしまうのがアマガミの非常に面白いところです。

⑦ 「絢辻詞」とマナザシのドッジボール


もはや長々とした説明は不要でしょう。彼女こそがマナザシ問題のすべてです。

前回の記事では絢辻詞の持つ4つの側面(A, B,C,D)のお話を主にしてまいりました。
絢辻さんといえば分かりやすく多面性のあるヒロインです。
私はこの多面性こそマナザシのダイナミクスが作り出した面白い性質であると思います。

月の位相(満ち欠け)を例にとって考えましょう。
月は太陽光に照らされる位置が変化することで見えるカタチが変わるのであって、月自体が実際に欠けているのではありません。
そして「欠けている」と思うのは観察者が「円い満月の形を知っているから」なんですね。
ここまで読んでいただければ
“月のように姿を変える”絢辻詞も、橘純一(またはプレイヤー)のマナザシ次第であるということは納得していただけるかと思われます。

詳細な多面性のお話は前回たくさんいたしましたので、今回は「マナザシ」の観点から、絢辻詞にとってそれぞれの〈絢辻詞〉がどのような「存在」であったかに重きをおいて考察を加え、以下の二つの問題について考えていきたいと思います。

  1.  絢辻さんの手帳の中身「書き殴ったアレ」とはいったい何なのか

  2. どうして手帳を見られた絢辻さんは真っ先にネクタイを引っ張ったのか

……正直に申しますと、これらの問題に触れることを快く思わない方がいらっしゃるかと思われますし、私自身たいへん恐れ多いのですが、ここは一つ勇気を持って私の見解を綴らせていただきます。
お気に召さない点がございましたら「唐変木」と罵っていただけると幸いです。

また、この先のお話は複雑さのレベルがグッと上がります。ちょっと哲学的なお話がスキな方は引き続き読み進めていただきたいのですが、ソエンな方は何となく読み飛ばしていただいて構いません。

さて、個々のお話に移る前に……
「絢辻詞」のマナザシのシェーマをご覧いただきましょう。

図の左側が表層、右側に行くにつれ深層です。

へ、ヘンテコな図を持ち出して申し訳ございません……

これだけ見ていただいても仕方がありませんので、これから諸々を定義したいと思います。

まず図中にある鍵穴と扉のマークは
ナカヨシエンドなどで語られる「鍵」とか「扉」のイメージです。

絢 辻「橘君があたしを見てくれたように、あたしも橘君を見てたんだから」
絢 辻「そして気付いたのよ……」
絢 辻「橘君は、あたしにとっての
絢 辻「そう……自分を守る為に閉じたのね」

絢辻詞 ナカヨシエピローグ 

最も表層に位置する「私(A)」は他者からマナザシを向けられる専用の存在であることはお分かりですね。(それが猫を被るということですから)
このとき他者から「私(A)」に向けられるマナザシのことを「マナザシα」としましょう。

「あたし(B)」が在るところは鍵のかかった扉の向こうであり、他者からはえないのです。
「あたし(B)」はマナザシの主体として鍵穴から扉の向こうにいる他者を一方的にのぞきています。
この「あたし(B)」が鍵穴越しに他者をのぞき見るマナザシのことを「マナザシβ」と名付けます。

「わたし(D)」はさらに深部に位置し、もう一つ鍵のついた扉を挟んだ向こう側に在ります。
「わたし(D)」とは幼い絢辻詞に芽生えた自己意識のことです
彼女の語った「うさぎとかめ」の寓話からも分かる通り彼女自身はマナザシから断絶されています。
したがってここに他者とのマナザシの介在はあり得ないのです。
強いて言うならば……

絢 辻「わたしは、だあれ?」

絢辻詞「スキ」(45, 50)より

「わたし(D)」は常に「絢辻詞」の存在をマナザシており、「絢辻詞」とは何かを問うものです。
彼女から「絢辻詞」に向けられるマナザシについて「マナザシδ」と表現しましょう。

ここまでは「デアイ」時点での絢辻詞です。
手帳を拾った後」について語るには、以下の定義が必要になります。

「マナザシ」を向けることは、相手を自分の〈ものにする〉行為である

絢 辻「橘君をあたしのものにします」

(中略)

絢 辻「橘君に対する束縛はないわ。あたしが少し見方を変えて付き合うだけ」

絢辻詞「アコガレ」(39, 42)

先述の通り、橘純一は「鍵」の役割を担っています。鍵を開けて第一の扉を抜けた橘純一は、これまで他者の目に触れられることがなかった「あたし」と対峙します。

鍵を持った橘純一が第一の扉を突破し、「あたし」と同じ部屋に入室

こうなると「あたし」も弱ったものです。今まで扉の向こうにいる他者の一員でしかなかった橘純一が、扉のこちら側にいる「あたし」に肉薄してきたのですから。
この辺りの過程のお話は後ほど詳しく述べていきます。

さて、ここにおいて「橘君(あなた)をあたしのものにします」とはどんな意味を持つのでしょう。不本意ですが、1から説明します

絢 辻「コホン……橘君は、素直すぎて放っておくと危なっかしいです」
絢 辻「だから、あたしが管理します。おわり」
絢 辻「でも、それがあたしの思うところの全て」
絢 辻「気になるのよ。あたしと考え方が違いすぎて……」
絢 辻「教材の片付けにしても、あたしの手伝いにしてもそう。普通は自分からなんて絶対しないわよね」
絢 辻「ううん、やらないどころか……、そもそも気付かない人が大多数でしょ」
絢 辻「でも、橘君はそれに気が付いて自分で背負い込んでしまう
絢 辻「何だか危なっかしいのよ、そのあり方が」

絢 辻「でもね、その事に気付けるのもあたししかいないのよ」
絢 辻「だから、今までより近い場所で橘君を見てあげなくちゃって思ったの」

絢辻詞「アコガレ」(39, 42)より

(橘君が「鍵」なのは彼が「気が付いて自分で背負い込んでしまう」タイプの男だからとも言えそうです。いろんな絢辻さんに気付けるか、背負えるかが鍵を握るわけですね)

危なっかしいから管理する……と言っても首輪を付けるとかチップを埋め込むとか、そんな過激なものではなく見方を変えて付き合うだけなんですね。
つまり絢辻さんは「あたし」にしか気付くことのできない「気が付いて自分で背負い込んでしまう橘君」を認めたということなのです。
それを伝えたということは「橘君」を絢辻詞の規定する〈ものにする〉ことでもあります。
(たとえば、「知人に『あなたって赤が似合いますね』と褒められてから、赤い服を着る時に妙に意識してしまう」みたいな状況に近いでしょう。このとき、あなたの服選びは知人のマナザシに規定されていると言えます)

すなわち彼女は、ある種マナザシを向ける対象にすることを「あたしの〈ものにする〉」ことだと極端に捉えているのです。

ただしそれは今までの他者に対する一方的な「マナザシβ」とは全く質が異なります。

この直前のやりとりを描写しているイベント見てみましょう。
「アコガレ」(37, 43)、バレーボールをしている絢辻さんを観察していた橘君のもとに彼女がやってきます。

絢 辻「面倒だから単刀直入に言うわ。さっき、ずっとあたしの方見てたでしょ」
橘 「あ、うん」
絢 辻「それ以外にも、最近気がつく橘君がこっちを見てる事が多いのよね」

(中略)

絢 辻「ごめんなさいね。猫かぶってて」
橘 「な、何の事だよ」
絢 辻「こっち側を知らなければ良かったとか、そういう事でしょ?」
橘 「だ、誰もそんな事……」
絢 辻「違うの?」
橘 「うん、それは誤解だよ」
絢 辻「……」
橘 「むしろ僕は、今の絢辻さんの方が……
絢 辻「えっ?」
橘 「だから手帳を拾ったのが僕で良かったって思ってるんだ
絢 辻「……」


(中略)

絢 辻「はぁ……橘君と話してると、どうも調子が狂うのよね」

絢辻詞「アコガレ」(37, 43)
あたし(B)はマナザシβを向けるものであり続ける。
「こっち側」にいる橘君を見つめているのはあたし(C)

さて(37, 43)のやりとりを見てもわかる通り、この時点で2人は「こっち側」で見つめあってるのですよ。
橘君の発言は、「僕(だけ)が知っている『絢辻詞』の方が素敵だ」という実は非常にキザったらしい解釈を避けられない内容でした。
それに対して彼女の方も満更でもない反応をしております。
この不可思議な状況への彼女なりの答えが「橘君をあたしのものにします」宣言だったのですね。

「橘君をあたしのものにします」は、「橘君」を鍵穴越しに覗き見る「他者」としてではなく「あたし」から直接マナザシを向ける対象にすることを正式に宣言したものだと言えます。
このときにやりとりするマナザシを「マナザシγ」と呼ぶことにします。

これで“少し見方を変えて付き合うだけ”なのに、どうして「あたしの〈ものにする〉」とまで言い切ったか説明がつくのですね。

無論、正面からマナザシを向けることは、相手からマナザシを向け返されることを意味します。
絢辻詞は橘純一に限って、これを許しました。
そのことを彼女は「あたしをあげる」と表現しています。これを許し合った2人は相互にマナザシをぶつけ合うことになります。
お互いマナザシのぶつけ合いから逃がれて生きていたもの同士でしたが、「一緒にいると楽しい」と言い合って契約のキスをしましたね。
このマナザシのドッジボールを受け入れた状態、これが「あたし(C)」の形成と言えるのではないかと私は思うのです。

……前置きはこのくらいにして、いよいよ本題です。

1. 絢辻さんの手帳の中身「書き殴ったアレ」とはいったい何なのか


アマガミ未解決問題の筆頭です。

なぜ未解決なのかと言うと、もちろん絢辻さん自身が中身を明かさぬまま手帳を燃やしてしまうからなのですが……

燃やすといえば、橘純一も大切なものを燃やすのをご存じでしょうか。

以下『ぬくぬくまーじゃん』のネタバレが含まれます。

『ぬくぬくまーじゃん』【エピローグ〜アマガミ〜】のストーリーを概説すると以下の通りです。

  • 麻雀のパワーで覚醒した橘純一が「押入れプラネタリウム」を卒業(ふすまを干して蛍光塗料を二度と光らなくした)

  • ついでに「お宝本」をリサイクルショップで売ることを決意し「開かずの教室」に入ろうとしたところを絢辻さん(本編でいう「スキ」に移行した状態)に呼び止められます。

  • 彼は絢辻さんを「開かずの教室」に招き入れ、お宝コレクションを紹介。

  • 絢辻さんはこれに大激怒。何度も蹴飛ばした後で彼に焼却処分するよう迫ります。

  • 彼は絢辻さんの叱責を受けてお宝本をすべて燃やすことに決めました。

  • 段ボール10箱分すべてを……たいへんにヘンタイな作業なのですが、絢辻さんも手伝ってくれました。

  • そして彼は「開かずの教室」の鍵を川に投げ捨てます。

……たしかに、そんなものを大量に(しかも何故か自慢げに)見せつけられたら不愉快極まりないでしょうが、絢辻さんがわざわざ焼却させた理由は何でしょう。

高そうな犬を見かけただけで何かに利用しようとする彼女が、お宝本の客観的な値打ちが分からないわけではないでしょう。
彼からお宝本を遠ざけたいだけならば、それこそ売却とか、あるいは男子生徒に譲渡するなどしていくらでも有益に処分できたと思います。
燃やすなどという不可逆的に無価値なものにする方法で処分をしてまで一体何がしたかったのか。

それはつまり「再出発点」で彼女が手帳を燃やしたシーンの再現をさせたかったんですね。

絢 辻「あの時橘君を蹴ったのは、別にあの本や、うれしそうに語る橘君を不潔に思ったからじゃなくて……」
絢 辻「別の理由があったからなの」

『ぬくぬくまーじゃん』【エピローグ〜アマガミ〜】より

(そりゃ蹴るまでには至らないまでも、少なからず橘君とお宝本のことを不潔に思ったでしょう)

お宝本を燃やした帰り、河川敷にて絢辻さんは蹴ったことを謝罪します。そして彼を蹴った理由を次のように説明します。

絢 辻「確かにあの時……立っていられないほど吐き気がしたわ」
絢 辻「ただし、吐き気がしたのは本に依存してる橘君を見て……昔の自分を思い出したから
橘 「昔の自分って……?」
絢 辻「手帳よ」
橘 「手帳? それってまさか……」
絢 辻「そう……あたしが燃やした手帳よ」

絢 辻「橘君があの本に依存している姿が、手帳に依存していた自分と重なったのよ

橘 (確かに僕のお宝本と絢辻さんの手帳は、同じようなものだったのかもしれないな)

『ぬくぬくまーじゃん』【エピローグ〜アマガミ〜】より

……なるほど。

焼却させた意図はなんとなく掴めましたが、しかし彼女が「手帳」と「お宝本」をそこまで同一視したのはなぜでしょう?

ちょっと落ち着いて考えてみると、どちらも「依存先として隠し持っていた紙製品」には違いないのですが……
彼女にとっては半ば人生を懸ける覚悟を持って焼き払ったものが、市販されている『ローアングル探偵団』などと同類だなんて……
もう少しリーズナブルな類似点がないと絢辻さんにとって屈辱的じゃあありませんか?

絢辻「でも….....自分の手帳と橘君のあのお宝コレクションが同じものだなんてどうしても認めたくなくて」

『ぬくぬくまーじゃん』【エピローグ〜アマガミ〜】より

ほら、やっぱり抵抗があるみたいです。

……しかし裏を返せば最終的に両者は「同じものだ」と認めているんですね。

つまるところ手帳の中身……つまり「書き殴ったアレ」と「お宝本」の内容には彼女の信条上、大きな共通項があるのではないでしょうか。


ここからが中身に関する私の考察です


絢辻さんの「書き殴ったアレ」と橘純一の「お宝本」には、どちらも
「他者の肉体」が記されてるのではないでしょうか。

……いやいや、まさか手帳の中身が絢辻詞ぷれぜんつ ちょっとエッチな同人誌だと言いたいわけではないのです。(そんなことをするヒロインがアマガミにいるわけがない。いや、いる。)

ここでいう「肉体」はマナザシを向けられて誰かの〈ものにされた〉他者の姿であり、マナザシを向ける者からすると、決してマナザシを向け返してこない存在として一方的に見続けることができます。

要するに「マナザシβ」を向けてきた証拠が手帳に残されていたのではないか。

手帳が第一の扉に取り付けられた鍵穴。鍵穴越しに見られている他者は「あたし(B)」に気づかない

さらに具体的な内容は「学校中の人間の欠点、弱点、自分にとってどんな利害を生じ得るか、等々を言語化したもの」なのではないかと考えます。

絢 辻 「……そうね。見られたらあたしが学校にいられなくなるような事よ」

絢辻詞「アコガレ」(37, 40)

本編で直接的に提示されたヒントは以上のセリフのみなのですが、ここから分かることは主に以下の二つです。

  • 学校にいられなくなる」というからには特に学校生活を営む上でかなり不都合な事態を招くこと。(家庭など学校以外のコミュニティに関することは学校生活には直結しづらい)

  • 見られたら」即座に不都合が生じるような記し方をしているということは謎のポエムや暗号じみた何かではなくある程度整然と言語化されていると考えるのが妥当。

また「書き殴った」ものであるという事実が、安定した精神状態でゆったりと書き記したものではないことを示しています。
たとえば他者の欠点が見える都度、ほぼリアルタイムで書き入れていったのではないかしら。

そういえば「押入れプラネタリウム」に閉じこもり マナザシのやり取りを遮断した橘純一が逃避した先もまた決して動かない女性の肉体を一方的に見る体験としての「お宝本」だというお話をしましたね。
こう考えると確かに絢辻さんにとっての手帳と同質の機能を果たしていたものだと言えます。

つまり彼女が他者に向けてきた歪なマナザシのすべてがそこに書き記してあるのではないでしょうか。頑丈な扉の向こう側、鍵穴から「あたし(B)」が「のぞき」をしていた証拠となる記述こそが「書き殴ったアレ」です。

このように過去の自分が他者に向けていたマナザシは「スキ」√に乗ったいま振り返ると、まるで『ローアングル探偵団』(=不都合な角度からのぞき見る肉体)のような卑怯さだと感じたのではないかと。(ローアングルの部分は完全にこじつけですが)

もう一つ本編に大きなヒントとなるイベントがあります。(45, 48)
こちらの方が根拠としてメジャーかもしれません。

創設祭の準備が滞っていることについて山崎、田口、磯前というクラスメイトから糾弾を受けた絢辻さんは、その矛先が橘純一にも向けられたことをキッカケに 攻撃的な性格(あたし)を露わにし、反論ついでに各人の欠点を次々に発表していきます。
この際の台詞が以下の通り

絢 辻「まず山崎さんは、自分の都合を主観において物事を判断しすぎ」
絢 辻「田口さん、あなたは文句を言う前に、頭を使うことを覚えてね。そろそろ周りに愛想つかされるわよ」
絢 辻「それと人に頼りすぎの磯前さんは、自分で動く事。無能にも許容範囲ってあるから」

絢辻詞「アコガレ」(45, 48)

その場で思い浮かんだことを述べているにしてはあまりに整然としていると思いませんか。これはおそらく感情に任せて噴出した悪口ではないんです。

絢 辻「ふふっ、簡単な事よ。自分じゃなくて相手に対してそう思った事があるかを考えてみればいいわ」

田 口「……っ」

絢辻詞「アコガレ」(45, 48)

客観的にかなりクリティカルな「欠点」であるようです。
頭の回転が速い絢辻さんだからといって思いつきでそんな芸当ができるのかしら。
何かしら原稿を用意してあったようなものの言い方にも思えます。
直前に「もう、あたしには必要ない」と言って手帳を焼却していたことを踏まえても、先述の内容が手帳に記されていたと考えれば、絢辻さんがそんなふうにクラスメイトの欠点を陳述したことは わりかし自然な流れであると言えそうです。

むしろ彼女はこういう局面で啖呵を切るために手帳を燃やしたと言うべきでしょうか。


手帳を燃やすことで第一の扉の鍵穴が無くなった。
他者は「絢辻詞」の深層にいる「あたし」と「橘君」によって形成された「あたしたち」に気づく。

クラスメイト(他者)の前に「あたし」が顕現した時点で第一の扉は破壊されます。
この際せっかくだから「ついでに」いくつか手帳(=マナザシβ)の種明かしをしようと思い切った……と考えるのはいかがでしょう。

冷静に考えてみると、「ついでに」以降がなければ、あの一件での絢辻詞は「ちょっと厳しめの口調で反論した子」で済んだのかもしれないのです。
それでも敢えて他者の欠点を面と向かって直接言うことで回帰不能点に自分を追い込んだんですね。

このイベントで彼女に起きた大きな変化は、マナザシを向けられる者(A)とマナザシを向ける者(B)の隔たりとなる扉が取り払われたこと。
このとき橘純一と2人で「あたしたち」として他者のマナザシに対峙することになります。
彼女を取り巻く状況が一変した様はドッジボールのシーンで象徴的に描かれています。

※ボールはマナザシです。何かしらこの図。

絢辻さん対クラスの女子全員」という構図は剥き出しになった「あたし」が他者から一斉にマナザシを向けられるマトになったことを表します。
これに気づいた橘君は彼女の味方に加わるために全力疾走しました。他者から投げられたボール(マナザシ)を彼が受け止めるってことですね。あの「押入れプラネタリウム」に閉じこもってた彼が……(ちょっとベタっぽいのがむしろカッコいい)

しかもドッジボールって受け止めたボールは逆に投げ返すことが出来るでしょう。
このとき絢辻さんは橘君の力を借りて、ボールを投げた相手に投げ返すことが出来るようになった(=他者に決然とマナザシを向け返し、時に他者の欠点を面と向かって直接言える者になった)のはお分かりでしょうか。

もはや他者もマナザシを投げ返され得る。

何だか複雑そうに見えますが、要するにここで「マナザシα」と「マナザシβ」が「マナザシγ」に吸収合併されたと言えましょう。何だか寂しい気もしますが、これで本当に「裏表のない素敵な人」になったというわけです。

「マナザシγ」はぶつけ合うもの。ただし同じサイドにいる「あたしたち」には「他者」という共通の相手チームが存在する。

ここまでお話しして来てふと思ったのですが、「マナザシγ」とか「あたし(C)」というのは「欠点」を前提にした概念という毛色が強いのですね。
絢辻さんの恋愛観にも「欠点」はキーワードになってきます。

橘 「人ってどうして恋をするんだろうね」
絢 辻「う〜ん……そうねぇ」
絢 辻「人間が不完全な生き物だからじゃない?」
橘 「不完全……」
絢 辻「そ、だから自分にないものを他に求める
橘 「あ〜っ、なるほど」
絢 辻「……なんてね、冗談よ」
橘 「え?」
絢 辻「悪いけど、今のあたしじゃその質問の答えは出せないわ

絢辻詞 スキ会話 Mid Turn 5(恋愛)

つまり自分の欠けた部分を補う者を求め合うのが恋であり、「欠け」ありき……なんですね。
スキ会話の時点で「冗談」として保留にしたこの質問の答えですが、「あたし(C)」の色が濃い「スキGOOD」ではファイナルアンサーとしてあらためてこう述べます。

今までの自分が見落としてきたもの。
それを純一君が持っててくれる安心感。

絢辻詞 スキGOOD エピローグ

スキエンドでは創設祭のステージの舞台袖にて、絢辻さんが作業台に打った釘を橘君が直すシーンが印象的です。同棲することを選んだ2人は「あたしたち」を形成し、こんなふうに互いに欠けたものを補い合うんだ……ということを予感させますね。ここまではGOODもBESTも同じ。

そしてこの「欠け」は、絢辻さんの告白シーンの比較で如実にあらわれます。

スキBESTから抜粋
絢辻「きっかけは……あの手帳を落とした日」
絢辻「分かってる。あの時はあたしも必死だったのよ」
絢辻「でもあんな事があったからこそ、こうしていられるの
絢辻「今思えば、あんな事をしなくてもちゃんと黙っててくれるって信じられるのに」
絢辻「橘君の存在が……何よりも大事なの

スキGOODから抜粋
絢辻「あの手帳を落とした事が、あたしにとっては最高のミスになったの」
絢辻「まぁ、それからが大変だったけどね」
絢辻「だって橘君ったら、あたしとまったく違う価値観を持ってるんだもん」
絢辻「それに、頭の回転があまりよろしくないみたいだし……」
絢辻「でも好きになっちゃったの。あたしも馬鹿よね……」

お分かりでしょうか。全肯定のスキBESTに対して、スキGOODは「橘君」と「あたし」の欠けた部分を浮き彫りにするようなセリフばかりです。
スキGOODは「それでも一緒に幸せになれる」という尊さがあるのは重々承知の上で申しますと、絢辻詞の根本的に悲観的な他者関係の理解は変わっていないことが考えられます。

この先のイベントで続々と「わたし(D)」に関するヒントが明かされていきますので、「あたし」の抱えてる問題はドッジボールのシーンで一区切りつくと考えてよろしいかと思われます。

さてドッジボールのシーンでもうひとつ印象深い点といえば「棚町薫と共闘する」ことだと思うのですが、そういえば薫はひとの欠点と美点を臆することなく言える人物でしたよね。

棚 町「アンタの悪いとこ100個は言える……でもね、良いとこは101個言える!」

棚町薫 スキBEST エピローグ 

本編の別のイベントや種々の外伝作品でも絢辻詞と棚町薫は犬猿の仲として描かれることが多いのですが、薫は絢辻さんの「あたし」を概ね肯定的に受け入れてくれるのです。

棚 町「もしかしたら……絢辻さんとあたしって、案外似てるのかもしれないわよ」

絢辻詞「スキ」(47, 49)

優等生でいなければならなかった絢辻さんにとっては「な〜んでもお通しよ」というスタイルの薫が疎ましかったかもしれませんが、「あたし」を曝け出した今、薫と絢辻さんは似たもの同士なのかもしれません。

……お前って結構いい女だな

ひょっとするとは偶然が重なれば「鍵」になれるかもしれません。あるいは橘君はそんな薫との付き合いがあったから「鍵」になれたのかしら。なんてね。


さて、結局のところ手帳の中身は「他者の欠点、利害」が最有力ではないかと私は考えたわけです。
こんな考察は新説でもなんでもなく既に十分語られてきたとは思いますが、くどいほどマナザシのお話をしてきた今あらためてご覧になるといかがでしょう。
正解じゃなくっても良いです。大ハズレでもむしろ嬉しいです。
“少しは自分の考察も入れて”語れただけで私は満足しております。

皆さんのご意見をぜひお聞かせください。

2. どうして手帳を見られた絢辻さんは真っ先にネクタイを引っ張ったのか


恐らくアヤツジストにとっては一生忘れられない伝説的なシーンなのではないでしょうか。

手帳を拾って二、三言 交わした直後、明確に態度を変える絢辻さん。
そして橘純一のネクタイをサディスティックに手繰り寄せ、こう囁きます

絢 辻「見たのね」

絢辻詞 「アコガレ」(37, 40)

私はこのセリフが今回の記事全体に通底するテーマであるように思えて仕方がありません。

“見たのね”です

あまりに衝撃的です。
もちろん、それまで真面目な優等生という側面を見続けてきたからギャップに驚くというのもありますがね……
冷静に考えてみると少し仲が良い同級生の男の子にここまでサディスティックに振る舞うのね……という、彼女の絶対的なSっ気に面食らう部分もあるのですよね。

打算的で攻撃的な「あたし(B)」には絢辻詞の「わたし(D)」という脆い側面を庇う機能があるのは前回お話しした通りなのですが、それとサディズムとは少し違うお話である気がいたします。
ギャップを演出するだけならば「ちょっと舌打ちする」ぐらいの可愛いもので十分でしょうが、どうして絢辻詞はネクタイを引っ張ることになったのでしょうか。

ここでまたまた絢辻シェーマを見ていただきます

手帳られてしまった時に生じる不都合は、いわば「のぞき」が発覚したときの羞恥にも似たものです。
しかし実際は「マナザシβ」を裏付ける情報(書き殴ったアレ)に橘君は到達しておらず、これは完全に絢辻さんの誤解でした。
もしられていたら……場合によっては彼が「マナザシβ」を言いふらしてしまうとか、あるいは脅迫のネタにされるとか。(お宝本にありがちな展開)

いずれにしても「橘純一」のマナザシた通りに絢辻詞を規定してしまうリスクがありました。つまり「あたし」を彼の〈ものにされる〉恐れがあったというはご理解いただけるでしょうか。

しかしながら「あたし(B)」は他者にマナザシを向ける存在そのものです。そんな恐れがありながら先手を打って橘純一をマナザシ、逆に彼を自分の〈ものにする〉ことに成功しました。

その手段が以下の通り。

まず「他人のものを勝手に見た」橘純一をを逆手にとって彼をのぞき犯にします。物凄く強気な一手です。つまり“見ちゃったんだ”とか“見たのね”と強調することで強制的に負い目を感じさせるのです。

そしてこのときネクタイを引っ張ります
実は、これこそが彼を「肉体」にしようとする態度だというのはお分かりでしょうか。
彼女がネクタイを引っ張ったとき、そのネクタイはもはや橘純一の身体を包む衣服の一部ではなくなります。その代わりに彼女の力を一方的に橘君の肉体に伝える道具になるのです。

……ちょっとエッチな話になって恐縮なのですが、これがサディズムの核心なのです。直接触らないし、相手からは触られない条件……極めて一方的で、まるで「マナザシβ」のような性質をサディストは好みます。自分の肌を相手に触れさせると、自分もまた「肉体」になってしまうからです。

橘 (む、む、胸があたって……)

絢辻詞「アコガレ」(37, 40)

いや待った待った。あのシーンで橘君は胸を触っていたじゃないか?
……というのはごもっともなのですが、これは少し違うんですね。

絢辻さんはこのとき橘純一の「肉体」に自分の胸を触らせているが、決して触られていない、つまり「絢辻さんの胸が橘純一を触っている状態」なのですよ。
(……なに言ってるの?)

絢 辻「だってあたし、橘君に胸を触られたもの……」
橘 「さ、触ってないよっ! それにあれは絢辻さんが……」
絢 辻「あたしが?」
橘 「押し付けたというか……」

絢辻詞「アコガレ」(37, 40)

彼の言うことが全面的に正しいですね。
絢辻さんは優越的に「身体」を保ったままであり、「肉体」に成り下がらないのです。
橘純一を「肉体」にする態度……という言い方が生々しすぎると感じられるかもしれませんがこのシーンではどう考えても人間の身体として橘君を扱っていないですよね。彼も彼で本気で抵抗しませんから、もはやリード付きの首輪をつけられた肉体にすぎません。絢辻さんの〈ものにされた〉ことは明らかでしょう。

そもそも彼女が「手帳」にアレを書き殴ったのはなぜなのかを考えれば、それは脆弱な「わたし(D)」を庇護するために他者を優越的に支配する欲望のエネルギーを利用したのだと言い換えることもできるでしょう。

こうしてみると「マナザシβ」を他者に向ける存在ってサディストに違いないんですよね。すなわち「あたし(B)」とは人間のマナザシが持つサディスティックな側面そのものなのです。

うーむ。
ここまで絢辻さんのサディズムを強調しましたが
「いや、絢辻さんはマゾヒストなのでは?」という説を推したい方もいるでしょう。
私はそれも正しいと思っています。これは二枚舌ではなく反転が容易だということです。

先ほどから述べている事を簡単に整理すると、基本的にマナザシの主体はサド、マナザシの客体はマゾの振る舞いをします
相互にマナザシ合う「絢辻詞(C)」と「橘君」はサドマゾが複雑に入り乱れるのは容易に想像がつくでしょう。

たとえばキスの話をしてみましょう。
キスはなぜ「契約」に用いられると思いますか。
私は唇の触れ合うキスは対等に「肉体」になり合う行為だからではないかと思います。つまり「どちらが触っているか」がかなり不明瞭な愛撫であり、体験としては「一方的」になりづらい行為なんですね。
頻繁に成人向けの絵を描いている私が言うといやらしく聞こえるかもしれませんが、「契約」のシーンは「あたしをあげる」代わりに「橘君(のいる日常)をあたしにちょうだい」というお互いがお互いの〈ものにする〉前提がありましたので筋は通っているかと思われます。
しかし絢辻さんにはキスでも優位に立ちたいといういじらしいSっ気が芽生えます。「体験としては」という部分を強調しましたが、対等なキスにおいても橘君を一方的に興奮させることができたら彼だけを「肉体」にすることが可能です。
それが彼女の悦びなのですね。

……これはまたかなりディープな話になってまいりました。

絢 辻「そんなに良かった?」

絢辻詞「スキ」(49, 54)

言わせたがりますね。
けれど、このシーンの展開はご存じの通り、絢辻さんが鼻血を出すというオチがつきます。
「(性的に)興奮したら鼻血が出る」
というのは漫符表現ではありますが絢辻さんのサディズムがこういった形で挫折する姿は随所で見られます。このシーンなどはサドマゾ反転の綺麗な流れが見えますわね。

あるいは『アマガミ』がゲームだからかもしれません。
プレイヤーが「橘純一」に移入しているときには彼女の強烈なサドを感じますが、ゲームを操作する「神」の視点に立った時は彼女は単にマナザシを向けられる対象としてマゾになります。
スキBADを享楽として見ようとする我々はサドで間違いないでしょう?

……絢辻さんのサディズムに匹敵するほど橘君のマゾヒズムが仕上がってる件につきましては、言わずもがなですね。
『アマガミ』は「橘純一」が恋愛に挫折したところから話が始まっているから、彼はマゾヒズムに目覚めて当然なのです。
つまり蒔原美佳から「マナザシを対等に向け合うことを拒否された」彼は「生身の女性にマナザシを向けること」から逃避し、「生身の女性からマナザシを向けられること」のみ享受しようとしました。彼のマゾヒズム的な受動性は蒔原によって植え付けられたと言っても過言ではありません。
(そして追い打ちをかけたのが森島はるかによるワンチャンプレイでしょうか)

森島先輩といえば。
絢辻さんが森島先輩に対する苦手意識を持っているというのをご存知でしょうか。
ご存知ない方はなんと本日2022年12月24日から配信される、ドラマCD 「アマガミ」 Vol.2 絢辻詞編を聴いてみてくださいね。

ちょっとネタバレ注意……

“あたし、あの人苦手なの。ああいう風にみんなから愛されて育った人って、どうもね”

“彼には言わなかったけど、もう一つ苦手な理由がある。彼女は本質を見抜いてしまう。まったく、天然ってこれだから……”

ドラマCD 「アマガミ」 Vol.2 絢辻詞編

これってつまり「絢辻縁」のことを言っているんですね。
森島先輩と縁さんは彼女の中では同属の扱いなのでしょう。

今まで述べてきたことを総合すると、森島先輩はシャワーシーン(肉体)をのぞき見る者(=殿方)を自分のペット〈ものにする〉人物だということは納得していただからと思います。

こんなことをナチュラルにやってのける恐ろしい人物なのですが、それを本質を見抜いてしまう=「天然」と評する絢辻さん。

森島先輩と犬の関係のお話は先ほどたくさんいたしましたが……
絢辻縁と犬の関係性を覚えておいででしょうか。
彼女は「何の悪意もなく犬にスポーツドリンクを飲ませてダウンさせる」ようなことを殿方に沢山してきたんじゃあないかしら。

絢辻詞ナカヨシエピローグの創設祭にて……

サンタコスの「私(A)」絢辻さんは小さな殿方(男の子たち)からプライベートゾーンをまさぐられるのですが、そこに絢辻縁がやってきます。
縁さんは、少年らのズボンを悪気なく下ろしてプライベートゾーンを露わにさせたことがあるらしく、男の子たちは逃げていきます。

こういうことを無自覚にやってのける「天然」を絢辻詞は妬ましく思うところもあったでしょう。

なにせ絢辻詞と犬の関係性はといえば、犬に安眠を妨害されたりおしっこを引っ掛けられたりしていたのですから。
絢辻さんが経験してきた苛烈な他者関係が彼女の悲観的な他者観を作り上げたのかもしれませんね。


さて、絢辻さんについてもそろそろまとめに入りたいと思います。
これまで述べた通り、絢辻詞のストーリーは我々が当たり前に向けてきた「マナザシ」の暗部とも言えるような問題に踏み込んでいるのですね。
本来的なわたしを見つけてほしい一方で不本意に他者から向けられるマナザシには苦しむ。
その苦しみに気付いて背負えるのか? がテーマなのではないかしら。
他者におしっこをひっかけられている絢辻さんに、あなたは気づけますか?
彼女を背負えますか?

「橘純一」には出来るのです。

何故アマガミのメインヒロインが絢辻詞だったのか、納得いただけたかしら。
アマガミはマナザシだからなんです。


……と、こんな事を書いているうちにクリスマスイブが終わりかけています。
本当は一気に語り切りたかったけれど仕方ないよね……
申し訳ありませんがこの記事は後半へ続きます。

後半は絢辻さんの「わたし(D)」とは何か、第七のヒロインの恐ろしきマナザシのお話とか「ソエン」のお話とか……まだまだ『アマガミ』について語っていきたいと思います。
そして少し作品を飛び出して
『アマガミ』と私たち、『アマガミASMR』とは何か
そんなテーマにも触れていきたいと思います。

2023年もアマガミの年になりそうですね。
いやっほぉ〜〜うっ!

絢 辻「あの……恥ずかしいからあまり叫ばないでくれる?」

絢辻詞「スキ」(49, 52)

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