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1%を遺贈寄付に 地方のお金は地方で 老老相続から社会還流を

9月5日から14日まで、日本で初めて「遺贈寄付ウィーク」が開かれる。遺贈寄付の普及をはかるために、様々なイベントやキャンペーンが行われる。英国や米国など多くの国々では2009年から、9月13日の「国際遺贈寄付の日(International Legacy Giving Day)」の前後に遺贈寄付の普及啓発キャンペーンが行われてきた。日本も遅ればせながらその波に乗るのだが、これが「ステップイヤー」になるのではないかと私は考える。そして、次の「ジャンプ」のためには「1% for legacy giving(1%を遺贈寄付)」など目標的な標語を掲げてもよいのではないか。

拙著「遺贈寄付 最期のお金の活かし方」(幻冬舎)を18年に上梓したときは正直、「早すぎる」と思っていた。遺贈寄付に対する関心はまだまだとても低く、たぶんあと4、5年後ならそれなりに受け入れられるのではないかと思っていたのだ。

だが、全国レガシーギフト協会をはじめ、多くの中間支援団体やNPOや志ある士業の人たちの努力には頭が下がった。遺贈寄付がこの社会に必要不可欠だという信念に基づく手弁当の活動が続いたことで、予想を上回る速さで遺贈寄付への関心が広がった。昨年は私自身も読売新聞や日経新聞、月刊文藝春秋など多くのメディから取材を受けたり講演をする機会をいただいたりと、広がりの手ごたえを感じた。協会が発足した2016年が日本の遺贈寄付元年「ホップイヤー」だとすれば、今年はウィークを機に、次のステップへの移行期間に位置づけられるだろう。

では、その次の「ジャンプ」には何が必要だろうか。それは一言でいえば、遺贈寄付が誰にも当たり前の選択肢の一つになることだ。

今年、自筆証書遺言の法務局保管制度が始まり、遺言作成の敷居は下がっていくだろう。「おひとりさま」など、相続財産を家族以外に残さなければ国のものになってしまう人たちはますます増えていく。ある程度必然的に、遺贈について考える人は増えていくことは間違いない。ただ、「ジャンプ」のためには、そうしたある意味「やむなく」ではない、自発的に遺贈寄付を考える人たちが増えていく必要がある。そのために具体的な標語として「1% for legacy giving(1%を遺贈寄付)」などと掲げてもよいのではないか。

遺贈寄付というと、何百万円、何千万円といった多額でなければならないのではないか、特別な人のものではないかと思っている人がまだ多い。だが、たとえ1万円でも10万円でも、遺贈寄付の価値・意義(次世代への思い。生きた証を残す。恩返し・恩送り。後述する現実的な新たなお金の循環方法など)には何ら差はない。それならいっそのこと、遺産のうち1%を遺贈寄付にという目安を示すことによって、ハードルを低くする方向があってもよいのではないかと思うのだ。

いま日本の年間相続財産は約50兆円ともいわれる。そのうち1%が遺贈寄付に回るとしたら5000億円にもなる! 日本の寄付市場は年間7756億円(日本ファンドレイジング協会編『寄付白書2017』)だから、現実化すればとてつもないインパクトになるだろう。1億円の遺産があるなら100万円の寄付を、1000万円なら10万円を、だ。国税庁の統計による「遺贈・寄付・支出した財産の統計」によると、2013年の369件269億円から2018年には691件486億円となっており「0.1%」はほぼ達成している。「ジャンプ」のためにはその10倍、1%はいまはとてつもなく大きな壁に見えるだろうが、決して無謀な目標ではないし、わかりやすい目標ではないだろうか。

ちなみに、経団連には「1%クラブ」といって、社会貢献活動に利益の1%を充てることを推奨する活動がある。目標的にも、考え方的にも同根のように思う。

遺贈寄付の本人にとってのメリットはこれまでにもいろいろ書いてきた。社会にとっての具体的なメリットとして、これまであまり書いてこなかったことがあるのだが、お金の循環という点に注目したいと最近は考えている(もちろん、社会課題の解決などは大きなメリットであることはいうまもでないが)。どういうことかといえば、2つある。

一つは、相続財産の東京一極集中是正の必要性だ。地方で生まれ育って働き、蓄えた財産。それが、被相続人の死亡と共に、地方から東京などの大都市に流出してしまう可能性がいまは高い。戦後一貫して続いている地方から都市へという奔流のような人の移動のため、相続人が都市部に暮らしていることが多いからだ。せっかく地方で蓄えた財産が東京で使われる可能性。たとえば地域で活動するNPOなどの団体に遺贈寄付で一部でも財産を譲れば、地方で生まれたお金はその地方のために使われ続ける。

もう一つは「老老相続」だ。超高齢化で被相続人から相続財産を引き継ぐ段階で、相続人の側も高齢者という事態が増えている。高齢者は若い世代に比べて消費が少なく、次の相続まで高齢者の手元に保管、悪く言えば「死蔵」されて社会に還流してこない可能性がある。それならたとえ一部でも遺贈寄付によって社会にお金を還流させていくことは、経済的観点からも大きな意味があると考える。

誤解がないように付言すれば、なにも社会のためにこそ遺贈寄付をすべきだ、と主張したいのではない。もちろん結果としては社会のためになるのだが、一義的には自身のためにするのが遺贈寄付だと考えている。その「良さ」を知ってもらうためにも、実際に遺贈寄付した人たちの「思い」を共有していくことが大切だと考えている。今後とも、遺贈寄付の事例をできるだけ取材して伝えていきたい。

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