とろみビールと介護Bar
(この原稿は、毎日新聞WEBでの私の連載「百年人生を生きる」で2019年9月26日に掲載された記事です。無断転載を禁じます)
本人が努力して、自力で口に食べ物を運び、のみ込もうとしても、年をとると手や口の筋力が衰えてうまくできなくなる。そうなると周囲のサポートが頼りだ。しかし、正しい口腔(こうくう)ケアや食事介助ができる人はまだまだ少ない。そこで、自分の口で食べられる高齢者を増やすために、食事のサポート法を伝授する講座や、食べることが不自由な人やその家族、介護関係者らが一緒に食事を楽しむ場を取材した。
「腹減った、何か食わせろ」
東京都世田谷区の歯科診療所で働く歯科衛生士、山下ゆかりさん(52)は、4年前に81歳で亡くなった父、松井永雄さんの言葉が忘れられない。
「腹減った、何か食わせろ」
永雄さんは脳出血の後、脳血管性認知症になり、腎機能低下で人工透析も必要になった。入院先の病院で透析のチューブを抜きそうになったことから、やむを得ず拘束にも同意した。永雄さんはその後消化器疾患で絶食となり、鼻にチューブを入れて栄養を取るようになった。
口呼吸のために口内は乾ききり、仕事帰りに病院に出向いてケアした山下さんは、傷だらけの口の中を見て心を痛めた。そんな時、永雄さんが発したのが「腹減った」という言葉だった。
3カ月ほどで療養型病院に転院した永雄さんに、山下さんは「これからはちゃんと食べさせてあげるからね」と耳元でささやいた。しかし、衰弱していた永雄さんは転院2週間後に亡くなった。
「約束」をかなえることができず悔やんだが、驚いたのは、永雄さんの口内に傷がなく、ちゃんと潤っていたことだ。転院先の病院がしっかり口腔ケアをしてくれて、水も口にしていたことを後に知った。山下さんは、ケアで口内環境が大きく変わることを目の当たりにして「私が正しい口腔ケアや食事介助技術を早く身につけておけば、父との約束を果たせたかもしれない」と痛切に後悔した。
ケア実践で母親は最後まで自力で食べた
父親が亡くなる前、山下さんの母、勝代さんも慢性心不全などを患い、入院していた。水分や塩分の厳しい制限があったが、父と同じ轍(てつ)は踏みたくないと、山下さんはNPO法人「口から食べる幸せを守る会」(神奈川県伊勢原市)が医療・介護職向けに開いていた講習会を受講して、食事介助の技術を学んだ。そして勝代さんに実践した。
勝代さんは少しずつ口から食べられるようになった。一時帰宅した時には念願の刺し身を食べ、喜んだ。そして、永雄さんの後を追うように人生を終えた。最期の時、みかんの搾り汁を口にした勝代さんは「おいしい、ありがとうね」と言って目を閉じたという。82歳だった。
「母は入院中、ずっと『みかんを食べたい』と言っていました。『ああ、ここまでしてあげられた』と思えて、死を受け入れることができました。病院に任せるだけでなく、正しい知識と技術を身につけ、口から食べることを支える必要があると思いました」
「口から食べる幸せを守る会」は、2013年からNPO法人として活動している。人生の最後まで口で食べられる社会を目指し、普及、啓発活動をしている。山下さんはいま、守る会内で、口から食べることを病院から禁じられた患者の家族らで昨年7月に発足させた家族会メンバーとして、当事者の立場から食事介助の知識や課題を発信している。
病院の人手不足で選択した「とりあえず胃ろう」
高齢になると口の筋肉が衰え、かむ力やのみ込む力も衰える。その結果、水分や食べ物が誤って肺に入る誤嚥(ごえん)が起きやすい。そうなると病院や高齢者施設は誤嚥性肺炎を恐れ、高齢者が口から食べることを禁じがちだ。
守る会は、このような状況を少しでも減らすには、家族が口腔ケアや食事介助知識を持つべきだと考え、今年7月、横浜市内で一般向けの「食事サポーター講座」を初めて開いた。
午前と午後の講座には、身内に要介護者がいる人、看護師や介護職など計66人が参加した。講座では、料理のとろみの付け方次第でのみ込む感触がどう変化するかを体験したり、のみ込みやすくする介助法を学んだりした。守る会理事長で1万人以上の食事介助経験を持つ看護師の小山珠美さん(63)が「病院が『食べられない』と診断しても、うのみにしないで」と繰り返し訴えた。
そもそも病院では、全般的に食事介助のための人手が足りない。そのため、誤嚥性肺炎のリスクを避けるため、胃に穴を開けて栄養を送る胃ろうや、静脈に管を入れて栄養を投与する「中心静脈栄養」を選択させられることが多いという。
小山さんは「最後まで口で食べさせたい、食べられるようにして自宅に戻したいなら、その希望を強く病院側に伝えることが大切です。口は使わないとどんどん衰えます。口から食べられれば在院日数が減ることも調査でわかっています。食べさせないリスクを知らない医療者が多すぎるのです」と主張する。
歯科医がママ役の「kaigoスナック」
食事支援をしてもらい、口から食べられても、いつも家や施設ではつまらない、たまには「外食」がしたい――。そんな願いに応えてくれる「スナック」がある。
今年7月、要介護状態の人とその家族が、のみ込みやすく工夫した食事やカラオケを楽しめる「kaigoスナック」が東京都三鷹市の介護施設の一角で開かれ、約30人が参加した。
“店内”では「ママさん」役の歯科医、亀井倫子さん(40)が黒いドレスに身を包み、昭和時代に流行した演歌が流れる。テーブルにはとろみをつけたビール、ワイン、酵素に付け込んで軟らかくした焼き肉、のみ込みやすさを工夫したラーメンなど、見た目を普通の食事に近づけた料理が並んだ。
多系統萎縮症で、昨年11月からゼリー以外は口から食べられなくなった70代男性は、娘に「とろみビール」をスプーンで口元に運んでもらうと、顔がぱっと輝いた。ミキサーで砕いたあとゼリー状に固めた酢飯にペースト状のネタを乗せたすしも食べ、「とろみワイン」も楽しんだ。味を尋ねると、男性はにっこりした。
kaigoスナックは、亀井さんが代表理事を務める「一般社団法人日本kaigoスナック協会」がいろいろな場所を借りて主催している。亀井さんは、訪問診療をするなかで、たとえ口から食べられても、介護施設で孤独に過ごす入居者の様子をみるうちに、「人とのつながりがあってこそ食事ではないか」と感じるようになったという。
「人とつながったり、外出の機会になったりするような食事の場をつくりたい」と考え、親交のあった管理栄養士などの協力で16年、kaigoスナックを初開催した。18年4月に協会を社団法人化して、「kaigoスナック」を商標登録。全国で普及活動をしている。
亀井さんはkaigoスナックを「どんな人も食事や雰囲気を楽しめて、さらに嚥下や栄養を学べる場にしたい」と抱負を語る。
口から食べることの大切さは分かっていても、病院の食事介助は万全ではないことが多いようだ。家族に最後まで口から食べてほしいと願うなら、危険を避けるだけでなく、食べることを生きがいと思えるような知識と技術を身につける必要があるだろう。
(この原稿は、毎日新聞WEBでの私の連載「百年人生を生きる」で2019年9月26日に掲載された記事です。無断転載を禁じます)
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