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ライフエンディングサポート

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人生最終盤を社会でどう支えるかを考えたい。死に関すること、介護のことなどをテーマにした文書をまとめます。
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#エンディング

「正しさ・正義」の危うさ感じる ALS患者嘱託殺人事件

「ALS女性患者安楽死」事件と呼ばれるようになるのだろうか。京都のALS患者を、宮城と東京の医師2人が殺害した嘱託殺人事件のことだ。この事件には医師の傲慢さと共に、やり方もあまりに乱暴な印象を受ける。殺されたのがALS患者で、殺害したのが医師であるというだけで、SNS上での自殺幇助依頼に対して見も知らぬ他人が報酬と引き換えに引き受けて実行した、これまでにもあった殺人事件と本質はなんら変わらないように思う。だが、安楽死の問題としてメディアでは論じられるだろう。安楽死に関して思う

「命の選別」発言 優生思想の恐ろしさに対する想像力がない

れいわ新選組・大西つねき氏の発言に驚いた。発言の全文を荻上チキさんが文字起こしまでしてくれたので読んだ。 内容は端的に言えば、高齢者を「死にゆくままにせよ。介護も医療も無駄だから。それが社会のためだから」と言っているようにしか読み取れない。それを政治家になろうとする者が平然と口にする。つまり、政治によって、権力によって社会をつくりたいと考えている人物が、だ。 想像力や共感力の欠如に愕然とする。この発言に賛同する人たちに対しても同様だ。なぜ、そんなに簡単にいのちを切り捨てら

withコロナ 関係性の中に生きる自分を意識する

新型コロナウイルスのパンデミックで、はっきりとわかったことの一つは、私は一人では生きられないという実に当たり前のことだった。医療、商品の生産・流通、公共交通機関、宅配、警察・消防…。そうした「社会」がなければ、社会を形成している直接は顔も知らない「みえない他者」がいなければ、自分一人では生きていけない。要は関係性の中で生きているということをあらためて認識した。そうした「みえない他者」への配慮、慮りの行動といってよいと思う「自分が感染源にならないように」という種々の行動は、この

遺贈寄付も「集活」 次世代の人たちとつながる

前回の「終活から集活へ」で記した「集活」について、遺贈寄付もまた、これに含まれていると考える。 遺贈寄付とは、自身の財産を死後、公益法人やNPO法人など主に社会課題解決のために活動する団体に遺贈したり、相続人が故人の遺志を尊重して遺産から寄付したりすること。拙著「遺贈寄付 最期のお金の活かし方」(幻冬舎)で紹介した通り、人生最後の社会貢献といえるものだ。 自身の人生の振り返りから 一般的な終活の中には、財産の整理も含まれる。主に、家族・親族のために遺産の配分を遺言などで指

終活から集活へ ライフエンディングを支えるのは「つながり」

漠然と思っていたことや、なんとなくしていた行為、存在はしていも社会的に共有化された名称がないもの。それに、ある日「名前」が与えられる。 「そこの森で出くわした、立ち上がると大きさが2メートル以上もある、毛むくじゃらで鋭い爪と牙のある動物」「ええっと、いまこうした課題があるので、かくのごとき対策が求められていると考えて、このように動いているんです」――。「名前」がない時にはいちいち説明が必要だったものが、「名前」をかざすだけで説明の多くが不要になる。便利になる。 「終活」と

LGBTとライフエンディングステージの課題 その多くは誰にも共通する課題だ

お墓や仏具、葬儀、信託、遺品整理など、ライフエンディングにかかわる産業展示会「第4回エンディング産業展」が8月22~24日の3日間、東京・江東区で開催された。毎回参加しているが、仏教教団ブースが増えるなど、「産業」の枠がとろけていくような印象。この展示会は、どこに向かおうとしているのだろう。それはそれとして、個人的に最も印象深かったのはセミナー「LGBTとライフエンディング」だった。 当事者らが登壇して語る内容は、重かった。婚姻できない同性カップルが、ライフエンディング段階

最期の迎え方 難しいよね、悩むっきゃないよね

映画「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」を観た。認知症の母親と暮らす映画監督・関口祐加さんが自身の生活を撮っているドキュメンタリー連作の第3作目。今回は、関口さん自身が股関節手術で入院することになり、そこで出会った患者の死を一つの契機として、緩和ケアやスイスの自死幇助などを取材。最期の迎え方とは? について考える内容となった。何が結論というわけでもなく、「難しいねえ。悩むっきゃないよね」という感じでダラダラっと終わる。こう書くと暗い映画、しょうもない映画のようだが、なにせ

生前葬が話題になったときにすべきこと

「生前葬」が時々、メディアで話題になる。最近だと、建設機械大手のコマツの元会長・安崎暁さんが、新聞広告で自身のがんを告知し、生前に自らの葬儀をしたことが報じられた。 広がらない生前葬 なぜ? 日本で生前葬が注目されるようになったのは「ターキー」こと、水の江瀧子さんが1993年に生前葬をしたのが契機だった。ちょうど、型にはまらない「自分らしさ」を生かした葬儀が注目され出した時期だ。その後、一般向けに生前葬を売り出した葬儀社もある。メディアで話題になるたび「いいかも」と、葬儀社

安楽死「滑りやすい坂」と自己決定

安楽死を2002年、世界で最初に合法化したオランダで、「生きるのに疲れた」といった、健康上の問題はない高齢者にまで安楽死の適用範囲を広げようとする政府の提案が議論になっているという。さすがに、医師会からも強い反対意見が出ているようだが、この問題を巡る「滑りやすい坂」についてあらためて考えさせられる。 滑りやすい坂とは、一度そこに足を踏み入れて滑ってしまうと、どこまでも止まらなくなる危険性を指す言葉だ。オランダやベルギーといった「安楽死先進国」での法の適用範囲は当初、治療方法