自分を知るために他人を使う。
昨夜勢いあまってエッセイを書くと発信しましたが、「さて?エッセイとは?」と戸惑っている今日です。
皆さま、おはようございます。天女です。
文章を書くのは好きだけど読むのは苦手。
エッセイというどことなくチカラが抜けた響きが好き。だけれど、これまでそういった類の本を読んできただろうか?
そもそも私はあまり活字が好きではない。
動画も然りなのだけれど、本やブログ、動画ってダイレクトにその人の思考や観念が伝わってきてしまうので。共感力の高いわたしには辛くなってしまうことが多いのです。
なぜなら、他のものに支配されていくような恐ろしさがあるからです。
知識を得ることは人間としての進歩かもしれないけれど、自分の感覚を削ぎ落としていくような愚かな行為にも思えます。
「〇〇さん(偉い人)がそう言ってたから。」
「ベストセラーの本に買いてあったから。」
「人気ユーチューバーがそれ買ってたから。」
で、あなたはどう感じているの?
知らず知らずの間に失われていく自分の感性。
一体そのことにどれほどの人が気付けているのだろう。
わたしが興味があるのは、
目の前にいるその人自身だというのに!!
つまらない…
そこにあなたがいないのだもの。
昨日の記事にも書いたのですが
世界中の人の声を聞くことが好きなのです。
まずは自分の声を聞こう!話そう!!
他人の言ったことの方が信じられるのはなぜ?
なぜそんなに自分に自信が持てずにいるの?
話し合いたいのはむしろそちらの方なのです。
きっと自分のことなんて取るに足らないつまらない人間だと思っているのかもしれないけれど、、、
イマ目の前にいない誰かより
あなたの言葉の方がずっとずっと価値がある。
そうは思いませんか?
なので、わたしのこのつらつら書いている文章も、文字そのものよりも読み終わった後の自分の気持ちに目を向けてくだされば嬉しいです。
あなたの声を聞かせてください。
他人は自分の写し鏡。
人の厚みを測る物差しなんて存在しないけれど
人間としての厚みや深みって在ると思う。
自分の意見がない人は薄っぺらく感じ。確固たる自分を確立してる人は、どんなに逆風が吹いても大丈夫な強靭さを感じる。
それが正解か不正解かなんか関係なく、
人間の美しさ、魂の輝きを感じるのです。
それは揺るがない自分への信頼の賜物。
強くて美しくてキラキラしている。
その人がイマを生きているのを感じて
一緒にいることが誇りに思えて
楽しくて仕方がない!!
そういった人が周りに一人でもいるでしょうか?そして、自分自身もそういった存在でいられてる?
わたし達は他人と違う感性をもつことが恐ろしく、エラーを起こしているような錯覚に陥ったりするのだけれど、そんなことは絶対にない!
一人一人が違う感性を持つようにつくられた
神様の最高傑作なのだから。
それはわたしの周りの変人たちが証明してくれています。
あなたが会って楽しいのはどんな人?
自分の世界を広げてくれる人は?
きっと自分を生きている人なのではないでしょうか。
自分を生きる=自分を信頼する
そこに特別な資格なんて一つも要りません。
ただ根拠のない自分の感性を信じることのみ。
今すぐ始められるはずです。
私たち一人一人が神様の最高傑作なのだから。
今日も素敵な一日を。
天女。
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