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プペル歌舞伎良かった!

プペル天明の護美人間を見てきました。(1月10日)

ほんっっまに最高でした!!

僕が知ってる、僕の大好きな映画が、きちんと伝統芸能と混ざり合って、強烈な化学反応を起こしていました。

本年度のノーベル化学賞にはこの歌舞伎がふさわしいと思います。

まず原作者の西野さんの脚本がすごいのはもちろん。

今回歌舞伎という伝統芸能と向き合う上でえげつない苦労があったことも知っています。

ただ、脚本を担当した本人ではなく、何も知らない外野がとやかく言うのは違うと思っていて、

僕は歌舞伎サイドのみなさんにもプロとしての矜持がたくさんあったと思っています。

だからこそ、今回のこの歌舞伎はここまでに凄いものになったのではないでしょうか。

本当に何から何まで違いました。

ちゃんとプペルなのに、見たことがないものになっていました。

160kmのフォーシーム(ストレート)が、そのまま160kmのツーシーム(若干のシュート回転)になって、ど真ん中に入ってきました。

歌舞伎というものを初めて見たことも影響しているとは思いますが、本当に感動ばかりでした。


まず、会場の新橋演舞場に入った途端に流れている和のテイストの「えんとつ町のプぺル」から最高でした。

前々からやんわりと思っていたのですが、プぺルの曲にはむしろこういった軽やかで落ち着いた、晴れた春の日の公園みたいな感じのポカポカした曲が合うとも思いました。特に理由はなくとも、いろんな生き物がみんなつい集まりたくなるような、愛される太陽の温かさといった感じです。

元の曲は、オーケストラによる演奏なのですが、逆境に負けず夢を信じ抜く物語なだけあって、春というよりも、冬の雪山のストーブが効いた山小屋みたいな力強い温かさの曲だと思っています。寒くて寒くて辛い時でも、春が来るのを信じて、みんなの心が枯れてしまわぬように勇気を与える火の温かさといった感じです。

実際に物語自体もストーリーはほとんど同じはずなのに、曲のイメージとも少し似ていて、映画は夢を信じる人を応援する物語が中心で、歌舞伎は実の親子が演じていることもあってか親子の愛や絆の物語が中心にありました。(僕はそう感じました。)

演劇やミュージカルは結構音楽が大切な要素を占めていますが、普段耳にすることのない拍子木や篳篥、太鼓などの音が全身を包み込む感覚にも身震いが止まりませんでした。

和食が健康にいいことで知られているように、和の音楽もまた全身を整えてくれるような気がしました。

そして、音楽のみならず、表現の仕方が伝統芸能でなければ絶対にできないものなんです。

今現代人がどれだけ頭を捻っても、絶対に出てこない表現の型で、もし万が一誰かが”見得”とかを考えついたとしても、これを極める人がいないとただの思いつきに終わってしまいますし、わざわざ普通に考えたらわかりにくい型を応援する人はいません。

昔の人たちがこの型に魅力を見出し、それを極め、伝えて来たからこそ、他にはない圧倒的なオリジナリティと、静けさを常に内包したダイナミックさみたいなものを醸し出せるんじゃないかなと思いました。

上手く言葉では言い表せないんですが、静と動という同時には存在し得ないはずのものが同時に存在しているかの様な感覚があって、ほんとに不思議でした。

動き回っている時も常にどこか整った空気感を感じるし、

反対に、止まっている時にも、溢れんばかりの人間の狂気の様な迫力や、絶対にお客さんを感動させてやるという、プロとしてのダイナミックなエネルギーが会場中を支配していました。

止めるからこそ激しいんです。激しく動き回ってしまうと、その運動量や熱量で激しさを判断してしまうので、人間の身体能力を上回るほどのエネルギーは物理的に表現できなくなってしまいます。

ただ、きちんと動きを止めることにより、その止めに至るまでの所作の全てがものすごい迫力と勢いを持って伝わってくるんです。

止めることにより、それは激しさを物理的に表すのではなく、比喩的に体現していることになり、我々の想像力という無限大のパワーを用いることができるから、実際に暴れ回るよりも何倍も迫力を持って、こちら側に伝わってくるんです。(想像できなきゃわからないけど。)

また、野暮ったい例えかもしれませんが、テニスのスイングとも一緒だと思いました。

テニスのスイングは腰(体幹)の回転によるエネルギーをラケットに伝えるのですが、ただ腰を回転させるだけではなく、きちんとその回転をラケットの振り終わり(フォロースルーって言います)で止める必要があるんです。そうすることにより、電車やバスが急ブレーキをかけると体が前に倒れるのと同じような感じで、最後にラケットが加速するんです。物理的に言うなら、慣性力(止まった瞬間に、まだその直前の速度を維持しようとして加速する力)を利用しているということです。

ちなみに、どのスポーツにおいても同じようなことが言えて、例えば僕が大学時代にやっていたボートも、そうです。漕ぎ終わりの姿勢(フィニッシュって呼びます)はきちんと体を止めることが大切なんです。そうすることで、船に慣性力による最後の一伸びを加えてやることが効率的に船を進めるためには大切なんです。

歌舞伎を見ていて、何もスポーツに限った話じゃなくて、演劇や伝統芸能においても、止めというものは大切だと感じました。

また、歌舞伎の話に戻りますが、伝統ゆえに、縁起物を信じた昔の人たちが創り上げたからこそ、どことなく神々しいというか、神聖な感じがして、この歌舞伎を見れたこと自体が何か明日からの幸運に繋がっているかの様な感覚に陥りました。

こういうのは全部、

歴史にしか為し得ない奇跡と呼べると思います。

また、僕は時代劇や大河ドラマを普段から全く見ないし、見ようとも思わない人間だからこそ、あの歌舞伎の喋り方にはより一層感動を覚えました。

知らない国に旅行に行った時、外国語を話す人たちを見て、ワクワクが止まらないと思うのですが、

歌舞伎というのは、みんなが歌舞伎語を話すから、自分の知らない時代に来たかのような感覚があってワクワクさせられました。

オペラ座の怪人を見に行った時、ずっと上演中オペラ調で話が進み、上演中の90分か120分の間ずっと、圧倒的音楽と歌唱力の世界に体中の感覚神経を支配されたのですが、その感覚に少し似ていました。

伝統芸能だからこそ、私たちの普段の話し言葉とは違うからこそ、しっかり聞かないといけないと思って聞くし、

そこに守り続けてきた型と歴史を感じるからこそ、1秒たりとも見逃しちゃいけないと思い、

全ての雑念を忘れて目の前で繰り広げられる舞台を見入ってしまい、視覚聴覚嗅覚触覚、(味覚も?笑)全てを海老蔵さんとれいかちゃんと皆さんに持っていかれました。

また、歌舞伎の舞台というのは花道があったり、競り上がりって言ったらいいのかな?(下から出てきたりするやつ)があったりして、後は早着替えや、主役を立てるという文化、歌舞伎ならではのチャンバラみたいなやつとか、おそらく歌舞伎という芸能においては定番となっているであろうもの(違ってたらごめんなさい。)をたくさん味わうことができて、それも興奮でした。

映画の、最初のハロウィンパーティに該当するところはこうしてくるのかとか、一番最初のルビッチの語りは歌舞伎ならではのこんな表現の仕方をしてくるのかとか、ローラの代わりにそう来たかとか、えんとつがなくて煙がない分ストーリーをそう変えてきたかとか、主役を立てなければいけない分そうストーリーを変えてきたかとか、

そういったところを一つずつ感じ取っていく間違いさがし、もとい、宝探しのような時間が100分間ほどずっと続いていました。

小説を映画化する時とかに、商業的(CM的)なしょうもない理由で無駄な改悪を入れられることはよくありますが、今回は商業的な目的で原作にメスを入れた部分などは一つもなかったから、変更点の一つ一つが楽しい気付きであり、宝物でした。

たぶん、全ての苦悩に意味があって、あの時のあの件一つ一つがなければここまで観客を納得させるものはできていなかったんじゃないかと思います。

また、僕はミュージカルも見た人間だからこそ、最後の方の船の演出とかには色々と思わされるものもあったし、あんなにも花道を大胆に使った演出は観客みんな、子供が見ても楽しかっただろうなと思いました。

こういう無条件で人のテンションが上がる様な演出は、おそらく歌舞伎の演出家の人じゃなくて、西野さんが考えたんじゃないかって思っています。

まだまだ喋りたいことがあります。

海老蔵さん!

すごい!

歌舞伎役者としての凄さは言うまでもないんですが、

あの方ちゃんとプペルなんです。

普通に考えたら、歌舞伎とプペルって相性悪いと思うんです。

歌舞伎は今日初めて観ただけですが、力強く喋るのが歌舞伎で、弱々しく喋るのがプペルです。

それに、歌舞伎は歌舞伎の喋り方があり、プペルにはプペル独特の変な訛りがあるんです。

でも、ちゃんと歌舞伎だしプペルなんです。

あれを歌舞伎だと思うのはもしかしたら、歌舞伎を知らないからかもしれません。

でも少なくとも、初めて観た人間にとっては何一つ歌舞伎の世界観を壊している様には見えませんでした。

もしかしたら、僕が知らないだけで、世界観そのものが本来の歌舞伎よりもだいぶ現代演劇よりだという可能性はありますが、海老蔵さんはプペル歌舞伎において、プペルであり、歌舞伎役者だったと感じました。

あちこち引きずり回されたりしてる時も、ちゃんとプペルっぽいとぼけた様な顔と声をずーっと維持してるのはホントに名人技以外の何物でもないと思いました。

そして、やっぱり僕個人として1番グッと来たのは、海老蔵さんの娘のれいかちゃん。

ほんっとに可愛い。

声も顔も不器用なとこも全部全部好きなの。(ドライフラワー風)

こんなにも小さい子が全力で役者をしている様を観たら、誰しもが心を動かされます。

ホンッとに健気で可愛いんです。

後、シンプルに可愛いんです。

そして、プロなんです。

歌舞伎の家系に生まれて、無理矢理出演させられてる修行の身とかじゃありません。

一人前の役者さんです。

声や身長、顔立ちこそまだ10歳の女の子ですが、

堂々と前を向いて、自信を持って、ハキハキと、歌舞伎の型を守りながら、観客全員の心の深ーいところまでクリアに突き抜けるハイトーンボイスで語りかけていました。

そして、魅せるところできちんと魅せる。

まだ10歳の女の子がこんなにも多くの人を感動と拍手の渦に包み込んでいるのか。自分だってまだまだ頑張れる。

そう思いました。

映画なら、ルビッチの語りで、明日からももっと頑張ろうと思うのですが、

今回のプペル歌舞伎では、はる(映画ではルビッチ)を演じるれいかちゃんの生き様そのものに、勇気をもらいました。

そして、今回が初演だからこそ、見る側も演じる側もどうなるんだろうというハラハラ感があるからなのか、まだ10歳の女の子の初々しさと一生懸命父親に食らいつく姿が色濃く頭に残りました。

今年にはれいかちゃんも11歳になります。勸玄くんはまだ今年で9歳ですが、どちらも一日ずつ着実に大人になっていきます。

ホントに今しか味わえない作品だと思います。

日に日に成長していき、原作における親子の身長差からはだんだんかけ離れていき、終いには親を慕う小さい子どもとお父さんという設定そのものに無理が生じて来るのかと思うと、絶対に今!(もっかいやるなら)最低でも来年までには!絶対に見ておくべき作品だと思いました。

映画は挑戦する人を後押しする物語ですが、実の親子が演じていることもあり、プペル歌舞伎は親子の物語寄りになっていました。

その愛情と絆に感化されて、

もっとやろう。まだまだ素敵な世界や幸せがこの世界にはたくさん埋まっている。

海老蔵さんとれいかちゃんの様に、全てを超越した親子としての愛や絆と、妥協を許さないプロの役者としての繋がりみたいな、素敵な出会いや人との繋がりを僕も作っていきたいなと思いました。

そして、最後に絶対に書きたかったのが、田村さん。

ご存知ない方も多いとは思いますが、キングコング西野さんの専属のマネージャーで右腕です。

本当に尊敬しています。

むしろ田村さんこそ尊敬しています。

田村さんの考え方は、烏滸がましい話ですが、すごく自分と似ているところもあって、だからこそ尊敬の念が絶えません。

毎日毎日プペル歌舞伎が行われている新橋演舞場で一般の方々の写真撮影を行なっているんです。それも楽しそうに、お客さんたちが喜んでくれるのが何よりの喜びだと言わんばかりの田村さんスマイルで自分から声をかけて撮りまくっているんです。

田村さんについて話し出すと、長くなるので、別記事で書こうと思います。

とにかく、プペル歌舞伎最高でした!!!

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