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家族のカタチ⑤

おはよう、こんにちは、こんばんは!☀️
てんのさいです!!🐹

最近、天気が良くてお出かけしたいけど
まだまだコロナの影響による不安があるので、
出掛けられなさそうです…

もしコロナが完全に収まれば、
写真を撮りに出掛けたいと考えてます〜!

先のお出かけ予定を作ってみるのも、
楽しいかもしれないですね📝💖

それでは本編に入りたい思います!
※この話は家族のカタチ①〜④の続きです。
結構暗くて、重い話なので、読んで辛くなる方は静かに閉じてくださいね…

読んでくださる方、
いつもありがとうございます…!!!


                                 〇〇〇

姉妹の部屋は一つしかなかったので、
二段ベッドから姉の様子を見ていた。



姉は声を殺し、怒り泣きながら服を畳み、キャリーケースに入れて、荷物をまとめていた。




「どこに行くの?」という私の質問も姉の耳には入ってない。
どんどんと服をキャリーケースに入れた。



姉は何も言わず、私と妹は姉が玄関で靴を履いて出て行こうとしている様子を見た。



扉を開けて出ていった。
(え??大丈夫??と小学生の頃の私は焦ってた)



義理父に「お姉ちゃん出ていったよ?」と私が言ったけど、「もうアイツはほっとけ!!」とキレながら義理父は私に言った。



15歳くらいの姉だから、あの頃、すぐ帰ってくると思った。






姉は何ヶ月経っても帰らなかった。



母は流石に焦ったのか、「警察に捜索願、頼んでくる」と言ったりしていた。


私はは未だに、母の許せない言葉があった。


母が私に「警察が来たら、お姉ちゃんが居なくなった時、お母さんは探してたって言ってよね!」と言った。


お母さんは姉が居なくなった時、すぐに姉を引き留めてはいなかった。





その時の心の中で小学生の私は
(「……え??お姉ちゃんが居なくなって、何ヶ月後にやっと焦り出したのに…?警察にそう言えって?なんかお母さん、それは間違ってない…?」)と思っていた。



母は自分が警察に問いただされた時、自分が不利になると気づいたのだろう。
私は、母の間違いを消す、良い子供として扱われた。



結局、母は捜索願を出しても、警察に取り扱ってはもらえなかったようで、何年経っても帰らなかった。



この事件の本当の裏側を知るのは、姉が出ていった歳と同じ、私が高校生の頃だった。




私は小学5年生頃から、姉が居ない生活を送った。相変わらず、姉が居なくても、父と母はよく喧嘩していた。



たまに喧嘩の最中にガラスを割ったりすることもあったので、その度に小さな弟と年子の妹を子供部屋に避難させ、子供部屋のドアの鍵を閉めた。


義理父と母の怒鳴り合い、物を壊す音。



私はよく耳を塞いでいた。私は弟や妹にそうするように言った。子供の私はこれで精一杯だった。



この状況は、家族によくあると思っていたので誰にも相談出来ずにいた。


そして、虐待のニュースがテレビで流れる度に、私の家の状況を想像した。
(「あぁ、警察に知られたら、大事になるんだろうな…」)そう思いながらも、誰にも言い出せなかった。


どうなるか分からなくて、怖かったから。



ある日、小学生の頃、妹の友達が急に引越ししてしまった。
事情を聴くと、彼女の両親が彼女を虐待していたようで、彼女は両親と引き離されたということだった。


私は彼女が家族と離れられたことが
羨ましいという気持ちと
離れて知らない人と家族になるのは怖くないのかな?という気持ちが両方あった。


私は両親に
「他人はあなたを誰も助けないし、他人は両親以上にあなたに優しく出来ない」
と心に刻み込まれるように言われてきた。


私や妹は他人を信じるということが全く出来なくなった。


両親に服従することでしか、自分を守ることが出来なかった。


                                〇〇〇

楽しい記憶は薄くなっていくのに
怖い記憶はなぜこんなにも強く残るんでしょうか?
これを考えると宇宙に飛んで行きますので、控えます😂


家族カタチ⑥で、さらに大きな波に揉まれていきます。描いてる自身も、あの頃の私、よく耐えたなぁと褒めてあげたいという気持ちになってます。



それでは、
また次の記事でお会いしましょうね👋🏻🐹✨









この若者🐹を応援したくなった!!美味しい飯食わして元気出させたい!!これからも続けてほしいと思ったら、ぜひサポートお願いします!!あなたのおかげで、あたしは頑張れているよ💐✨✨✨