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家族のカタチ⑥

こんにちは、おはよう、こんばんは〜〜
てんのさいです🐹


※家族のカタチ①〜⑤までの続きを書いてます。
良かったら読んでね。
以前よりもヘビーな内容になっております。読んで辛くなる方はおすすめしません…


                                〇〇〇


姉が居なくなってから、4年経った。
家族の誰もが、姉はもう死んでいるのではないのか?と考えていた。



それでも私は姉のことをよく考えていた。
どうか生きてて欲しいと思っていた。




この頃の母の口癖は
「そういうところ、
あんたのお姉ちゃんみたいやな」
私が何かやらかす度に、姉と重ねられて
悔しくてたまらなかったです。





そして私は中学生になった。




中学生の夏休み頃だった。
私は部活をしていたので、フィリピンには帰れず、母は1人でフィリピンに帰省していた。





この出来事はあの頃に
誰にも言い出せなかった。




どう思われるか怖くてたまらなかった。




私は人生に忘れられない、傷をつけられたのだ。




義理父は、なぜか母がいない時を見計らって、私にマッサージを頼んできた。




その度に義理父は
「お母さんには、勉強を教えてただけと言っといてね。お母さん、絶対に怒るから。」
と私に何度も言っていた。
(今考えると、死ぬほど気持ち悪いけど。)




マッサージが上手いと褒められたのは嬉しかった。
母に褒められることはあまりなかったから。




義理父になぜか、私に
太ももの付け根をマッサージしてくれと頼まれた。



義理父はわざとアソコに近い部分に当たるようにマッサージを頼んでいた。
義理父は、喜んでいた。違う意味で。
(書いててキモってなった、、、)


私が義理父によって、
性的虐待の餌食になった。




今の私なら、無視して離れるという選択をしていたと思う。
あの頃の私は純粋すぎて気付かなかった。




ある日から
部活や勉強で疲れただろうと、
義理父はマッサージをすると言いながら
私の身体を触りまくっていた。
(セック〇に近いことをされていたけど、書いててグロすぎるので、書けません…)



後々、私は気付く。




愛情とは違う歪んだ何か
を義理父は私に持っている。



そんな風に感じた。



中学生と言っても、
性的なことを自然と知っていく歳。



親に私がこれをされるのは、間違ってると気付くのは遅かった。



段々気持ち悪くなった。
自分の身体が汚れていくような気がしたから。




でも「やめて」言うのが怖かった。
やられてる時に、
抵抗したら殴られたりするんじゃないか
と思ったから。
(義理父は壁に穴が空く、くらい力が強かった)




そんなことが2年くらい続いた。
ある時、やっとの思いで、母に相談した。



「私こんなことされてるって、やめてと言えなかったの…」



母はブチギレた。



母「なんで早く言わなかったの!!!」
私「どうなるか怖くて、
言えなかったから…泣」



そのあとから、母に変態扱いされるのが、キツくなった義理父。違うところにアパートを借りるようになった。


                                 〇〇〇

いつも読んでくださって
ありがとうございます!!!!


今日も良い天気だなぁ、、、(外眺める)


それでは、
また次の記事でお会いしましょう〜〜👋🏻🐹







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