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"家族の物語”のテッパン。

幼い頃、千葉の佐倉に住んでいた私にとって"ハレの日"の食事の場所の一つは成田山新勝寺の表参道にある「江戸っ子寿司」でした。成田山で七五三参りをした後も、祖父母と会食したのは江戸っ子寿司。

日曜午後は家族で出かけることが多いのですが、4連休かつ熱中症を避けてクーラーのきいた部屋で巣ごもりを決めた今日、テレビをつけるとノンフィクションで「江戸っ子寿司」の4代目の婿入りをテーマにした番組がやっていました。老舗寿司屋の婿入り…タイトルを見るだけで"想像がついてしまう話"なのですが、最後まで見入ってしまいました。

しかし想定をひとつ越えていたのは、箱入り娘の婿となる31歳の青年のひょうひょうとした姿でした。老舗をしきる大女将が守ってきたしきたりに対しても自らの感覚で新たな提案をし続ける。地域の有名な店の婿になることにはメリット以上に様々な重圧がある(逆玉に乗れるというメリット以上の難しさ)と思いますが、本人は器用に試練を乗り越えていく。結婚式の費用も引越し費用も全て妻の実家持ちということもあまり意に介してなさそう。その姿は爽快なものでした。

人類に思春期があるのは、人類の繁栄の為だとヒューマニエンスで以前見ました。若い存在が、既存の集団の中に入り、「これはちがう」「こうすればもっとよくなる」という提案こそが、人間の社会を進化させてきたのです。

しかし一方で水戸黄門よろしく「渡る世間は鬼ばかり」ばりの物語の定型文に馴染みきっている私がいます。若い世代が求める変革が阻害され、軋轢が深まる物語を私たちは溜飲を下げ欲してきました。そこには、提案をすること自体をとがめられてきた「出る杭は打たれる」文化に染まりきった私自身があるのかもしれません。

江戸っ子寿司、早く食べに行きたいな。

(ザ・ノンフィクション「老舗の寿司屋に婿が来た ~4代目は元美容師~」7月25日放送)

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