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「学習投資」する2021年に

"現代は急速に、めまぐるしく変化する時代であり、しかも変化は地球規模で、待ちうける未来は不安と動揺に満ちているといわれている。"(引用:半藤一利 「指揮官と参謀」)

この一文は、「指揮官と参謀」という本の冒頭の一文だ。
著者が亡くなったニュースを見て、恥ずかしながらお名前も知らなかったのだが、手にとって読み始めた本だ。

『そういう時代だよね』と思いページをめくって驚いたのが書かれた年。昭和63年春となっていた。
30余年も前から繰り返し、今に至るまでずっと同じことが言われ続けているのだ。感じたのは、結局人はより「楽に」より「便利に」を求め、技術は進歩を続け、技術の進歩に合わせて世の中は変化し続けるのだろうということ。

世界規模での生活様式の変化につながったコロナ禍ですら、リモートワークを支えるテクノロジーやDX、バイオテクノロジーの一層の発達に寄与し、時計の針をすすることはあっても、時計の針を戻すことはなかった。

新しいことに触れ続けるということ

そう考えると、企業として一個人として社会(広い意味での)に対して価値を提供し続けるには、新しいものに触れ続け変化に適応し続けるしか道はないのだろう。(別に常に価値を提供することを押し付けるつもりもないし、個人としてそう有りたいと思っているだけだ。)

変化が起こると、既存の成功体験やメソッド、果てはツールまで役にたたない状況が訪れる。そのときに求められるのは新しいことに対して向き合い、考え、行動すること。

その前提には、色々な新しいことを吸収しつづける「学習」が必要になる。

「学習コスト」につきまとう良くないイメージ

大人になって、色々なことを吸収するための「学習」には、セットで「コスト」という言葉がつきまとう。

どこで使われ始めたのかはわからないが、新しい技術などを身に付けようとすると「学習コスト」という言葉にぶつかる。
最近は、この言葉が嫌いだ。以前は特に何も意識せずに使用していたが、考えていくとものすごく気持ち悪い。

「学習に時間がかかること」イコール「コストがかかる」というのはどうなのだろう。確かに、学習には時間がかかるし働いていれば時間の捻出のために何かを犠牲にしている可能性もあり、「コスト」が言わんとすることも理解はできる。

ただ、そこで身につけたものは「仕事の効率を高める」「視野 を広 げる」「人生を豊かにする」そんなことに繋がるのではないか。もし学習コストの「コスト」が金銭 など 費用としてのコストではない、概念 としての「支払う対価」であるならば、得られる ベネフィットもセット語られるべきなのではないか。

「コスト」という言葉に良い印象 を持つ人が多くはないこともあり、変化に対応するために必要なはずの「学習」が敬遠さ れるものになっているならそれだけでもったいないことだ。学習の 為にかかる時間や犠牲にするなにかは、学習したことによって得られる ベネフィトのための元手のはず。「学習投資」でも「学習保険 」でも「学習貯金 」でもなんでもいいからプラスイメージのある違う呼び方が定着してほしいものだ。

「投資」と捉えて学習する

ここでは便宜的 に「学習投資」と置くが、学習が「投資」であるならできるだけ多くの資本(ここでは時間など)を投資したほうがいいし、継続すればするほど将来返ってくる公算は高まる。

「投資」には何かを失う(時間を無駄 にするなど)リスクは伴うが、変化の激しい時代では、「投資」をすることと「現状を維持する」ことでは現状維持の 方がよ ほどリスクが高いだろう。

2月にも関わらず、年のはじめの「目標 」の 宣言のようになってしまったが、これまで、忙しさを理 由におろそかにしていた、「学習投資」により取り組んでいけるような1年にしたいと思っている。

文:那木丈裕

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