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パニック障害 闘病のあれこれ4

 学生時代に使っていたパソコンのキーボードの配置に戸惑うほど、社会人になった。無理しないとどうしようもないことって、やっぱりたくさんある。良い悪いでいえば、今はとても悪い時期だと思う。良い時ばかり書いたって、それは偽物のような気がするので、久しぶりに書くことにした。闘病のあれこれ、パート4です。


 会社に勤め始めて、もうみんなが聞き飽きたような悪意とか、別に想像に難くない疲れとか、そういうありふれたものに、馬鹿みたいに真正面からあてられて、ダメになってしまった。なんていうか、本当に文字通り、ダメになってしまった。

 電車に乗ることが、ひどく怖くなった。
会社に行けなくなってしまって、無理やりリモートワークに切り替えた日
「別に強制はしないけど、出社してないのはどういうことなの?」 
上司は電話口で、怒りを抑えていた。

頭の中に、何度も駅を作った。
何本も電車を見逃して、泣いた。
もうダメになってしまったんだなと、本当の中でも、泣いた。

 こんなふうにダメになってしまう予兆は、一応あった。

 広場恐怖という症状がある。人がたくさんいる場所で、この場でパニック発作を起こしたらどうしようと不安になって、その場所に行けなくなったり、発作を起こしてしまったりする。
 広場恐怖と、フリーアドレスは、あまりにも相性が悪かった。毎日名前も知らない他部署の人が、近くにいたり、遠くにいたりする。私が座る席も固定できないから、常に誰がどこにいるか気にしながら定位置を決める。開放的なオフィスは見晴らしも良くて、常にいろんな人の視線が交差している。それも辛かった。
 ある日、吐き気が止まらなくなって、多目的トイレで吐いた。涙が止まらなくなって、業務に戻れず、医務室で2時間泣き続けて、心療内科の受診を勧められた。かかりつけの精神科に無理やり予約をとった。「過緊張です、薬を飲んでください。それと、双極性障害ですね」と言われ、あっけなく薬が4種類に増えた。

 新生活の激流と、合わない環境、上司とのコミュニケーション不足、そしてある日、電車に乗れなくなった。

 少しごたついたけど、なんとかリモートワークを認めてもらって、1週間家で働き続けた。彼女が必死でコミュニケーションをとってくれたり、わざわざ車で旅行に連れ出してくれたりしたおかげで、パソコンに向かって趣味で文字が打てるくらいには、回復した。

 今は薬を5種類飲んでいる。また明日からは、出社にチャレンジする。電車なんて知らない人だらけの鉄の塊、想像するだけで息が詰まるけど、大丈夫って彼女は言ってたから、多分大丈夫なんだと思う。

 今はただ悪い時で、これを耐えれば、また良い時がくるはずなのである。負けたくない、希望をもっていたい、もう我を失いたくない。友人が、同じ病気を発症していた。また別のパニック患者の友人は、調子がいいと嬉しそうに話してくれた。

大丈夫って彼女は言ってたから、多分大丈夫なんだと思う。

10円でも100円でも、貧乏学生にはありがたすぎます!