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モンスーントラフと台風

1 はじめに

今年、7月末日に台風第6号が発生して7月までの台風の発生数は6個、平年で7.9個なので、ここまでやや少なめに推移しているということになります。気象庁には1951年から月毎の台風の発生数の記録があり、https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/statistics/generation/generation.html
それをグラフ化してみると図1のようになります。

北西太平洋における毎年の台風の発生数(データは気象庁HPより)

棒グラフは発生月により色分けされていますが、全体の長さが年間発生数になります。年間発生数自体も年ごとの変動が大きいことがわかります。地球温暖化により、台風の発生数は減少すると言われていますが、一見、1960年代から減るトレンドが見えているようでいて、でも1964年から1967年の4年間連続の30個以上の発生が、そう見える理由にも思えます。
こうした年ごとの変動の背景として、台風の発生に重要な熱帯の海面水温を左右するエルニーニョやラニーニャの影響については、ある程度統計的な事実がわかってきています。https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/data/elnino/learning/faq/faq8.html#3

特に発生位置の変動はそれなりに相関がありそうですが、発生数との関係はそれほどきれいに見えるわけではありません。台風の発生には海面水温が高いことが必要条件となりますが、高ければ必ず発生するというものではなく、他のさまざまな条件が関与して発生するもので、今回はその重要な条件でもある、モンスーントラフの話をします。

2 モンスーントラフとは

こども気象学」でも書きましたが、熱帯付近では一年中同じ方向の風である貿易風というのが吹いています。偏東風とも呼ばれて基本的には東風ですが、北半球では東北東、南半球では東南東くらいの風となっていて、両方の風がぶつかる(収束する)ところがあります。風が収束するところでは、上昇流が立ちやすく、また貿易風として海の上を吹いてきた風なので、水蒸気をたっぷり含む暖かい空気であり、積乱雲として発達します。このような両半球からの貿易風が収束して東西の帯状に広がる積乱雲の活発な領域を熱帯収束帯と呼びます。

2022年7月30日13:30のひまわりトゥルーカラー画像、赤楕円が熱帯収束帯(ITCZ)に対応。気象庁HPより

この例の通り、熱帯収束帯は夏半球側にできることが普通です。また、貿易風の収束という形での熱帯収束帯は、中部太平洋以東でよくみられます。一方、台風の本拠地である北西太平洋では、ユーラシア大陸が近いことから、アジアモンスーンの影響を受けます。モンスーンとは、季節による日射の違いにより、熱容量の違う海と陸で暖まり方が異なることが原因で季節により異なる方向の風が吹く現象です。インドなどでは、風の変化とともに雨季が開始しますので、その社会的影響は大きく、モンスーンの開始であるモンスーンオンセットという情報は重要な位置付けとなっています。
インドの雨季の開始となるこのオンセットは、風で見ると西風の開始となります。インドの北のチベット高原を中心に大陸が日射で温められて、下層では広い範囲で低圧部となります。低圧部の南側でインド洋からの西風が強まって、それが水蒸気を輸送してインド付近に降水をもたらします。そして、この西風はインド半島を過ぎてもユーラシア大陸の南縁に沿ってベンガル湾から南シナ海へ吹き抜けます。その一部は中国大陸南部を通過して東シナ海方面に行きますが、これが中国のメイユー、日本の梅雨前線に水蒸気を輸送する風系となります。
南シナ海からフィリピンを通っていくモンスーン風が西太平洋のモンスーントラフの要因となります。さきほど、熱帯収束帯の基本は、南半球と北半球のそれぞれ貿易風(偏東風)が収束するところと説明しましたが、西太平洋の熱帯域には、南半球からの貿易風ではなく、このモンスーンによる西風が入っています。ですから、この西風と太平洋高気圧の南側を吹く貿易風(東風)がぶつかり合うようになっているのです。このぶつかり合い方として、南側にモンスーンによる西南西風、北側に太平洋高気圧の周りの東北東風という形で、低気圧性の回転を持つ領域となり、ここをモンスーントラフと呼ぶようになっています。ITCZと別の概念で説明してきましたが、熱帯で収束する領域なので、広い意味ではITCZの一部として捉えられることもあります。

3 モンスーントラフと台風の発生


モンスーントラフでは、低気圧性の回転と下層収束がありますので、台風が発生する苗床のようなところでもあり、実際にここから台風が発生することは少なくありません。
気象庁HPのエルニーニョ年とラニーニャ年の台風の比較の記述は下記の通りです。

エルニーニョ現象発生時

  • エルニーニョ現象の発生期間の7〜9月は、台風の発生数が平常時より少ない傾向がある

  • 台風の発生位置が、平常時に比べて南東にずれる傾向がある(夏は南に、秋は南東にずれる傾向がある)

  • 夏、最も発達した時の台風の中心気圧が平常時よりも低い傾向がある

  • 秋、台風の発生から消滅までの寿命が長くなる傾向がある

ラニーニャ現象発生時

  • 台風の発生位置が、平常時に比べて西にずれる傾向がある(夏は北に、秋は西にずれる傾向がある)

  • 秋、台風の発生から消滅までの寿命が短くなる傾向がある

ここからは私の推測ですが、エルニーニョの年には、偏東風が弱いことから、モンスーンの西風が太平洋の中部近くまで入り、モンスーントラフも太平洋奥深くまで伸びることが多くなります。このことと太平洋中部での海面水温が高いということが重なって、台風の発生位置がシフトするのかなと思います。エルニーニョ年には、発生場所から連想すると、強い台風が多く日本に来そうな気がします。実際、1991年の19号台風(りんご台風)はここ30年ではもっとも暴風被害が大きかった台風ですが、これはエルニーニョ時の発生です。2018年に関西を襲った21号台風、これも記録的な暴風と高潮が大阪湾を襲いましたが、これもエルニーニョ時の発生です。2019年に命名された15号、19号も近年の台風の中では顕著な勢力を持つ台風でしたが、こちらはエルニーニョが春までだったので、厳密にはエルニーニョ時の発生ではありません。
一方、ラニーニャ年の台風は、発生位置が比較的高緯度にあることが多く、発達する時間もなく日本付近に北上してくることが少なからずあります。今年の5号、6号がまさにそうでした。モンスーントラフは、発達して時には大きな円形に近い低圧部となることがあり、これをモンスーンジャイアと呼ぶことがあります。モンスーンジャイアはその東側の周辺部で強い南風とともに積乱雲が発達しやすく、それが時には台風となって早い速度で北上してきます。また、モンスーンジャイア自身が発達して、そのまま台風になることもあります。この場合には、中心近くではあまり風も雨も吹かず、数100km離れた東側で風も雨も強いという変わった構造を持つことも少なくありません。このような台風の例が気象学会誌「天気」で紹介されています。https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2014/2014_10_0024.pdf

このうち、2011年の12号台風は、四国に上陸したのですが、記録的な大雨は中心より東の紀伊半島で発生して、紀伊半島に甚大な大雨災害をもたらし、これが特別警報の開始につながりました。2022年の5号、6号台風もそうなのですが、モンスーンジャイアは東側にアジアモンスーンの西風から連なる強い湿った南風を伴い、これは台風の通過後もしばらく継続します。2011年の12号台風についても、台風が日本海に抜ける頃に降水のピークを迎えています。下記には2022年のモンスーンジャイアを示します。天気図では南シナ海で偏東風ではなく西風が入っていることがわかります。台湾の東から東シナ海にかけての気圧の低い領域(台風や熱帯低気圧を含む広い領域)がモンスーンジャイアに相当します。衛星画像では、モンスーン風に伴って雲が発達して流れ込んでいて、それが南西諸島から九州、四国にもかかっていることがわかります。

2022年7月30日正午のひまわりトゥルーカラー画像 赤で囲まれた雲域がモンスーン風に伴うもの 気象庁HPより
2022年7月30日15時の天気図 気象庁HPより

4 台風の発生数の予報、温暖化に伴う台風の変化

社会の関心としては、台風シーズンの前に台風の発生数は予報できないのか、地球温暖化に伴い台風の数や強さはどう変わるのか、高い関心があるように受け止めています。上記のようにエルニーニョやラニーニャと台風との統計的関係はあるので、ENSO(エルニーニョやラニーニャをもたらす数年スケールの振動)の予測をもとに台風の発生数等の見通しはある程度はできるようになるかもしれません。なお、ENSOに加えて夏の日本の天候にはPJパターンという降水分布を含めた位相が重要であり、これがエルニーニョやラニーニャの翌年にある傾向を示すという研究もあります。いろいろと複雑でもありそれほどきれいな統計的関係ではないのと、ここで説明してきたとおり、特に北西太平洋ではアジアモンスーンが絡んでいるので、年ごとに異なるモンスーンが台風に及ぼす影響も考慮しないといけません。
地球温暖化に伴う台風の長期的な変化についても、第一近似的な理論的な研究は進展してきていますが、ENSO、PJやモンスーン、さらには偏西風の蛇行(シルクロードパターン)など北西太平洋の夏の年々変動が地球温暖化にどう影響されるのか、こういった理解がさらに深められることが必要です。さらに、気候モデルでもそれをより現実的に表現できるかどうかが大きな鍵となります。
強い台風の割合が本当に増えていくのか、2018年、2019年と続いた顕著な台風の襲来は、その兆しのようにも見えましたが、その後の2年間は台風の影響をほとんど受けないシーズンが続きました。実際に過去の自然災害から学ぶ(その2)伊勢湾台風以降でも述べた通り、今から88年前の室戸台風から、61年前の第2室戸台風まで、わずか30年弱の間に、この2つの台風に加えて、伊勢湾台風、枕崎台風といういずれもこの60年間経験していない特別警報級の強さの台風が少なくとも4個上陸しています。この観測事実を説明できるシミュレーション結果が欲しいです。

5 まとめ

海面水温高いと台風発生、発達、とか、地球温暖化すると台風はこうなるとか、シンプルな話が世の中には出回りますが、実際にはそうシンプルな話ではないのだよ、というのが今回の趣旨かなと思います。まだまだ人類の知り得ていない自然の謎が少なからずあり、データを整備して、現実に根ざした気象学の研究を進めていくことが重要、ということです。シンプルな話はわかりやすく、また、そうすることで見えてくる部分も真鍋先生の研究などではあるのですが、本当の社会応用を進めていくためには、現実をしっかり理解すること、現実の地球をしっかりシミュレーションすることが重要だと思います。
それと、気象学の中の話にはなりますが、地球温暖化、ENSO、PJ、偏西風蛇行、モンスーン、台風、積乱雲とさまざまな時空間スケールが入り混じる中で、解明すべきことがまだまだ多くあるように思います。気候研究、台風研究、メソスケール研究、力学研究などそれぞれの分野での専門性を高めつつも、モデリングやデータ同化などのツールも使いこなして、これらの分野横断できる人材がこれからますます必要になってくるように思いますし、そういう若手人材を応援したいなと思います。



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