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日本人と、オーストラリアで出会うこと

とある週末の日。

ハウスメイトと一緒に街まで出かけて、マーケットなどをちょっと散策しようかと昼前くらいに家を出た。

街中へと歩みを進めると、「エクスキューズミー!」と声をかけられる。はい?ととっさに振り返ったけど、な、なんですか?

「日本人ですよね?」という声を耳に、顔を見ると赤髪の女の子だった。
あ、この子、さっき電車で向かいに座ってた。
話を聞くと、さっきの電車での会話を聞いていて、日本人だと思ったのだそう。彼女は昨日到着したばかりで、右も左もわからないので、案内してくれないか、とのことだった。そんなことある?
断る義理もないし、なにより留学生は助け合いが大事なのだと私は知っている。

話を聞くと、彼女もワーキングホリデーのビザで渡豪し、2週間だけのホステル生活をしながら、次の居住地と職を探すのだという。
語学学校には通わないため、知人を広げるのも難しいと思って、声をかけたらしい。彼女の気持ちになってみると理解はするけれど、ガッツがすごくて賞賛するしかなかった。

それにしても、オーストラリアの街の中心で声をかけられるなんて思いもしなかった。なかなかできない経験をさせてもらった気がする。
その後も彼女とは一緒に飲みに行ったりする仲。これからもよろしく。




セントラルから、バスで30分。
薄暗くなった知らない住宅地の中で、Googleマップを握りしめ立っているその理由は、次なる部屋の内見のため。
Facebookでその気なしに偶然見つけたその部屋は、破格だった。

行ってみると、住所を確認したくなるような、薄暗くて少し怪しい場所だった。おそるおそる中へ入り込み、ノックすると、その人はいた。プロフィールから知っていたのは、元自衛官であったことくらい。Facebookでし3往復のメッセージのやりとりしかしていない彼は、「好青年」という言葉がにあう雰囲気だった。私より年上なのはわかっていたけれど、それでも青年と思うようなやわらかさと、爽やかさを持っていた。彼の耳は、柔道経験者だけが持つ餃子みたいなあの形になっていた。その耳だけが、彼の雰囲気から浮遊していた。

破格すぎて、正直物件の質に期待していなかったのだけれど、なんにも問題なかった。部屋に住んでいて困ったことや周囲の雰囲気、同居人・オーナーの人柄なんかを質問攻めしたけれど、なにも問題なかった。
こんな物件もう見つからないと思ったし、きっと次の候補者もいるだろうから、その場で決めた。部屋に入って15分くらいだ。もちろん、価格や立地などの条件がよかったこともあるけれど、なによりこの人の言うことは信頼できると、思った。破格を超えるほどの信憑性が、この人にあると思えた。

結局そのあと、近くのショッピングモールまで案内してもらうついでに、一緒に夕飯を食べることになった。そこまでの道中でも、気まずくなることは一切なかったし、むしろさらに信頼ができると思えた。
オーストラリアに来て間もないことを伝えると、こっちでの生活についても事細かく教えてくれて、同居人を含め、本当に心強い人たちだ。
ここでの生活は、少し先のことだが、今からすでに楽しみ。




とあるとき、友達からインスタでフォローされた。
投稿とIDだけでは誰かわからなかったが、友達に確認すると小中で学校が同じだった女の子だという。しかも、オーストラリアに留学しているかも?とのことだった。
シドニーか、メルボルンか。どちらにせよ、旅行で行きたいと思っているのでこっちで会えるかもしれない。連絡くらい取ってみるかと思って、DMしてみると、まさかのブリスベンでした。ブリスベンは、シドニー、メルボルンと比べるとどうしても見劣りしてしまう。そんな中で同じ街にいるとは。

ということで、会ってみました。

彼女とは成人式のときも顔を合わせていなかったので、本当に中学校の卒業式ぶりだった。それでも、すぐに気づけたし、話し方から何まで、変わっている感じがしなかった。カフェに入って、話すこと2時間くらい。
オーストラリアでの生活のことから始まり、日本で何しているかとか、就職活動のこととか、地元の友達に会っているかとか。普通に大学生がするような話ができた。普通の話をしただけなのだけれど、それが嬉しかった。

きっと日本だったら、連絡は取らなかったし、会いもしなかっただろう。相互フォローしていて、会わない人なんていくらでもいる。「オーストラリアにいるならせっかくだから」という気持ちだけが、面白い再会を生み出してくれた。次に再開することが叶うかはわからないが、会えない人と会える。それだけで、すごく満足だった。



オーストラリアに渡って、2か月が経とうとしている。
そんな中、やっぱり人の縁を感じずにはいられない。
それはもちろん、たくさんの国から来た人々と交流して、仲良くできることが楽しくてたまらない。
だけれども、実は日本では関わらなかったであろう人たちとも、この地では出会える。同郷の心強さと、ノスタルジックがきっと私たちを繋げている。

それも海外で住むことの、ひとつの楽しみ方なのかもしれない。