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コロナ対策で話題にのぼる数理モデルとは何か?

 コロナ関連のニュースをみていると「実効再生産数」「基本再生産数」など、感染症の数理モデルで使われる耳慣れない専門用語が登場します。

 今後もしばらくは耳にするであろうこれらの専門用語を理解するために、感染症の数理モデルについて調べてみました。

 「コロナ関連のニュースに出てくる専門用語の意味がよくわからん。。」と思っている方のお役に立てれば幸いです。

1 感染症の特徴

 感染症は放置しておくと拡大していくという厄介な性質を持っています。

 下記グラフは免疫を持たない集団に1名の感染者が発生した場合にたどる経過です(何も対策を行わない場合の経過です)。

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 流行初期は新規感染者数が加速的に増加していき、感染者が一定の数に達するまでその状態が続きます。

 流行中期に感染者数が一定の数に達した時点から新規感染者数は減少に転じ最終的に収束します。

 感染力や感染スピードにより最大感染者数、最終感染者数、収束までにかかる時間は異なってきますが、このパターンは同じです。

感染経路は人から人、感染者は免疫を獲得するので再感染はしない想定

1-1 感染症を食い止める方法

 感染症の拡大を防ぐためにはどうすればいいか?

 人から人へ感染していく感染症の場合、こちらがその条件になります

感染した人が感染させる人数(二次感染者)を1名未満に抑える

 この状態にすれば感染症は拡大せず収束していきます。

1人がうつす人数が1名未満で収束していく例
8人の感染者がいて1人が平均0.5名にしかうつさない場合
8名 -> 4名 -> 2名 -> 1名 : 収束する
1人がうつす人数が1名以上で拡大していく例 
8人の感染者がいて1人が平均2名にうつす場合
8名 -> 16名 -> 32名 -> 64名 : 拡大する

 感染症では感染者が何人に感染させるかが重要な指標になります。そこで感染した人が感染させる平均人数を感染力と呼ぶことにします。感染力を1未満にすれば流行は収束に向かいます。

1-2 感染力を弱める2つの方法

 どうすれば感染力を弱めることができるのでしょう?

 感染力が弱まる要因は大きく分けて2種類あります。

自然に任せる : 先ほど見たように、流行を放置しておいても免疫を持った人が増えるにつれ感染力は弱まっていき、一定の人数が免疫を持つ状態まで達すると流行は収束していきます。これを集団免疫と呼びます。

対策を打つ : 自然に任せて集団免疫を得るためには一定数の人口が感染するという経過を経る必要があります。これが容認できない場合は何らかの対策を実施して人工的に感染力を低下させる必要があります、下記は対策の例です。

ワクチン接種 : 感染症に対するワクチンがある場合、一定数以上にワクチンを接種することで人工的に集団免疫の状態を作り出す。
行動制限 :  会う人数の削減、リスクの高い環境を避けるなど、感染する可能性のある行動を減らすことで感染力を抑える。

 ここまでは感染症の一般的な特徴と対策について説明しました。ここから数理モデルの話に入ります。

2 感染症と数理モデル

 感染症に対して対策を実施するにあたっては、感染症の特徴に応じた効果的な対策を行うための指針が必要になります。

ワクチン : 何人にワクチンを接種すれば集団免疫が形成されるのか?
行動制限 : どの行動に対して、どの程度の行動制限をすれば良いのか?

 ここで活用できるのが感染症の数理モデルです。ここから基本的な数理モデルであるSIRモデルを使って概要を説明します。

2-1 SIRモデル

 SIRモデルは実際に使われている一部のモデルの下地になっているシンプルなモデルです。SIRモデルでは人口分布数値化された感染症の特徴を入力データとして使い、感染症のたどる経過をシミュレートすることが出来ます。

入力データ 人口分布
 SIRではモデルの対象人口を下記3種類に分類します。

S : 感受性保持者 感染する可能性がある人
I : 感染者     感染力を有し人を感染させる可能性のある人
R : 免疫保持者  感染する可能性の無い人

入力データ 感染症の特徴
 SIRでは感染症の特徴を下記の数値を使って表します。

β(感染率) : 感受性人口の単位時間あたりの感染率
γ(回復率) : 感染者の回復率、γの逆数は回復までの平均時間 (指数分布想定)

数理モデル
 準備したデータを数理モデルを使って計算すると、感染症の経過をシミュレートすることができます。

 ご参考まで、こちらがSIRの数理モデルで使われる数式です。

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3つの微分方程式で構成されています。この式が全く分からなくてもこの後の理解に一切支障はありません

2-2 架空の国を使ったSIRモデルの例

 ここからは架空の国を使って数理モデルの動きをみてみましょう。

想定状況
 xx年1月1日、人口1億人の国で新しい感染症が発生し1名が感染した状態を想定します。

今後の展開の予測
 事態を重くみた国王は、専門家を召集し今後の進展の予測を命じます。専門家はまず予測のため必要な人口分布データ感染症の特徴データを集めます。

人口分布データ
S : 感受性保持者 99,999,999名
I : 感染者     1名 
R : 免疫保持者  0名
感染症の特徴データ
β(感染率) : 0.000000003571429
γ(回復率) : 0.142857142857143
R0(基本再生産数) : 2.5
平均回復日数 : 7日

 この情報を使い数理モデルで計算した結果が下記のグラフです。今後染状況の推移が時系列で表示されています。

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 これにより対策を行わなかった場合に起こる未来を予測することが出来ました。

3月30日 感染人口ピークに達し2300万人が同時に感染
8月26日 新規感染者が一桁まで減る
最終的に8900万人が感染

対策を行う
 感染の拡大を容認できないと判断した国王は「初期段階で感染の拡大を封じ込める」という判断をし、専門家に「考え得る対策とその目標値」を算出するよう命じます。

 専門家は二つの案を提示します。

ワクチン : 国民の60%の人が免疫を持つようにワクチン接種を行う
行動制限 : 感染のリスクを伴う国民の行動を60%減らす

 どこから60%というという数字が出てきたのか?計算は簡単です

 今回は流行初期段階での感染力が 2.5 であることが分かっています。

 2.5の感染力を1未満にすればいいので、今の感染力を40%減らせばいいことが分かります。

2.5の40%は1、電卓で計算してみてください 2.5 x 0.4 = 1 ですね 

 60%の人がワクチンを摂取すると、感染する可能性のある人が今の40%まで減るので感染力は2.5から1に低下します

 60%の行動制限をすると、リスクのある行動は今の40%まで減るので感染力は2.5から1に低下します

 国王はこの情報を元に、経済など他分野の専門家の意見も取り入れた最適な対策を策定し、無事感染症の流行を押さえ込んだということです。めでたし、めでたし。

2-3 基本再生産数と実効再生産数

 最近ニュースにもよく登場するこの言葉、感染力を表す数値です。架空の国で紹介したシナリオでは対策前の感染力がR0(基本再生産数)、対策後の感染力がRt(実効再生産数)に相当します。以下がR0とRtの正確な定義です。

R0(基本再生産数) : ある感染症に対して免疫を持たない集団において1名の感染者が感染期間に新たに感染させる人数の平均
Rt(実効再生産数) : 一定の対策下で1名の感染者が感染期間に新たに感染させる人数の平均 

2-4 現実の世界の数理モデル

 ここまで、架空の国での数理モデル活用シナリオを紹介しました。現実世界は架空の国のように単純ではないので、今紹介した簡単な数理モデルでは対応できません。

 現実の感染症に対応するために様々な手法が用いられます。筆者にはその全てを説明する知識は無いので、その一部について概要を述べてみたいと思います。 

現実世界には色々な集団がある
 感染力はウィルス自体の特徴に加えて集団の社会構造、行動様式によって変わってきます。架空の国では全国民がほぼ同じ行動様式を持つことが前提としたモデルになっていました。

 現実世界では一つの国の中にも色々な集団が存在し、それぞれの行動様式も違いますので、特性の異なる複数の集団を前提としたモデル(多状態モデル)を作る必要があります。

現実世界の感染経路は様々である
 
架空の国のシナリオでは話題になりませんでしたが、感染が広がっていく経路には様々な形態があり、その形態によって感染症の特徴は大きく異なってきます。

 例えば感染させる人数の平均は同じ2でも「全ての人が感染させる人数がおおよそ2の場合」と「ほとんどの人は感染させず、一部のハブ的存在の人が大人数に感染させる結果の2」ではその特徴は大きく異なります。

 後者の特徴を持つスケールフリーネットワークと呼ばれる感染ネットワークの場合は、ハブ的存在の発見とそこへの対応が効果的とされています。

スケールフリーネットワークの代表例がインターネットです。インターネットのランダムな攻撃に強く(多数のノード障害が発生してもなかなかネットワークは分断されない)、特定攻撃に弱い(ハブへの攻撃に対しては脆弱)という特徴が、感染ネットワークではランダムな処置では拡大阻止が難しい、ハブを特定しての対処が効果的という特徴として現れています。

ウィルスに説明書はついていない
 数理モデルを活用するためにはデータが必要です。架空の国では新しい感染症の特徴データが事前に入手できているという想定をしていましたが、現実世界ではこれはありえません。

 感染症への対応を行う中で得たデータから分析を行い特徴を推測していくことが必要で、これには数理モデルと感染症、両分野の高度な知識が必要となります。

 例えば、特定の条件下で大規模感染が発生するスケールフリーネットワークの場合、そこへの対応が感染拡大阻止の重要ポイントとなります。
 ウィルスに「こういう場合に集団感染が発生します」という説明書きがついている訳ではないので様々な角度からの分析、感染症に関する知見などを活用しそれを特定していく必要があります。

3 調査して感じたこと

 最後に調べながら筆者が感じた点をいくつか述べてみたいと思います。

流行初期の指数的成長は直感に反する
 伝染病は放置しておくと流行初期に感染者が指数的に増加するという特徴を持っていますが、これは多くの人にとって直感と相入れない現象ではないでしょうか。

 過去のスペイン風邪の例など、対策を行わなかった例を見ると確かにこうなってるのですが、近年は感染症に対策を行わず放置することは無いのでこれを現実として実感することが難しいと感じました。

 一般的に未知の事象に対応する場合は、過去の経験が有益な場合もありますが、逆にそれが誤った思い込みを生む危険性もあります。新たな感染症への対応についてもこれはあてはまると思います。

 このような状況下、数値を活用した客観的な情報で適切な判断を助けるのが数理モデルの一つの役割だと感じました。

説明を受ける側にも一定の知識が必要

 数理モデルはそれを駆使して予測・分析を行うのに高度な技術が必要なのは当たり前ですが、その数値を元に意思決定を行う立場の人など、専門家が出した情報を理解する必要がある側にも一定レベルの前提知識を要求すると感じました。

 例えば基本再生産数、実行再生産数などは一見シンプルで分かりやすい指標のように見えますが、その数値の意味は、背景にある数理モデルやデータ分析方針などにより変わってくるので、数値だけ取り出しての議論の際は注意を払う必要があります。一見分かりやすい指標から生じる誤解の危険性についてはアメリカ疾病予防管理センターもこちらの記事で指摘しています。

 数理モデルはあくまで判断のためのデータを提供するものです。意思決定者は経済など他の重要な要素も含めた総合的判断を元に、目指すゴールを決めて対策を実施する必要があります。

終わりに

 当文書では感染症の数理モデルについてSIRという簡単なモデルを使って概要を説明してみました。感染症の数理モデルの世界には他にも色々なモデルや技術があります。ご興味持たれた方は参考文献などご参照ください。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

参考文献
[1]合原一幸. (2015). 暮らしを変える驚きの数理工学.ウェッジ
[2]三村昌泰. (2013). 現象数理学入門.東京大学出版会
[3]和泉潔, 斎藤正也, & 山田健太. (2017). マルチエージェントのためのデータ解析.コロナ社
[4]増田直紀,今野紀雄 (2010). 複雑ネットワーク: 基礎から応用まで. 近代科学社.
[5]Barabási, A. (2016). Network science. Cambridge University Press.
[6]アルバート=ラズロバラバシ. (2002). 新ネットワーク思考: 世界のしくみを読み解く.NHK出版 
[7]ダンカンワッツ. (2006). スモールワールド: ネットワークの構造とダイナミクス. 東京電機大学出版局
[8]西浦 博, 稲葉寿(2006) 感染症流行の予測 : 感染症数理モデルにおける定量的課題. 統計数理 54(2), 461-480, 2006.統計数理研究所
[9]稲葉寿(2008) 微分方程式と感染症数理疫学.数理科学 46(4), 19-25, 2008-04 サイエンス社
[10] P Pubs SIR models in R  
[11]https://wwwnc.cdc.gov/eid/article/25/1/17-1901_article

Photo by Hello I'm Nik 🎞 on Unsplash

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