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怒りと欲と「価値観」と

村田沙耶香さんの作品を最近読んでいる。
いま「これが世の中ってもんよね」と捉えている思考や価値観に対して「それがなにか?」と言われているような気になる。
性別禁止、「効率的」で性交を伴わない「繁殖」。
必要な栄養摂取に重きを置いた「食事」などなど。

登場人物たちは「ああ、そんな時代もあったよねえ」と、恋愛やら予期せぬ妊娠やら、少子化やら不摂生な生活による健康障害などやまほどあった昭和、平成、令和を太古のことのように振り返る。

丸の内魔法少女ミラクリーナは、短編集だ。
なかでもびっくらぽん(いつの時代のワードチョイス!)だ。
人々は、怒りを表さない。怒りってなんだかわからない。怒りを覚える主人公が怒りの感情やその理由を述べると「それは自分にとってはかなしみ」っていえるかも、と静かに反応する。

そんなふうに言う「現代人」たちは、怒りは、無駄、時間やエネルギーのロスだと感じているようだ。
そしてそんな価値観は、今でいうところの「自己啓発セミナー」的なもので会得するえらしい。
さらにさらにその自己啓発的セミナーのコミュニティは、特定の宗教の信条のような価値観にそった思考を植え付けられるようなものではない。
コミュニティメンバーみんなで「今度はこれで行こう!」と決めるのだ!
怒りを表出させるのもまたいいんじゃないか!?という考え方にみんなが賛同すれば、次代はなにかというと怒る、と言う姿勢こそ「ふつー」になるようだ。
そうした風潮というか流行作りはこれまでもずっと行われてきていた設定にもなっている。主人公はひやりとする。若いころ、あんなにとんがっていたのは青春の・・・などという年齢ならではの特徴ではなく、そのときの思考の方針として方向づけられたものだったからなのでは!?と疑い始める。

主人公は、そうしたコミュニティのあり方を、いつしか肯定するようになり・・・・。

思わずネタバレ的なことを書いてしまったけれど、私なぞがネタバレ的なことを書いたとて、実際に読まれた方のなかにはまったく違う読書感を抱いた方もいらっしゃるだろうし、とぼんやりゆるゆる思いながら書いています*^^*

でもある意味、確かになーとおもってしまう。
なにがって。
「これが当たり前」とされる特定の価値観は変化してきている。
その昔は、もっと女たちが自立的に意思的にふるまうのが自然とされていたし、婚姻関係を結ばず異性が一緒に暮らすことには眉をひそめる「大人」が多い時代もあった。学校では体罰は当たり前で、いまなら発達障がいと言われる子どもたちだって同じ教室でなんやかやとやっていた。同時に実際はそうした生徒を対象に「いじめ」に分類されるような行為もあった。

でもなんだかな。
怒りってなんですか?なんていう時代が来るのは、なんだかだいぶ不自然だって思える自分が、いまはいる。怒りを瞬間的にあらわにしたり、それをとくに近しい相手に言語化するのはどちらかという得意ではないけれど。


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