見出し画像

父のこと その3>


●気ままで勝手な暴走する娘と
わたしのことは、というと、今思えば甘やかしていた、と側からみたら思えたかもしれない父娘であった。
なんとなく覚えているし、ははも繰り返しそのときのことを話すので印象に残っている出来事の一つは、大山の映画街の映画館で東映マンガ祭りを鑑賞し、いたく気に入った私が「もっと観たい」と言い出して「苦笑い」(たぶん)して、そーかー

と応じてなにか別の映画を観ることとなったことだ。同じ作品を見たのかなあ。
そのときは、板橋にある祖母の家から出かけた。なかなか帰宅しなかった母と祖母がどーしたどーした、とプチ心配モードになっていたようだ。
「きびしめ」の「ふつう」の親だったら、「今日はこれでお終い」とキッパリ申し渡すのであろうが、あくまで父は、私の欲求に添う行動をとった。
またあるときは、喉によいから、と1匙与えられて口にしたハチミツがいたく気に入り、「もっと食べたい」というと、それにほぼ無限に応じてくれたことだ。
そのときも母は不在で帰宅した母が、娘の無軌道ぶりにおどろきプチ怒りモードとなり父が「いや、えつこがさあ」と、言い訳にもならぬ「ありのまま」を
母に困り顔で報告した。「あとは母、よろしくね」っていう意識だったのかな。あら無責任

高校生のときは毎日がほんとに苦痛だった。勉強にはついていけず、友達はみんな優秀で明るくて悩みなんてなさそうに見えた。
だから、友人から教わった秘技「体温計(水銀式だった!)の先に息を吹きかけると温度があがる」を使い、「熱があるー」とおごそかに母親に伝え、よく休んだ。
一方の父は、月曜日は、日曜日にお酒を飲み過ぎて会社を会社を休んで家にいた。当時父は地方に単身赴任中で、また一人の家に戻り会社に行くのがいやだったのだろう。おそらくアル中気味でもあったのかもしれない。土日は朝から晩までお酒を飲んでいたから。暴れることも子どもや妻に、暴力を振るったり暴言を吐くということは決してなかったけれど。だからこそ、会社の理不尽さや不器用な自分の対応も自覚し、モヤモヤを抱え込んでいたのかもしれないな。
わたしは、そんな父と家にいて「体温はそんなに高くなくて、体調も戻ってきてはいるんだぁ」めいたことを、父には言っていたかもしれない。なぜか父には正直になんでも言える時間があったのだ。
すると父は「たまには休んでいいんだよ、悦子は」と言い、決して眉を顰めることはなかった。
まあ自分も、会社をサボっているしね。

昭和のモーレツ社員になりきれず、部下とは「鬼平犯科帳」が共通の話題だったという、窓の外がよく見える係長として定年を迎えた父でもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?