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「創作は上を見るとキリがない」ということを、ショーペンハウアーとシェイクスピアとかきたまうどんで思い出す

新刊が出ると、そのあとの編集さんからの連絡は緊張する。
たいてい、わたしみたいに出版業界のすみっこでもがいているような作家は、「絶好調です!」「早くも重版です!」みたいな連絡が来ることはまずない。
「悪くない」「まずまず」というおしらせがくれば御の字で、やんわりと話題を流されたら、「あ、あんまりよくなかったんだな」と、なんとなく察することだってある。

「でも自分まだ新人ですから」だとか言い訳をこねくり回そうとしても、「あ、でも、あの人はわたしよりデビュー遅いけどもうシリーズの続刊出るしなぁ……」なんて思い出してしまい落ち込む。
それでもなんとかメンタルを保とうとして、「いや、でも、あの人なんて……」とまた違う人を思い浮かべては、そのうち、他人を引き合いに出して「でもでも」ばっかり言ってる自分が余計に嫌になってくる。

もともとは、ネット小説サイトの片隅で、「書籍化できたらいいなぁ」くらいの一書き手だったわたし。
当時、ネット上で仲良くして下さる他の書籍化作家さんって、すっごくキラキラに見えて、「あの人たちみたいになるのが夢」みたいに思っていた。
それなのに、いざ書籍化の話が舞い込んできて、勢いで仕事も辞めたことで「作家」という肩書きにすがりつくしかなくなった今になって、モンスターと化した焦りや承認欲求、嫉妬と戦う羽目になっている。

そんなとき。
かつてevernoteにメモしておいた言葉を、たまたま見つけた。

「我々は、他の人になろうとして、自分自身の4分の3を失っている」

これは、18~19世紀のドイツの哲学者・ショーペンハウアーの言葉……らしい。
あと、別のnoteには、シェイクスピアの戯曲『オセロー』のとあるセリフがメモしてあった。

「嫉妬深い人は、そんなことで満足しませんよ。だって、理由があって嫉妬するわけじゃないもの。嫉妬深いから嫉妬するんです。嫉妬って怪物は、自分でみごもって、自分で生まれてくるんですから」

さて、そんなメモをスマホから発掘しながら、わたしは本日お昼にかきたまうどんを食べていた。
いつもは適当に菓子パンとかでお昼を済ませているが、ゆでうどんの賞味期限の関係で、とても久しぶりにうどんをゆがいたのだ。
正直、ゆですぎた。
正直、味が薄い。
でも、出汁のあったかい湯気がふんわりと鼻孔をくすぐって、そういえば、実家の祖母もよくゆでうどんをゆがいてお昼に食べさせてくれたな、なんて子どもの頃を思い出した。

ちょっと、自分を取り戻した気がした。

もし、もしサポートくださるのであれば、執筆に使う喫茶店の費用にします。 ドトールの和栗モンブランとか食べます。あれ、おいしい、おすすめ。