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春と秋のファインダー

昨年の春、友人が亡くなった。事故死。その知らせを聞いたときの感覚は定かではない。言葉という鈍器に殴られたように僕はまるで覚えていないのだ。
 記憶に彩りが戻ったのは葬式後に彼の母に一眼レフを手渡された時だ。Sonyα6000、もう3年ほど使っているというのにその白いボディには傷一つなく、彼がどれだけ大切に使っていたのかがわかる。
「これ、あの子が最期に持っていたものだから、あなたが使ってあげて。」

 あれから半年が経った今でも僕はどこかへ出かけるときはいつもそのカメラを持ち歩き、ファインダーを覗いては手当たり次第にシャッターを切った。でも僕の切り取った世界に色は無かった、そう、あの日から一度も僕の目の前に広がる景色に色は無かったんだ。
 そんなある日、友人の家族から連絡があった。遺品を整理していたらあなた宛ての手紙があったからいつでもいいから取りに来て、とのことだった。
講義を終え退席した僕は友人の家へまっすぐ行く。道にはぱらぱらと葉が落ちていたが、今の僕はそんなもの気にも留めなかった。友人の家へ着くとその母はあの時と同じように僕に一枚の手紙を手渡してきた。ただの便せん、真っ白な中に黒い文字が浮かんでいた。

『いつもお疲れさま、学校大変だろ?今な、課題の写真撮ってるんだよ、確かお前桜好きだったよな?専門学校で学んだ知識生かしてちゃんと撮ってるからよ、今度見てくれない?これでも頑張ってんだ、期待しておけよな~
あ、そうだ、お前の大学って秋になるとキレイなんだろ?今度それ見せてくれよ、おれバカだから大学には行けなかったけど写真撮るくらいはいいよな?笑 頼んだぞ、春樹 by紅慈』

聞けばあいつは桜を撮ってる最中、構図を考えるのに夢中すぎてトラックにはねられたらしい。事故現場近くのベンチにはあいつがいつも使ってるカメラバッグが置いてあったことからもそれは容易に想像できたみたいだ。この手紙を読んだ後、僕はカメラに入っているデータを確認した、そこには確かにきれいな桜が何枚も保存されていた。
 僕は彼の母に一礼した後、来た道を急いで戻る。紅慈の手紙を読み、桜を一通り見た後の僕の目に映るものはすでにモノクロではなかった。真っ白だと思っていた便せんは少し赤色を含んでいて暖かかった気がするし、同じ暖かさを持っていたものが通ってきた道にもあった、そしてそれは大学にも、確かにあったんだ。

 急いだからか息は上がり、僕はさぞ慌てた大学生に映っているだろう。でもそんなことはどうでもいい。僕はファインダーをのぞき、できる限り慎重に構図を決めてシャッターを切った。

そう、あいつは、紅慈はこれが見たかったんだ。見せてやらなきゃ。
大学の木々が風に揺れ、暖かな雰囲気の中静かにたたずんでいる。
シャッターを切ったファインダーにはかすかに、けれどどこか優しく見覚えのある暖かな色が残っていた。

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