履歴書は「良い人材」を教えてくれない【メンタリストDaigoのYouTube】より

今年は就職難だ。一年も終わりに差し掛かった現在でも、就活スーツを着た学生をよく目にする。
大手就職会社の調査では「今年の選考基準を例年より厳しくした」と回答した会社がかなり多いのだという。失業者も増えているため、日本全体の就職率はかなり低迷しただろう。

就活シーズンになると、何枚もの履歴書を書かなければならない。志望動機の欄以外は大体同じことを書くので、面倒なことこの上ない。印刷技術は18世紀からあるというのに、今だに一枚一枚が手書きだ。

履歴書が紙である必要がどこにあるのか?
自分は履歴書ほど速やかにデジタル化したほうがいい書類はないと思っている。
内定が出るかもわからない会社への応募に、用紙や証明写真のお金を払うなんて馬鹿馬鹿しい。自撮りで証明写真が発行できる分、マイナンバーのほうがまだ先進的だ。
手書きにも何の意味があるのだろう。手書きで書いた文字には、誠意が込もっているなんて本当に信じているのだろうか。それは手紙や年賀状の話だ。事務的な文書である履歴書に、わざわざ手書きの誠意なんて必要ない。
選考後の履歴書はどうしているのだろう。落選させた人材の履歴書はシュレッダーにかけるのだろうか。入社が決定した社員の履歴書はファイリングして保存しているのだろうか。
どちらにしてもデジタルのほうがいい。
いらない履歴書はワンクリックで削除。保存も簡単で見たい履歴書があれば検索して瞬時にとりだせる。資源や生産性を考えても、紙がデジタルに勝る要素はどこにもない。

そもそも、履歴書にはバイアスが多すぎる。
バイアスとは、ざっくり説明すると「正しい判断を妨げる偏見や先入観」のことだ。
写真映りがいいだとか、どこの学校出身だとか、字が綺麗だとか。どれも本人の能力とは関係がないことばかりだ。
確かに、学歴などは一つの選考基準になるかもしれない。しかし会社にとって有益な人材が、学歴で決まるとも限らない。むしろ学歴のバイアスによって、本当に有益な人材を見逃すことだってありえるだろう。

選考のバイアスは、履歴書だけではない。
むしろ既存の選考方法は、ほとんどが能力とは関係ない部分で判断されている。 皮肉なことに、本当に会社で有益な人材を探したいなら「外見も履歴書も見ずに対談をすること」が一番だそうだ。

参考にメンタリストDaigoのYouTube動画を紹介しよう。ここで取り上げられていた「面接官でウケる3点セット」とは以下ようなものだ。

①高そうな服装
 ⇒「能力がある」=「お金がある」
         それを瞬時に判断できるのがファッション。
  ⇒第一印象の効力は凄まじく、学歴や実績などの事実証拠を提示して              も覆らなかった。
②未来の展望や可能性の話
 ⇒人は「曖昧なもの」「期待させるもの」に惹かれる。
③面接官と仕事以外の話で盛り上がる
 ⇒人は些細な共通点だけでも「親近感」を覚える。

どうだろうか。どれも本人の能力とは関係がない基準だということがわかるはずだ。

ビジネスは「義理」と「人情」なんて上滑りした建前を美化する日本のことだ。もしかしたら海外の企業以上に、事態は深刻かもしれない。
(海外の企業の選考基準を知らないので、大きなことは言えないが……)
残念ながらもうしばらくはこの非合理的な選考は続くだろう。


※ひとこと
企業紹介のやたらポジティブな宣伝文句がほとんど嘘なのと同じくらい、自分たちが企業を見る目も主観に溢れている。金も地位もありながら幸福感を感じない人も、ブラック企業から抜けられない人も、みんなバイアスにとらわれているのだ。

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