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「女脳」の気持ち悪さ

メディアで森喜朗会長の発言が話題になっていた。森会長は日本オリンピック委員会(JOC)の評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という趣旨の発言をしたという。これが女性蔑視だとして各所から批判が集まっている。

いちいち指摘する価値もないたわ言だが、森会長に限らず無意識のうちに女性蔑視、ひいてはジェンダー差別的な発言をする人はまだまだ多い。

迷信めいたものや、昭和の価値観を引きずった男性優位論もあるが、最近では科学的な根拠を得意げに振る舞って女性蔑視、あるいは差別的な発言をする人もいる。

最近聞いたものだと、「女脳」を根拠にしている人がいた。
「女性が○○なのは、脳のこういった部分に違いがあるからだ」といった具合に、行動や情緒や能力に対して、さも分かったかのような発言をしていた。
そして決め手のように「自分は女脳を理解しているから、森会長のような馬鹿とは違う」「女脳を理解しているから、自分は女性を尊重することができる」と豪語する。その発言自体すでに気持ち悪い。だったら顔を合わせる度に妻から苦言を叩きつけられている現状をどう説明するのか。どうせ自分の原因を棚に上げて、女脳のせいだと澄ましているのがオチだろう。

大体「女脳」という考え方自体が、すでに男性目線でしかない。そういう人間ほど、対する自分の「男脳」を省みることをしない。
「女脳」を根拠に「女性はこう言えば喜ぶ」だとか「女性にはこういうパターンがある」と分かった気でいる人間からは、男性優位の価値観がありありと見える。まるで動物のように“飼いならせる”とでも思っているのだろうか。

もちろん女性と男性には、脳のつくりに若干の違いがあることは事実だ。研究や調査でも男女比は重要な資料になる。また、心理学や脳科学の知識を使って、他者や異性をコントロールするテクニックもある。
しかし、それとこれとでは話が別だ。それがあるからといって、「女脳」を根拠に女性を蓋然的に判断する理由にはならない。当然「会議が長くなるから」と女性議員を減らす口実にもならない。
先に述べたように、「女脳」という考え方自体がすでに平等ではないのだ。あくまで男性が女性のトリセツとして生み出したヨタ話にすぎない。

いまだに女性問題がどうとか言っている間は、ジェンダー問題の先もあまり明るくはないだろう。男女平等を正しく認識できない人間が、果たして同性愛、トランスジェンダー、その他の多様なジェンダーを受け入れることができるのだろうか?保護や寛容という見かたではなく、それが「普通」だという価値観を形成できるのだろうか?

※ひとこと
例の「女脳」の人に対して意見したところ、「お前ももっと社会経験を積めばわかる」との返答をもらった。化石のような思考に取り残された人にそんなことを言われたら、むしろ社会から疎遠になりそうなものだが自覚なないのだろう。
「腐ったリンゴ」とは「痛んでいないりんごの中に腐ったりんごを入れると、その周りからじわじわ腐っていく」という意味のことわざだが、この人がいう社会とは「腐ったりんごがつまった箱」のようなものだ。


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