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ひととして
私が16歳の時から尊敬して止まない
小田和正の『ひととして』
出会いは風のようで 別れは雨のようで
すべてのことあるままに 流れてゆくもの
昨日は愛をうたい 明日涙をうたう
誰も同じところへ とどまることはない
いま僕等はここに 立ち止まれないんだ
もう何もいわないで あなたを忘れない
さあもう 僕等はゆくよ
***
私は、これまでの人生で何一つとして、出来ることならやり直したいと悔やんだことがない。
それは、私が案外楽天的で、運命を信じやすく、いい意味で“なるべくして“とか、“神様からのギフト“とか、、、その時一時的に落ち込んでも、プラスに捉えて前を向くことがそんなに大変な転換ではないからかもしれないし
逆に、スポーツシーンによくある、選手が極限まで頑張った努力が報われず悔し涙を流すような、思わずもらい泣きしてしまうような、そんな頑張りをしたことがないだけかもしれない。
けれど私が今があるのは、あの失敗たちがあったからこそだ、と間違いなく言える。人生の全ての出会いに感謝し、とどまることなく次へと向かう。それが生きていることの味わいだと思える。
***
私は大学受験に失敗し一浪させてもらった。
浪人中にたまたまテレビで見た自閉症の子たちのドキュメントをきっかけに、それまでのコピーライターになりたいというぼんやりとした夢から、児童福祉の道に絶対行くとはっきりとした志を持ち始めた。
その思い通り、大学入学後は早速ボランティアサークルに入り、肢体不自由の子たち、自閉症の子たち、盲学校の子たち、どんどん繋がって、県外のキャンプボランティアの募集にも一人で参加したりもした。
そして、その熱い気持ちのまま児童養護施設に就職し、10年近く、たくさんの子ども達と出会い、そして見送った。
***
私の20代の全てを児童福祉に注いで突っ走ることができたのは、最高の伴走者に出会えたからだった。
その主人と出会ったのが、ボランティアサークルだった。
そして、主人と共に養護施設で働き、結婚し、そこで長男を出産した。
出会って40年。
それはまるで空に浮かぶ、雲のよう。
どこから始まり、どこで終わる、というわけではない。
私達の存在は、父母から受け継ぎ、子へ孫へ受け継がれる。
ひととして生まれ来て ひととして 哀しんで
ひととして愛し合い それぞれの道へ
何処かでいつかは 会えるかも知れない
止めないで 誰にでも別れは辛いから
さあもう 僕等はゆくよ
何処かでいつかは 会えるかも知れない
もう何もきかないで ためらうこころ消えた
もう何もいわないで あなたを忘れない
さあもう 僕等はゆくよ
小田和正『ひととして』
挑戦して、そして成功しても失敗しても、時間の流れの先では、意味はあまり変わらないと思える。全てが愛おしい。
広い空に浮かぶ雲のように、形を変えて流れて行く。それは良い形、悪い形ではなく、全てが味わい深い。
空が青い日、上を見上げて伸びしよう。
素敵な雲が見つかるかもしれない。
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