共同生活
私は、20代のほとんどを児童養護施設で勤務し、子ども達と寝食を共にした。
その前、学生時代にも共同生活を過ごしていた。
アパートや下宿、シェアハウスよりもっと共同生活だった。
今思えば、人付き合いが苦手で、
毎日を金太郎アメのように変化なく過ごしている私が、ルーティンが崩れるだけで疲労感を感じてしまう私が、よくやっていたなと思う。
若さでできたのか、30代以降の環境が私をかえたのか、不思議だ。
案外、今の自分の生活が、金太郎アメじゃなければダメだ、と思い込んでいるだけかもしれない。
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大学は東北で障害児福祉を学びたかった。でも落ちてしまい、最後の滑り止めの学校に行くことになった。
結果的には、この学校でなければいけなかった。
この学校でなければ、主人と出会えなかったから。
島根県の少女と、愛知県の青年が出会えたのは、この学校が取り持ってくれた縁だったから。
そして、この学校で出会った親友の存在があったから。
入学時、学校が斡旋してきた下宿は、代々そこの学生達のために下宿を営むアパートのリストから、ランダムにあてがわれたようだが、私が当たったのは少し変わり種のところだった。
大家さんは新興住宅街に大きなお家を建てた人で、その敷地の中に、トイレ、キッチンのついた離れも建てた。その新築物件だったのだけれど、それは多分下宿用ではなかったと思う。
居間と和室と、仕事部屋、のような3部屋があった。その空間に私達3人があてがわれた。
Tちゃんは違う学部の子で、話題や行動パターンが合わない上に、大人しい子だった。
Cちゃんはシャキシャキの子で、出身地の愛知県三河弁を使う時、シャキシャキぶりは、さらに切れが良くなった。学校で同郷の子と話していても、テンポが速くなって、側で聞いてる出雲出身の私は、喧嘩腰なのかとハラハラしたものだった。
この共同生活のイニシアチブを取ったのは、三河弁のCちゃんだった。
学部の違うTちゃんに個室を譲り、私とCちゃんが和室を共同で使った。
二人分の勉強机と収納ケースを入れたら、寝るだけのスペースしか残らなかった。
そして居間で3人でご飯を食べ、一緒にテレビを見た。
Tちゃんは、基本おとなしいのに、郷ひろみが出演する番組は、1本たりとも譲らない強さを見せて、Tちゃんが郷ひろみを応援する時の豹変ぶりに唖然としながら、私達は付き合った。
食事は、小さな流しとコンロしかなかったので、当番制で、朝食と弁当と夕食を作った。お互いのお財布事情を考え、当番になると、食材代を安くあげる努力が第一だった。
すると自然と、もやし、糸こんにゃく、ささみが食材3種の神器になった。
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私は、寝食も通学も共にしていたCちゃんの、シャキシャキな性格や話し方が、実は苦手だった。
Cちゃんが、「ねえ、赤と黄色とどっちがいい?」と私に聞くとする。「赤でいい」というと「赤がいいの?赤でいいの?どっち、はっきりして。」と詰め寄ってくる。出雲人とは距離の取り方が大違いだ。いつしか共同生活は、私にとって精神的な修行のようになっていた。
「ねー、なんで待っててくれないの!」とか。言い方あるでしょ、と思うが言えず黙り込む。でも、Cちゃんはそんな私を慕ってくれていた。
そして私にとっても、Cちゃんはその後、人生のキーパーソンとなる人だった。
Cちゃんとこの下宿で会った時、それは、私にとっての大事な役割を担ってくれるために、出会うべくして出会ったのか、運命的な再会だった。
この学校は、田舎にあったので受験の時の宿泊施設も斡旋してくれて、私は5人部屋だった。明日受験という日に見知らぬ者同士5人が枕を並べて寝た。
その緊張の空気を破ろうとしてくれた人こそ、Cちゃんだった。「ライバルなんて、両手でパンチ、両足でキックで倒しちゃえば、倍率5倍、いけるよ。」と言うのを、私は距離を置いて聞いていた。
なので下宿で会った時は、「あの時の!」とびっくりだった。
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2年生になると、Cちゃんは下宿を出てアパートを借りた。
私は少しホッとした反面、実は淋しかったのか、彼女が出て行ってからの下宿のことを何も思い出せない。
でも学校では変わらず一緒にいることが多く、私が所属していたボランティアサークルに、Cちゃんもコーラス部と兼部で入ると言い出した。
入部間もないある日、Cちゃんは唐突に言い出した。
でもそれは、私の人生の筋書きに、最初から書き込まれていた彼女のセリフだったのかもしれない。
「ねえ、banchan 、Mさんのこと好きでしょ。私も好きなんだ。」
一緒に活動していたMさんは、その頃「近くを通ったから。」って、下宿にドーナツを差し入れたりしてくれていた。それが私達の恋だったのなら、私達はお互いに初恋だったので自分達でもよくわかっていなかった。
さらに「ねえ、私とbanchanとどっちが好きか、Mさんに聞いてみようよ。」と言う。それがCちゃんだ。鋼のハート。
結局、MさんはCちゃんに回答を求められ、後日改めてCちゃんに断りを、私の方へ告白をしてくれた。
そのMさんが主人だ。CちゃんがMさんのことを好きだったのは嘘ではなかったと思う。けれど、Cちゃんは絶対私たちのキューピットだった。主人も私もCちゃんの鋼のハートに背中を押してもらって今がある。
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その後、私と主人は一緒に暮らすようになり、二人だけの共同生活が始まるのだった。