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人の思惑の中で生きることはしなくていい。自分は自分の人生の主人公でいい。

自分が感じて嫌なことは誰がやられても同じ・・・とはよく聞くことばだろう。

 皆、自分だけが特殊だと考えがちなのだが、引きこもっている人は特に、そんななかでも関係念慮と呼ばれるものが強い子が多いのではと感じる。そこまで人はそんなにあなたに関心などない。あなたは福山雅治ではないのだから。だれもそこまであなたに関心を持たないと思うが・・・。

~関係念慮とは簡単にいうと他人の発言や笑い声を自分と何らかの関連があるようにとらえてしまう心の作用の事を指す~

 嫌なものは誰でも嫌。あなただけが特殊なのではない。それでははっきり言ってしまおう。自分が特殊などといった考えは・・・あなたの思い上がりです。人間、誰だってだいたい一緒だよ?(たまに完全に違うと思って考えが明後日の方向の方もいるが)

しかし、自分の人生の中であなた自身は主人公であっていいはずだ。歳の大きな大人でさえ、周囲にどう思われるのかを気にして、自分の人生を生きていない他人の思惑の中で生きている人は多い。人にどう評価されるのかを気にして生きてゆくのは全くもってくだらない。田舎では確かに周囲と同じ行動をしないと違った目で見られてしまうことは多々あるが。だとしても、他人に変?(その人の価値観の中での変というもの)と思われる。そんなものそもそもどうだっていいではないのか?あなたはいつの日か選挙にでもでるのだろうか?ほとんどの人が違うだろう。だったら、ひとにどう思われたっていいではないか?好きな人や大切な人に好きでいてもらえればそれで幸せではないのか?私は今はそう思っている。こんな、偉そうなことを言ってはいるが、お前はどうなんだよ?と言われると、それは流石に人間として修業の真っ最中である。

 大人だって、偉そうな顔をしてはいるが、皆手探りで。失敗の連続でその立場や、境遇にいるわけで、決して苦労していないおじさんやおばさんなどどこにもない。皆好き好んでいろいろな境遇の中で生きている。その中で、泣いて笑って生きている。仕方なく自分の置かれている境遇を受け入れて生きている。あなたは私になれないし、私はあなたには決してなれない。だったら、人をうらやんだり、ねたんだりしたって、そんなことしたってなにも解決はしない。そんなことをすれば、いずれ、他人をねたむあなたの気持ちはあなたに跳ね返ってくるだろう。若いんだったら、恐怖に立ち向かっていくのはいいと思う。皆誰だってどこの道を選んだとしてもずっこけて、間違いをして、そこから方向修正、方向修正で皆今現在を生きているのだから。恐怖というものが若い時は、なかなか理解ができないと思う(エネルギーの塊だから怪我でもしないとわからない)が、いろいろな世界に若い時に飛び込んでみよう。そうすればその中で答えが動き回っているうちになんとか勝手に見えてくるものだから。その恐怖を受け入れろとは言わないから。恐怖の起こる気持ちはそのままに、そのこころのままに、恐怖心をもったまま、なんでもいいから違う現実の世界に飛び込んでみて欲しい。それが初めの一歩になると思う。負けたくないから、自分は違うと思っているから、あなたは引きこもって自分を肯定してくれる今の場所にいる。そうじゃないかな?

「怖いと思う気持ちはそのままに、一歩飛び込んでみる! 皆、怖いと思う気持ちは、あなたと同じはずなのだから。」

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