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ないバンド

 好きな音楽は好きな人間が生み出すものだから、やがてその人が音楽をやめたり、この世を去ったりすることで終わってしまう。
 影響を受けた新たなバンドが生まれたって、それは蘇生にはならない。”新たなバンド”だって本望ではないだろう、たぶん。

 大好きなアーティストが活動をやめているんだと思い出したときや、亡くなっているのだと噛みしめたとき、いつも胸がくるしい。愛とか慕情というのはいつだって後悔とともにはじめて実感として押し寄せてくる。

 兄たちのバンドのことを半年に1回くらい思い出す。私には兄がふたりいて、ふたりは同じバンドでやり続けていたから「兄たちのバンド」ということにする。

 もうとっくの昔に音楽をやめてしまったが、彼らはやりきれたのだろうか。本人しかあずかり知らぬようなことを想像してしまう。聞いたってたぶん答えてくれない。

「兄たちはどうして音楽をやってるのか」とかたずねてもちゃんと答えてくれたためしがなかった。かつてはなんでやねん、とスネていたが、それは話すことではなくて音楽でやることなのだった、と思う。

 小説も、音楽もどうしてやっているのか聞かれたって、私だって答えられない。悩みは尽きないし、やけに世界を見るレンズが繊細になって傷つきやすくなるし、なにより完成するまでに「なぜこれをやるんだ?」と自問自答をくり返し続ける。

 母は酔いの深い夜に、リビングのビデオデッキで、かつての兄たちのライブ映像を流し、肴にしている。ここのドラムがほんとうかっこよくて、とか、ベースのテクニックがすごいんだよルーツが……と何度も私に語る。
 それは我が子という贔屓目はあるかもしれない。しかしそれ以上に兄たちのバンドはビデオ越しでもかっこよかった。私も今さらながらに感銘を受ける。ちいさなころに連れて行かれたライブハウスは、正直なにがなんだかサッパリだった。もったいない。

 せっかくつくった音楽がたくさんあるのだから、販売は金が関わるのでなしにしても、SoundCloudなりYoutube Musicなりに公開すればよいのに。兄たちがつくった音楽を聴けるのは母が喜ぶだろうが、なにより私も嬉しい。

 兄たちとはべつで、私は私ひとりで音楽をやっていた。だからか、ときおり無性に兄たちのバンドのことを知りたくなる。どんな言葉を使って、どんな音色で、どんな音楽をつくっていたのだろうか。

 私と兄たちのあいだには確執などは存在しないけれど、会話が成り立たない。年齢とかなんかいろいろが離れて、違って(昔の私は腫れものみたいでもあっただろうし)、端的に言うと話題がない。
 年末年始なんかに会うたび「元気?」「まあ。そっちは?」「元気だよ」みたいなことしか言えずに。思っていたことを1mgも疎通できないで、はがゆい気もちを悟られないようにしれっと別れるのだ。私ダサい……。
 好みは違ったが「音楽をやる」という点についてだけ、私と兄たちは共通していた。言葉をそれしか持たなかった。だけど音楽については、音楽でしかコミュニケーションがとれない。
 ただの会話で済むなら、はじめから音楽なんてやらなくてよかった。たぶん、だから私は兄たちに何も言えずに、兄たちは私に何も聴けない。たぶん。

 これまでの音楽をネットにあげないことが、彼らなりのロックへの誠意であるかもしれない。だからけっして強要したくはないのだけれど、それでは私のなかで兄たちの音楽のお葬式がいつまでもできない。半年に1度、彼らをググって画像やアメブロをひたすら眺めるだけで、音楽をやっていた姿は見れても音楽は聴けないのに。

 墓を建てるようなきもちで、これまでの音楽をアップしてください。がんばってきたことは、ちゃんと弔ってあげるべきだ。まだ終わりじゃなくて死んでいないなら、大海に放ってほしい。あと私に歌わせてほしい。兄たちとコミュニケーションをとれそうな方法を、私はこんなに生きてきてこれしか思いつけなかった。

 年末年始に兄たちに会うだろうから「Sound Cloudに曲あげろ」をがんばって言うために、とりあえずnoteにしてみた。
 兄たち、見てないかな。見ろよ。むちゃな話しだが。

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