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晩夏光

メラニー・ロランうつくしき映画を終えて眺むる窓の外の晩夏光

 
 九月だというのに連日の猛暑が続いている。朝の天気予報を見て、最高気温が三十五度を下回ればいくらかましだと感じているのだから、暑さに対する感覚が麻痺してしまっている。それでも、夜、窓を開けていると、いつの間にか虫の音が聞こえるようになり、ときおり部屋を抜けてゆく風は微かに秋の気配を帯びている。ホットコーヒーが美味くなった。いつしか日が落ちるのも早くなり、確かな季節の移ろいを感じさせる。
 その少し前の時間帯、夕暮れや夕さりと言うには、まだ大気中に残る熱気が肌にまとわりつくのだが、日の光はわずかに衰えを感じさせるようで、油断をしているとふと感傷的になってしまう。晩夏光―― 詩作においては手垢のついたことばが体感に迫るとき、不意に胸を突かれる。

 もうしばらく前のことだが、地元のレンタルビデオ店が閉店していることを知った。中学生から高校生の時分には、頻繁に足を運んだものだった。当時は、VHSとDVDが共存していて、そこから間もなくVHSが廃れ、その後はBlu‐rayへとメディアは変遷を遂げていった。
 青春時代にスマートフォンがなかった世代の人にはわかるだろうけど、所狭しと棚に並んだソフトを手に取って、パッケージの写真や解説文に目を通して、観るべき一本を選んでいたあの瞬間が懐かしい。随分と駄作も掴まされたけれど、〈オールタイムベスト〉呼べるような珠玉の名作にも数多く出会った。
 『グッド・ウィル・ハンティング』(1997年)や『ギルバート・グレイプ』(1993年)、『ガタカ』(1997年)、あるいは『セント・オブ・ア・ウーマン』(1992年)に『ミラーズ・クロッシング』(1990年)、『ビフォア・サンライズ』(1995年)etc.…。いずれも初見時の胸の高鳴り、ときめきを今も覚えている。すごく偏りのある選択チョイスかもしれないけれど、90年代のアメリカ映画は名作の宝庫だった。
 思えば、あの頃が最も真摯に映画を観ていた時期だったように思う。今日では、Netflixをはじめとするストリーミング配信が主流となり、いつでも定額で、時代や洋の東西を問わず膨大な量の作品が観られるようになった。そして、いつしかレンタルビデオ店が街から姿を消すにつれて、僕自身も心なしか映画から遠ざかるようになり、最新作や話題作も追い切れなくなってしまっている。


 「最近観たなかで最もよかった作品のひとつは、タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』かな。」と、しばらくの間、こう話していた記憶がある。これが2009年公開の映画であり、初見時からは10年以上の月日が流れていることに驚きを隠せない。
 その『イングロリアス・バスターズ』では、各映画祭で助演男優賞を総なめにしたクリストフ・ヴァルツが圧巻なのだけれど、同じくらいメラニー・ロランが魅力的だった。『バスターズ』では、恐怖と狂気に満ちた表情が真に迫るのだけど、他の作品での彼女は、とにもかくにもとびっきり美しくキュートだ。ブロンドの髪に透きとおるような肌と緑の瞳、西洋絵画から抜け出してきたような、超現実的な美しさをもつフランス人女優のロラン。それでいて、スクリーンのなかで見せるどこかあどけなさを含んだアンニュイな表情に惹きつけられる。
 先の『バスターズ』は代表作として、また『オーケストラ!』(2009年)のような〈メラニー・ロラン観賞用〉映画もあるのだが、その他の出演作では案外小ぶりな作品もいい。『人生はビギナーズ』(2010年)とか、『突然、みんなが恋しくて』(2011年)などは、あまり深く思考をめぐらせることもなく、けれども鑑賞後には程よい余韻を残してくれる。


 映画からは少し遠ざかってしまっている僕だが、とりあえずメラニー・ロランが出ているなら観たい—― 彼女はそう思わせてくれる稀有な女優だ。そんな彼女の名を詠んだ冒頭の一首。
 ハリウッドの映画俳優では、これまでにもトム・クルーズほか、スティーヴ・マックイーンやグレタ・ガルボ、イザベル・ユペールらを詠んだことがある。正直、一首に関して言うならば、初句に当てはめるべき名前は他の選択肢もあったと思う。メジャー過ぎずマイナー過ぎず、新しすぎず古すぎず、《短歌映え》するようなそんな選択肢はいくらでも挙げられるだろう。
 けれども、先の歌に関して言えば、僕は〈よい歌〉を詠みたかったのではなくて、純粋に「メラニー・ロラン」を歌にしたかった。技巧とか固有名詞の云々は置いておいて、好きなものを好きなように詠むということ—―。短歌をはじめて間もない頃には確かに抱いていたであろう、そしてともすると最近は忘れがちな詩作の悦び、そんな自由な感覚でときには歌を詠みたいと思う。

 幾度と観返したDVDを取り出し、カーテンを開けると、いつの間にか日が傾いている。年々、夏を厭わしく思う気持ちは強くなっているのだが、季の移ろいを肌で感じるこの瞬間は、安っぽい郷愁に一抹のさびしさを感じさせて、どこか後ろ髪を引かれる思いでいる。
 刻一刻と日没が迫るなかで、なぜだろうか、メラニー・ロランにはどことなく晩夏光のイメージがあるような気する。とりとめのない心象が刹那に脳裏をよぎるのだが、イメージの断片がそのまま鮮明な像を結ばぬうちに、まもなく日は沈んでゆく。
 
 晩夏光―― 今しがた観終えた映画の余韻が美しく尾を引くなかで、今年の夏が終わろうとしている。

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