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日本は終わっていないと信じたい

今日は、最近一番衝撃を受けた記事を紹介。
日本という国は、ここまで落ちたのか。。。。

レジス・アルノー 世界とさよなら:日本の優雅な凋落

今日そして明日の世界において、日本の立場はどのようなものだろうか。それは、過去とどのように異なるのか。

 20世紀を華々しく締めくくった日本は、エネルギー転換の最先端にいた。1997年、わずか数か月の間に、画期的な京都議定書が調印され、トヨタが真に環境に優しい自動車ではおそらく最大の商業的成功を収めたプリウスを発売した。しかし今日、日本はエネルギー転換を遅らせていると、非難されている。化石燃料施設を自国で開発するだけでなく、税金で賄われるODAを通じて海外にも施設を拡大している。かたやトヨタは、EVに反対するロビー活動を行ったことで、環境保護主義者たちの嫌われ者になってしまった。日本は、工業生産から生じる問題に対しては工業的な解決策を探すしかないという考え方にとらわれているようだ。世界への痕跡を抑えようという考え、つまり、一般の人びとに「もったいない」として知られる哲学は、消えてしまった。他国がプラスチックの使用量を制限するのに対し、日本は、“プラスチック・ゴミを減らす”ことに重点を置く。プラスチック製造が最初に生み出す汚染は問題にせず、放置しているのだ。

 20世紀の日本は、ボルトからロケットに至るまで、どんなものでもほぼ完璧に大量生産できる素晴らしい製造大国だった。その優秀さゆえにデジタル革命を軽視し、日本人のデジタル・リテラシーは低いままに閉じ込められてしまっている。中国の子どもたちは、日本を訪れたときに初めて現金に出会う。彼らは生まれてこのかた、母国で硬貨や紙幣を見たことがないのだ。これは特に日本に衝撃を与えている。世界的な人口減少を最初に経験した大国である日本は、デジタル化の最前線に立つべきなのだ。日本のウェブサイトは、日本人以外の人には並外れて使いにくい。楽天、ヤフー、メルカリのような巨大な国内企業は、日本国外ではほとんど存在せず、たいていはグローバルな外資系企業に食い物にされてしまう。

 移民に関して日本は、海外の人に日本で働き、日本で生活するよう呼びかける一方で、彼らの滞在が最終的には確実に終わるようにしている。移民に門戸を開いてはいるが、それは湾岸諸国やシンガポールのように、つまり、人口の母集団とは別の部分としてであり、母集団への合流はほぼ望めない。永住資格を得ることをますます難しくし、帰化を非現実的にし、この問題に関する議論をタブーにすることで、長期滞在を思いとどまらせている。同時に、日本人はますます海外で居心地が悪くなっているように見える。国民の英語レベルは向上するどころか、特に若者の間で低下している。日本が世界的な人気を享受し、人々が訪れたい国ランキングで上位に入り、時には1位になることもある時に、である。

 こうした欠陥があるにもかかわらず、現状維持と同質性を優先することで、他の社会が変化するときにその社会基盤を引き裂くような病とは無縁である。現在、他国が直面している混乱(高い失業率、民族間の衝突、社会運動)を経験することはほとんどなく、うらやましいほどの生活水準を維持している。この無気力が、多くの日本人や外国人から見た日本を、一見幸せな「ガラパゴス島」にしている。しかし、日本が衰退するにつれて、世界的な問題に対する解決策が見出すことができないという、教訓的な物語になっている。

https://www.nira.or.jp/paper/my-vision/2024/issues-theme24.html?utm_source=BenchmarkEmail&utm_campaign=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E8%AA%B2%E9%A1%8C2024%E7%B4%B9%E4%BB%8B&utm_medium=email

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