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正しさを盾にして議論をしてはいけない

おはようございます!

ピアノを練習していたり、作曲を独学で学んだりしているオレワタルです!

最近はピアノ練習の後に動画を撮って、その様子を毎日Youtubeに投稿しているので是非Youtubeチャンネルの方も覗いてみてください!

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今日から7月ということで時の流れの速さに恐怖すら感じている僕ですが、取り急ぎはここ数日間の旅行や出費の資金を集めること、ここに専念をして生きていこうと思っているwataruです。


ということで本日は「正しさを盾にして議論をしてはいけない」というテーマでお話をしていこうと思います。


というのもこれはまあ僕自身議論とか人とお話をする際に気を付けていることの一つでもあるんですが、何か人と議論を深めていくときとか、少し口論や意見の食い違いがあったときに”正しさを盾にしない”っていうことがすごく大事な要素だと最近深みを増して思うことがあったのでここについて少しお話をしていこうと思います。


というのもこの考え方自体全部が全部の場面で使えるわけでもないと思うので、まあ軽い感じでお話を聞いてもらいたいんですが、僕が見ている限り多くの議論とか多くの口論で何か納得がいっていなかったり、少し後味が悪いものとなってしまっている原因として大きな部分は”自分の意見が正しいということを証明したい”というところが終着点になってしまっているからだと思うんですね。


とは言いつつ、僕自身お酒が回っている時や、少し感情的になって話をしている時なんかはまさにこういう気持ちが前面に出てこっちの意見の方が正しいでしょというようなモチベーションで自分の話を繰り広げてしまうことがあったりするのですが、、、


こうなってしまうともう確実に議論としては破綻の方向に進んでいると思っていていて、それは両者で目的に向かって最適な答えを出すという議論の主旨の部分からいつの間にか脱線して、気づいたら自分の意見の方が正しいと思うから自分の意見を通すために相手を負かしたい、つまり最初の目的すら見失って自分の自己顕示欲の為だけの話し合いになってしまっているからだと思うんですね。


まあ例を挙げればキリがないと思うので今回は明確な例を挙げることはしませんが(実はそんなにしっくりくる例がない、、、)、多くの人が議論の泥沼にハマってしまっている原因の一つはここにあると思っていて、意見の衝突を擦り合わせていく中でその構図が対立構造だと捉えるようになってしまって、気づいたらこの人を自分の意見で納得させたいとか、自分の意見の方が正しいということを証明したいというような引力に引っ張られて話し合いを進めてしまう、その結果本来の議論の主旨すら見失って、お互いに好き勝手言いたい放題、自分の言いたいことだけを言い合って納得しないまま帰っていくという、こんなループを繰り返しているように感じるんですね。


まあもちろん自分の意見を主張したり、赤裸々な意見をぶつけることはすごく尊くて大事なことだとは思いますが、あくまで議論という枠組みの中ではお互いが一つの方向に向かって話し合うということが大事だと思っていて、例えばカップルであればお互いが気持ちよく暮らしていく為にはこの問題をどうしたらいいかとか、会社の人であればお互いがストレスなく気持ちよく仕事をしていく為にはこの問題はどういうところに持っていけばいいのかとか、そういう風にして進めていくとお互いに納得したいい関係を気づいたまま物事を進めていくことができるんじゃないかなと思いました。


ということで本日は「正しさを盾にして議論をしてはいけない」というテーマでお話をしてみました。

ではまた!



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