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ハラキリ手術の記憶3

退院してもう10日が過ぎた。
実は退院翌日と翌々日、別件でバタバタと歩き回ったせいか、ハラの傷大丈夫かな状態になったので、ちょっとここ数日はほぼ家にいる。

さて、前回のキング・クリムゾンからの続き。
(トイレの話を割としてるので下世話な部分もある。御容赦願いたい。)



1 ハラキリの夜


「ずーっと、元気でいてよね」

手術直前、刀剣乱舞をたちあげて花火景趣に変え、初期刀に励ましてもらった。
花火景趣は新型コロナ流行に合わせて出されたものだからか、健康を祈ってくれる刀剣が多い。
とても助かった…

さて。
手術終了後から翌朝までの時間はよくわからない。目が覚めた後も身体が起こせなくて、時計もスマホも見られなかったからだ。
ただ、おそらく消灯時間直前に、水が解禁になって飲ませてもらったのは憶えている。
あと、麻酔で寝てるうちに浴衣と紙おむつに着替えさせられていた。

しかし、一度目が覚めてしまうと、身体に繋がっている色々が気になってくる。

硬膜外から出て鎖骨上にシールで留めてある、痛み止め注入用の管。
左手首の、点滴用の管。
尿管。
足を一定間隔で圧迫してくる、なんかの機械。

手術の傷自体は痛み止めのおかげなのか、なんとなくちりちりする…ぐらいの感じで、そう気にならない。
背中と手首の管も気にならない。
問題は尿管と足だった。

尿管は、もう文句無しに不快だった。
この後2日間つけることになって徐々に慣れたが、不快感は消えなかった。
例えるなら、ずっと「トイレに行きたい」が続くような感じ。

足の機械は血栓防止なのだと思うけど、こちらはずっと「一定間隔で血圧を測られ続けてる」感じ。
病室が静かなぶん、ウィーン…ウィーン…と規則的にうなる音も気になってくる。

眠れるかこんなもん。

手術日の夜には水しか解禁されなかったので、普段飲んでる眠剤が使えない。
(寝入りがよろしくない上に早朝覚醒しがちなのでもらっている。)
手術で体力が削られていて、少しうつらうつらする時間こそあったが、まともに眠れなかった。

眠れなかったし起き上がれなかったので手持ち無沙汰だった。
どうにか動かせる腕で、手術された下腹部をそっと触ってみる。

ない。

手で触ると明らかにあったでかいしこりが、ない……!


手術前、MRI画像で見た子宮筋腫は↓だった。

でかい。

これが全部とられたわけだ。

ハラが、ハラがぺたんとしている……
こんなサイズだったんか私のハラ……

と、しばし堪能したものの、やっぱり飽きた。
早く朝になれと祈りつつ、足元のウィーン…ウィーン…を聞いていた。


2 ハラキリの翌朝


ほぼまともに眠れずに朝がきた。
足の機械はとっぱらわれ、ベッドを少し起こして、歯磨き後に朝食が出される。
朝食といっても、1日半何も食べてなかったのだから、当然の流動食である。
重湯と、具のない味噌汁と、牛乳パック。

味噌って……美味しいね……!

日本人であることを感謝した朝だった。
でも、牛乳は重くて飲みきれなかった。
普段飲んでる薬があればこの時から再開となる。

朝食が終わると浴衣から甚平に着替え、看護師さんの見守りのもと、起き上がって歩行の練習が始まる。
足に違和感が無いか、手術痕とおむつへの出血の状態(手術後は子宮からしばらく出血がある。大した量ではない。)を確認し、問題が無ければ練習開始。

まずベッドを起こすのだが、一気に頭を起こすと血圧が急に動いて気分が悪くなるので、5回ぐらいに分けて徐々に起こす。
次にベッドの柵を持ち、身体の方向を変えてベッドから足を降ろして、靴を履く。
点滴や尿管が絡んだり引っ掛かったりしないように、柵を支えにゆっくり立つ。
その場で数歩足踏み。
ここまででふらつきがなければ、看護師さんに付き添ってもらって歩いて部屋のトイレへ行き、おむつを外してナプキンをつけた下着に履き替える。

看護師さん「大丈夫そうです?」
蛙「いけますね」

尿管はまだとってくれなかった…トイレもう自分で行くから外してくれ…
尿管つけたまま、要は排便だけトイレでしなさいということなのだが、これまたとんでもなく違和感がある。
トイレ行ったのに、便器に排尿だけしないって何なん…という気持ち悪さ。

見守りなしでも歩けると判断されたら、病棟内の移動許可が出る。給湯スペースまで自力でお茶を取りに行けるようになるわけだ。
点滴と尿管ひっかけたスタンドをガラガラ引きずりながらではあるが。

動かないでいると腸の活動が鈍くなるため、できるだけ起き上がって活動してくださいね、とも言われた。
ガスは出ましたか、お通じはありましたか、というのも2時間にいっぺんの見回りで確認される。
腸閉塞とかあるんかもなあ…こわ。

さて、歩行許可が出てベッド周りをうろうろしていた時。
いきなり気持ち悪くなって、吐いた。
ギリギリたらい(正しくはガーグルベースンというらしい。)まで耐えた自分を褒め、ナースコールで看護師さんを呼ぶ。

そういえば、同室で同じく昨日手術した女性は、結構夜中に吐いてたなと思い出す。
麻酔の副作用にも吐き気とあったし、1日半胃が空っぽのところにものを入れたせいかもしれない。

いっぺん吐いたら吐いたですっきりしたので、看護師さんに片付けてもらって、歩き回るのはほどほどにして、ベッドに座っていた。


3 傷痕


手術痕の痛みは、起きて座っていたり歩いていたりする分には、気にならない。
ちりちり痛いのと、引っ張られているような感覚があるだけ。
ただし、

「(立ち上がろうとして)ウ"ッ」
「(咳して)けほっ、ウ"ッ」
「(くしゃみして)へくしっ、ウ"ッ」

これらはどうしようもなかった。
特に、不意に出る咳とくしゃみは本当にどうしようもない。
やべっくしゃみ出る!イテッ!畜生!といった状態。クーラーがちょっと肌寒いのも困ったところ。

また、要するにハラに力がかかると痛いわけで、排便が難関ではある。
とはいえ手術翌日、吐いた後は、しばらくお腹を壊していた。
朝食が流動食、昼食からは五分粥になり柔らかいおかずもつくのだが、絶食からの立ち直りが遅い胃腸である。

看護師さん「お通じありました?」
蛙「下してます…」

これが、翌日からは便秘するもんだからやってられない。看護師さんに訴えてマグネシウムを出してもらった。

日中はそんな感じだったが、何故か、寝ようとすると傷がズキズキと痛む。
ベッドが苦手なので日中は椅子に座っていた。で、さて就寝だとベッドに仰向けになろうとすると、もう眠れないぐらい痛い。
痛みでいうと1から10までの6ぐらい。
なんじゃいこりゃ、とナースコールを押す。

蛙「傷が痛くて眠れないんです」
看護師さん「痛み止め入れてます?」

そういや背中に麻酔が入っていたのであった。
ボタンを押すと、背中をひやっこいものが通っていく感じがする。
いっぺん押すと30分は押せなくなるそうだ。

看護師さん「まだ痛いです?鎮痛剤飲みますか」

頼む。
その夜は、鎮痛剤と眠剤で無理矢理寝た。

手術翌日は体温も37度前後だったのに、翌々日は朝から37度6分に熱が上がっていた。
様子を見に来た主治医のメガネのにいちゃんに、発熱があることを伝えたら、子宮筋腫の手術で開腹すると大抵発熱はあるらしい。

その晩も、鎮痛剤と眠剤で無理矢理寝た。



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