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事物(もの)としての芸術――ライナー・マリア・リルケ

リルケのことを想うとき、この詩人がいかに「私心なく」事物(もの)の中に傾倒し、その秘密を探し当て、繊細で、誠実な言葉を使いこなしたかという事実に憧憬と限りのない親愛を覚えずにはいられない。
 
その異様なまでの繊細さは、ともすると“少女趣味”と受け取られかねないような儚さ、弱さを持っているように見える。
 
「薔薇の棘が指に刺さって死んだ詩人」のイメージから、我々は未だ抜け切ることができない。この詩人は、俗世に生きるにはあまりにも繊細すぎ、脆すぎたのだ、と。
 
だが、実を言えば「 彼は詩人であって、曖昧なものが嫌いであった」と語ったこの孤独な詩人は、恋愛感情に耽溺したり、傷ついたことを表現したり、自然の美を見て感傷に耽るようなロマンティストではなく、科学者のように「無我」的な態度・姿勢でこの世界に没入し、「事物(もの)」そのものの秘密を明晰な造形的言語で表現しようと試み続けた、きわめてクラシックで、なおかつ前衛的な芸術家の一人であった。
 
『事物(もの)は確固としています。しかし、事物(もの)としての芸術作品はもっと確固としていなければなりません。あらゆる偶然から離れ、すべてのあいまいさから遠ざかり、時間から解き放たれて、空間にゆだねられている芸術作品は、持続するものとなり、永遠に存在しうるものとなっています。モデルはあるように見えるものであり、芸術作品はあるものなのです。こうして後者は前者を越えた、名状しがたい前進なのであり、自然のなかのあらゆるものから生まれでる、ありたいという願いの、静かで、高まってゆく実現なのです。こうして芸術を非常に恣意的で、虚栄的な職業にしようとした謬見(びゅうけん)は滅んでしまいました。芸術はきわめて敬虔(けいけん)な奉仕なのであり、まったく法則にささえられているものなのです。』(『リルケ 芸術と人生』ルー・アンドレアス=サロメ宛、1903年8月8日)
 
彼は、来るべき人類の先駆けとして、明晰で論理的な精神を持って、意識的に詩人たろうとした求道者に他ならなかったのである。
 
以下は、リルケがセザンヌの絵を友人の女性画家と一緒に見学に行った時のことを記した手紙である。
 
『それから彼女は(未完成の絵から見てとれる)セザンヌの仕事のやりかたについて、たいへん良いことを言っていました。「これを」と彼女は絵のある箇所を指しながら言ったのです。「これをセザンヌは知っていました。だからこれを彼は語ったのです。(それはりんごのある一箇所でした。)そのすぐわきのところはまだ空白になっていますが、それは彼がまだそこを知っていなかったからなのです。彼は自分の知っているものだけを画いたので、そのほかのものは何も画いていません。」「彼はなんという良心の持ち主だったのでしょう」と私は言いました。「そうです、彼はどこか内部の奥深いところで、幸福だったのですね…。」』(『リルケ 芸術と人生』クララ・リルケ宛、1907年10月12日)
                       
こうした「知っているものだけを語り、知らないものは沈黙する」というヴィトゲンシュタイン的な厳しい内的法律は、求道的で、非凡な芸術家だけが持つ真実への誠実さの証である。
 
しかし、この厳しい内的法律は、例えば「悟り」や「愛」、「神」等を語るような宗教的、及び精神世界に関わるような人間にこそ、最も必要とされるものなのではないだろうか。リルケの自然観、芸術観に触れる時、自戒の意味も含めて身を正されるような気持ちになるのである。
 
「愛」という言葉は「愛」ではない。「神」という言葉は「神」ではない。
 
それらは単なる言葉であり、記号である。あるいはそれらの言葉を使って何かを感動的に語ったとしても、それはメッセージに過ぎないのであって、表現として身体に宿ったものではない。受肉化されると、それはメッセージとしての方向性を持った言語ではなく、アートとしての事物的な表現となる。
 
事物は方向性を満たない。それゆえにこの世界の調和的結晶として、“美”たりえる。逆説的には、「受肉化されたもの」だけが、表現に値するのだ。
 
『すべての印象や、すべての感情の芽を、まったく自己の内部で、暗いところ、名状しがたいところ、無意識の世界、自分の悟性の到達しえないところで、完成させて、深い謙虚と忍耐とをもって、新しい澄明なものの分娩(ぶんべん)の時を待ちうけること、これだけが芸術家として生きるいうことなのです。ものの理解においても、創造においても。
 この場合、時間をもって量るということは通用しません。年月はなんの意味ももたないし、十年も無に等しいのです。芸術家であることは、計量したり、数えたりしないことです。その樹液をせきたてることなく、春の嵐の中にゆうゆうと立って、そのあとに夏がもう来ないかもしれないなどと心配することのない樹木のように成熟することなのです。夏は結局やって来ます。しかし、夏は、まるで永遠が目の前に横たわっているかのように、なんの憂いもなく、静かに、ひろびろとしている忍耐強い人々のところにだけやって来るのです。』(『リルケ 芸術と人生』フランツ・クサーファー・カプス宛、1903年4月23日)
 
「愛」に対して沈黙することで、愛を語ることができるまでに熟成し、一つの独自な形、独自な響きを持った「事物(もの)」。そうした独自で、具体的な表現だけが、この世界に響き渡り、本質的な影響を与える可能性を持つ。
 
世界を変革するのは「聖なるメッセージ」でもなければ、イデオロギーでも、観念でも、信仰でもない。それは真に変革した独自な形式を持つ「存在」そのものであり、その存在の個性に裏打ちされた、主体的及び客体的表現(芸術)である。
 
少々長いが、『リルケ 芸術と人生』(白水社)に収められたリルケの書簡から、ぼくが最も感銘を受けた一節を紹介したい。
 
『私はきょうもまたセザンヌの絵を見にいきました。彼の絵がみごとな雰囲気をかもしだしていることは不思議なくらいです。その絵を一つ一つ見ないで、二つの部屋のちょうど中間に立っていると、そこに現存するいろいろな絵がより集まって、一つの巨大な現実になっていることが感じられるのです。それはまるで絵の色彩がわれわれから永久にためらいを取り去ってしまうかのようです。これらの赤や青の清らかな良心、その素朴な真実性は、われわれを教育してくれます。われわれができるだけ心構えをして、これらの絵の下に立つと、それらの絵はわれわれのために何かをしてくれるようです。そしてわれわれはそのたびごとに、愛をさえ越えていくことがどんなに必要であったかを、より良く知ることができるのです。
 もちろん、これらの事物(もの)の一つ一つを画くとき、画家がそれを愛していることは言うまでもありません。けれどもその愛情を表に現すとき、その絵はつまらないものになるのです。その事物(もの)を言う代わりに、判断することになるのですから。画家は公平ではなくなってしまうのです。そして最上のものである愛は作品の外に残って、その中へははいっていかないのです。作品の中に置き換えられずに、そのかたわらに残ってしまうのです。情緒的な絵画(これは素材的な絵画よりすぐれたものではありません)がこのようにして生まれたのでした。
 そこで画家は「私はこの事物(もの)を愛している」という風にかいて、「ここにこれがある」というふうにはかいていないのです。後者の場合、もちろん画家はだれでも、自分がこの事物(もの)を愛したかどうかということを、自分でよく省みなければなりません。しかし、その愛はぜんぜん表には現さないのです。そして多くの人々は言うでしょう。そこには愛情などは少しもないのだと。そのくらい愛はあますところなく、創作の行為の中で消費されているのです。この名もない仕事のうちに愛を消費するということ、これからあのように純粋な事物(もの)が生まれてくるのですが、このことがあの老セザンヌの場合ほど成功した例はおそらくほかにはないでしょう。
 彼の疑い深く、不きげんな、内的性質が、このことにおいて彼を支えていたのでした。彼はおそらくいかなる人に対しても、どんなに愛情をいだいていたにしても、もはやそれを示したことはないでしょう。けれどもその孤独な変わり者であることによって完成されたあの性向をもって、彼はいまや自然にさえも向かい、そのりんごへの愛をかみ殺しながら、それを画かれたりんごのなかにこめることができたのでした。これがいったいどんなことであるか、そしてわれわれがこのことを彼によって、どんなに体験するか、あなたはそれを想像することができるでしょうか。(『リルケ 芸術と人生』クララ・リルケ宛、1907年10月13日)』
 
リルケや、セザンヌといった徹底した孤独の先に固有の芸術表現を確立した人たちの作品を観照する時、「愛の受肉化」の困難さについて思いを馳せざるを得ない。
 
我々人類はまだ、「愛」について語るほどに成熟もしていなければ、「私」を超えたものについての領域について、十全に表現するに至っていない。知恵の木の実を食べた我々は、とある歴史の転換点で間違った道(観念の道)を歩み、事物(もの)から離れ、堕落してしまったのではないだろうか、と。
 
恐るべき自我中心社会の中に生きる私たちは、今、様々な葛藤、軋轢、矛盾、悲劇によって、その限界を思い知らされている。私たちの愛は、愛ではなかったのである。信仰は、神に至らなかったのである。悟りは、世界に満ち渡らなかったのである。
 
これら徹底した既存の伝統・観念、価値への透徹した眼差し――すなわち、それらを蓄積し、肥大化した自我認識の先にある、その否定と破壊によってのみ、私たちは新しい社会・世界の礎を作る可能性を持つ。
 
なぜなら、真の表現とは、内的感受のさらにその先にある、この世界の受肉化・結晶化に他ならないからである。
 
自我を乗り越えて独り、大地の上に立ち、地平線を見渡す時、そこには、我々が未だ見たことも聞いたこともないような、未知なる世界が広がっている。
 
『私たちは、私たちの存在をその及ぶ限りの広さにおいて受け取らねばなりません。すべてのことが、前代未聞のことさえ、その中ではあり得ることなのです。それこそ本当のところ、私たちに要求される唯一の勇気です。私たちに出あうかも知れぬ、もっとも奇妙なもの、奇異なもの、解き明かすことのできないものに対して勇気を持つこと。人間がこれまで、こういう意味において臆病であったことが、生に対して数限りない禍をもたらしたのです』(『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』)
 
最後に、ぼくが最も好きな――そしておそらく最も有名な――彼の詩を紹介して、この稿を終えようと思う。
 
 
      秋 
 
  木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
  大空の遠い園生(そのふ)が枯れたように
  木の葉は否定の身ぶりで落ちる
 
  そして夜々には 重たい地球が
  あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる
 
  われわれはみんな落ちる この手も落ちる
  ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ
 
  けれども ただひとり この落下を
  限りなくやさしく その両手に支えている者がある
 
    (『リルケ詩集』 形象詩集-富士川英郎訳)
 
参考文献:
『リルケ 芸術と人生』富士川英郎編訳(白水社)
『リルケ詩集』富士川英郎訳(新潮文庫)
『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』高安国世訳(新潮文庫)
 
(メルマガMUGA第4号 2011年11月配信記事・改稿)

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