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[16]許可制の人生。救い。

(初の1人タイ旅、大阪に前乗りする時のバス内での私の心中。)
(大分赤裸々なんだけど、自分の思ってること書く時って書くこと書かないこと選んでらんないよね。出来事全部繋がってるからさ)


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今、駅出発した。

昨日から凄く不安。
行ったことない場所に1人で行くのもそうだし、お金が足りるのかも不安。
とにかくパスポートと命だけ持って帰ればいいと言い聞かせてる。

昨日の夜も今朝もお母さんに電話した。
凄く優しくて嬉しかった。安心した。
失敗しても私には帰ってくる場所があると思えた。

最近は自分に自信が持てないことばかりで苦しかった。

失恋したり、満足のいく発表が出来なかったり、就活する友達を横目に焦ったり。

その度に友達や親に助けられて、私にはこんなに支えてくれる人がいるんだなと思って。
でも私は私の理想通りには動けなくて。

そうやって自分の自信のなさが積み重なって、今こんなに不安なんだろうな。

このチケットを買った時は、彼といられない苦しさを紛らわすように買ったな…
彼と長期戦戦うために、彼がいなくても自分で自分の人生充実させるぞと思って買ったな…
今の彼は私がタイに行くことも知らないんだけどね。

頑張って前向いて生きようともがいて必死だった私が愛おしいな。
だからこのタイ行きが、1か月前の私から今の私への、前向いて生きろよっていうメッセージのように感じる。

「私は今こんなに苦しいけど、それでもお前はなんでもやれるんだぞ」って言われてる気がする。

ここ最近のメンタルだったら絶対にタイ行きのチケットなんて取ってない。

すごく辛くて、でも頑張って前向くぞ戦うぞ私はって決めたあの時の私が、私が出来たんだからあなたも戦える人間のはずだよって言ってる気がするの。
過去の立ち上がった自分に勇気をもらってる。


なんでかすごく涙が止まらない。
何の涙なんだろう。

苦しいし不安だっていう気持ちはとても大きいけれど、周りの人や過去の自分に励まされて、嬉しいというか「生きてていいんだな私は」という安堵感みたいな感じもあるかも。

こんなにダメダメな私だけど周りの人が励ましてくれて、まるで私が生きてていいんだよって言ってくれてるような気がして救われてるのかも。


うん、救われてるんだ私。
「私は生きてもいい」と実感することは、私にとって救いなんだ。

上手くいかなかった時、
自分のことが嫌いになった時、
自分で自分を「生きてもいい」と思えなくなった時。

私の好きな人達から「あなたは生きてていいんだよ」と、
根底にその想いがあるように感じる言葉をもらうと、すごく心が震えて抑えられずに零れてくる。

私がワンピースで一番泣いたシーン、
ロビンちゃんの
「生ぎだい゛!!!」
だったの。(知らない人はごめんね)

ロビンちゃんも「私は生きててはいけない」と思いながら生きていて、
でもルフィが「生きたいと思っていい」って許しをくれてロビンちゃんは救われる。

私の心が一番動くのはここかもしれない。
人に生きてもいいと許されること。


いつから私の人生は許可制になったんだろうね。絶対ありえないのに。
でも「許可制の人生」っていう概念は、すごく実感を伴う。


社会の役に立たなければ、
誰かに愛されなければ、
誰かに求められなければ、
「生きる意味は無い」
「生きていてはいけない」

そんな訳ないのに。
自分以外の人間には絶対そんなこと思わないのに。

どうして自分にはそう思ってしまうんだろう。
いまだに私は自分の物差しより人為的な他者の物差しを重宝しているんだろうか。
そんなの卒業出来たと思ってた。
やっぱり10年単位のしがらみは簡単に断てないか。

もっと自分の世界を広げれば、沢山の物差しを自分のものとして取り込めるんだろうか。
もっと小さな世界で生きていられれば、不要な他者の物差しに縛られることもなかったんだろうか。


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尻切れトンボですが終わり。
タイ満喫してこよっと。🐘🇹🇭🥊

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