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[13] 「私はほぼ残飯」と思えるプリンセスになりたい。


今日さ、バイト先のゴミ袋が破れちゃって外に残飯やらゴミやらが飛び出ちゃってたの。

先輩に「ビニール手袋使う?」って聞かれたけど、「あ、要らないです」とか言って普通に拾ってたの。

その時に思ったんです。


「私らってこいつらと大差ないよな〜」と。


そう思うがゆえに私は「手袋使っちゃうのもったいないし、洗えばいいからいいや」と思ったのだと。

こいつらは皿に入れば美味しそうな食べ物で、
胃の中で消化されれば私の一部で、
ゴミ袋に入れたら汚ったない残飯で。

何が入れ物かでこいつらが何か決まるなら、本質的には私もこいつらも対して変わんないな〜って。


言葉にしたのは初めてだけど、割と昔からそういうマインドだったかもしれない。

虫が触れるのも電車のつり革触れるのも、
「別に私だって似たようなもんだしな」と思ってたからなんだろうな。

別に自分のこと卑下してないよ??
私だけじゃなくて人間全員のこと虫とか残飯と似たようなもんだというお話です。(もちろん皆さんが虫や残飯に見えてる訳ではないです)


虫気持ち悪いとか、赤の他人が触ったもの気持ち悪いとかいう感覚も全然理解できるけど、
本質的には変わんねぇと思うとなんか急に親近感湧く。(残飯に親近感湧いてる人間ってどうなんだろう)


この感覚ってさ、私が昔から憧れてる「万物を愛し愛されるプリンセス」のマインドじゃないかと思うんですよね。

例えばシンデレラって可愛らしい鳥だけじゃなくて、家に住み着いてるネズミにも好かれてるじゃん?

「魔法にかけられて」のジゼルとか、ネズミとゴキブリにお手伝いしてもらってるじゃん?

(ちなみに私が憧れてるプリンセスは、ディズニー界ではポカホンタス、ジブリ界ではナウシカです。)

これらのプリンセスに共通してるマインドって、「虫も鳥も私もみな平等、友達」って部分だと思うの。

ポカホンタスもね、「color of the wind」で

I know every rock and tree and creature has a life, has a spirit, has a name.

Color of the Wind

って言ってるの。
(幼子の頃の私はこのシーンが好きでよくポカホンタスモノマネしてた。)

このシーンの説明すると、
未開拓地に住む原住民ポカホンタスが、
開拓しに来たアメリカ人ジョンに、
「お前らは自然のことをなんもわかっちゃいない」と諭すシーンであり、2人が急接近するシーンでもある。(ちなみにこの話はどうでもいい)

「木にも岩にも命がある」という言葉を、
「万物には人間同様に命がある」と捉え、
「万物は人間と同じ」と解釈し、
「虫も残飯も人間と同じ」と言い換えれば、
ポカホンタスの「岩木に命はある」と、
私の「私はほぼ残飯」は同義であるという結論に行き着くわけです。

どうですか。飛躍した論理ですか。
そうかもしれませんね。
ただ私にとっては同義なので、読んでる人がどう思うかは割とどうでもいいです。

そして私はそのマインドこそ私がなりたいプリンセスマインドであり、
それに気づいた私はもうプリンセスなのだということを言いたいわけです。



残された問題は万物の方が私を好いてくれるかどうかですね☺️

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