横浜から佐世保までヒッチハイク帰省旅
“横浜から佐世保までヒッチハイクで帰った”この言葉だけ聞けばすごい行動力のある人だと思う人が大半だろう。実際自分自身のことを、行動力がある奴とは思ったことはない。人見知りで恥ずかしがり屋この二つが僕には似合う。この前だって女子と2人でご飯に行った時、緊張しすぎでカチコチだったぐらいだ。そんな僕がどうしてヒッチハイクをしようと思ったのか、どのようにヒッチハイクしたのか書いていきたい。また、ヒッチハイクやろうと思っている人の参考に少しでもなることができれば幸いだ。
ヒッチハイクをやろうと思ってきっかけ
高3の頃受験のことを忘れるため、よく大学でやりたいことを考えていた。サークルに入る、友達をたくさん作る、ヒッチハイクで帰省。ちょうど大学の夏休み長いし、飛行機で帰るのはつまらないから実行してみようそんな軽い気持ちでヒッチハイクで帰省することを決意した。もちろん親にはこのことを伝えていない。以前ヒッチハイクで帰省してみたいんだよねって話したら、思いとどまるように言われたからだ。親には青春18きっぷで帰省すると嘘をついていつ帰ってくるかも正確には伝えていなかった。
スタート地点へ
ヒッチハイクをやる時考えないと行けないことはどこからスタートするかだ。国道、高速道路のSA、はたまた観光地など人が集まりやすい所か。僕は国道では乗せてくれる人がいても遠くまで運んでくれる人は少ないと考え、高速道路一本で行こうと考えた。スタート地点は海老名SA下り。海老名までは電車とバスを使って向かった。いよいよ旅が始まるんだって気持ちと緊張この二つが混じり合ってじっとできなかったのを覚えている。9時15分ヒットハイク帰省開始
一台目
スケッチブックを掲げて、45分で乗せてくれる人が見つかった。興味を示してくれる人はたくさんいたがまさかこんな早く見つかるとは思ってなかった。伊豆にキャンプに行くついでだったらしく近くのSAまで乗せてくれた。しかも僕と同い年だと分かってびっくりした。同い年の人に送ってもらうのはなんか変な感じだった。車内でたわいもない話をしてたら目的地の足柄SAに着いた。この調子なら1日で結構な距離進めるんじゃないかそう思いながら一台目の車の人とバイバイした。
二台目
足柄SAに着いた後、家から持ってきていたおにぎりを食べ次の車を見つけるために外に出たら外は大雨。これは次の車捕まるのかと不安になっていたら、僕の他にヒッチハイクしてる人がいた。話しかけてみたら京都の大学の留学生で富士山に登りたいらしい。しかも昨日野宿したと聞いて驚いた。正直この時ホテルとか何も考えてなかったので、自分も野宿かと少し不安になった。僕も留学生に隣でスケッチブックを掲げて次の車を見つけることにした。
この時僕は浜松方面と書いたスケッチブックを掲げていた。少ししたらおっちゃんが浜松方面だけど三人はねって言ってトイレに行ってしまった。留学生は富士吉田方面に行く車を探していて僕と目的地は違うが、おじさんは僕たち三人が浜松行きたいと勘違いしたようだ。これはチャンスだと思いトイレから出てきたおっちゃんに話しかけたらオッケーしてもらった。二台目ゲットだ。
おっちゃんはダンボール会社に勤めていて、今日出張だったらしいが体調悪いと嘘ついてブッチしたらしい。ちょうど浜松に帰る途中でトイレするためにSAに寄ったら僕に捕まったと言っていた。小4からタバコ吸っている話や腕にタトゥーがびっしり入っていたことは驚いたがヒッチハイクしなかったら聞くことのできないと思うととても素晴らしい経験しているなと思えた。そうこうしているうちに牧之原SAについた。ラッキーなことに牧之原で、ラーメンを奢ってもらった。伊豆鰹ラーメン美味しすぎた。
3台目
おっちゃんと別れた後、天候が不安定で降ったり止んだりの繰り返しで次の車をなかなか捕まえることができなかった。さらに今多くの車が西を目指す際新東名を利用するが、僕は東名高速を利用しておりそもそもSAに立ち寄る車が少なかった。1時間ほど待っただろうか、雨が当たらないところで掲げていたらお兄さんたちが話しかけてくれた。ちょうど浜松に行くらしく、手前のSAまでなら乗せてくれるとのこと。ついに3台目ゲットだ。
車内ではお金ないの?一万あげるから新幹線で帰れって言われた。一万だけ貰っとけばよかったかなって今更ながら思う。ヒッチハイク乗せてくれる人の多くが喫煙者が多いような気がする。乗せてもらった以上文句なんか言えないしずっと乗ってると慣れてくるもんだな。
4台目
降ろしてもらったSAは遠州豊田SAでとても小さなSAだった。車も少ないし早く大きなSAに移動しないとそう思いすぐにスケッチブックを掲げ次の車を探した。今回は岡崎方面と書いていた。そしたらおじさんが岡崎は行かないなと話かけてくれたのでちょっとだけでいいので乗せてくださいとお願いしたら近くの大きなSAまで乗せてやってもいいよとのこと。4台目ゲットだ。おじさんは何回もヒッチハイクしてる人を乗せたことがあると言っていた。大阪から静岡まで連れて行ったこともあるらしい。長崎まで行くトラックなんか見つかればいいのになーそんなこと考えていると浜名湖SAについた。
5台目
せっかく浜名湖まで来たのに写真一枚だけ撮ってすぐに次の車を探すためにスケッチブック掲げたことは少し後悔している。次来た時はちゃんと観光したい。
ここで僕はミスをしてしまった。浜名湖SAは上下集約型SAで上りと下りが横並びになっている。そんなことつゆ知らず上り方面で岡崎方面と書かれたスケッチブックを掲げていたのだ。車捕まるわけもなくこのままでは流石にやばいなと思いトラックに直接話しかける作戦を実行した。話しかけたトラックのおっちゃんが下りはあっちだよって教えてくれなかったら東京方面に行く車に岡崎方面まで乗せてくれってお願いしてるやばいやつになるところだった。
仕切り直して下り方面でスケッチブックを掲げ始めた。この時僕は刈谷SAに行きたかった。そのわけは温泉がありそこそこ大きなSAであるため、ここで野宿でもして次の日に備えようと思ったからだ。初めは乗用車を狙っていたが日も暮れ始め流石にやばいなと思いトラックの運転手に話しかけることにした。話しかけることに3台目ようやく乗せてくれるトラックをゲットできた。しかもこのトラック福岡まで行くトラックで、刈谷に行く車探していたら福岡まで行くトラックを捕まえてしまったのだ。おそらく今年の運使い果たしたような気がする。また、刈谷で風呂入りたいって言ったら、いいよって言われ風呂にも入ることができた。
温泉はとても気持ちよく、ヒッチハイク最中ってことを忘れそうになった。温泉からあがった後コンビニで夜ご飯を買い夕方7時に刈谷を出発した。乗せてもらったトラックは10tトラックだった。給油は一度に140ℓ、もう一生乗ることはできないかもしれない。車内ではおっちゃんとたくさん話した。僕は話すことが得意じゃないけど、おっちゃんが話を振ってくれたり自分からも積極的に話題を出した。20年トラックの運転手をしているおっちゃんの話はとても興味深い話だった。おっちゃんの人生の話、結婚の話、両親話などヒッチハイクしたからこそ聞ける知らない人の人生を垣間見ることができた。1番印象に残っている話は仕事の話だ。僕自身やりたいこと将来の夢などが分からず受験期も今も悩んでいる。大学は色んなことを学べるという理由で文理融合型の学科を選んだ。しかし、大学の友達と話をしていると結構な人がやりたいことや夢を持っていてすごいなと思う一方入学当初は劣等感を感じていた。今となってはあまり感じなくなったが将来について悩むことはよくある。最近はあまり将来のことは考えないようにしている。自分ができる範囲で色んなことに挑戦し、その過程で関心があることを見つけることができれば万々歳そんなスタンスで生活している。ヒッチハイクもそうだし、この前自分でサークルを作った。自分の持っている本を持ち寄り本を貸し借りするサークルだ。(機会があればサークル活動もnoteに書く)そんな僕にとってトラックのおっちゃんの話はとても興味深かった。20年運転手してるから感じることまた親の視点から思うこと僕にとっては勿体無いくらいの話だった。とても有意義な時間でありこれこそがヒッチハイクの醍醐味だと思う。話が大きくずれたが、日付を回る頃には岡山県に入っていた。そこでトイレ休憩とおっちゃんが仮眠をとると言って横になった。僕はあまり眠れず3時過ぎまで起きていた。おっちゃんが運転を再開したのが4時前でそこまでうっすら記憶はあるが、その後寝てしまった。7時に一回起きたけれど、9時くらいまでうとうとしていた。そんなこんなでおっちゃんとお別れの時間になった。静岡から福岡まで乗せてくれたおっちゃんには感謝しかない。本当にありがとうございます。
六台目
おっちゃんと別れた僕はとりあえず福岡方面まで行く車を捕まえようと思い少し休憩した後またスケッチブックを掲げた。とりあえず古賀SAか基山SAまで行きたいなと思いスケッチブックには控えめに古賀SAと書いた。
しかし、1時間経っても乗せてくれる人が現れず、地元まであと少しなのにって思ってた矢先一台のトラックが止まってくれた。久留米まで行く予定らしく基山SAまで乗せてもらうことにした。今回乗ったトラックは4tトラックで10tトラックよりかは足元や座席にはスペースがあった。トラックのおっちゃんは本業は畳職人で、副業としてトラックの運転手をしているらしい。今回は海外に輸出するおもちゃを積んでいるって教えてくれた。基山まで着いた時これ昼食代って1000円いただいた。乗せてもらったのに昼ごはん代まで貰って申し訳なかったが、言葉に甘えてもらった。
七台目
お昼ご飯を食べた後、自分が通っていた中高が近くにあるため顔を出そうと思い少し寄り道することにした。中高は金立SA近くにあるため佐賀方面に行く車を探し始めた。しかし、不安定な天候と福岡、久留米ナンバーの車しか見当たらずこれは直接話しかけないと捕まらないと思い直接話しかけてみることにした。手始めに僕の地元の佐世保ナンバーの車を見つけたから佐世保方面に行くか聞いたら佐世保に帰る途中とのことだったので運良く乗せてもらうことに成功した。この車に乗れば地元に帰れるけど、高校に顔を出すために金立SAで降ろしてもらった。
八台目
高校に行ったはいいもののまさかの学校休みだった。門が開いておらず、先生もいなかったのだ。せっかく途中で降ろしてもらったのに、降りなかったらもうすぐ地元なのにってここに来てやる気が出なくなっていた。重い足を引きずりなんとか金立SAまで戻ってきたが、ここからが長かった。スケッチブックを掲げるのは効率悪いと考え直接聞いて回ることにした。まず、佐世保ナンバーの車が少ないのと佐世保ナンバーの車に話しかけてもなかなかいい返事をもらうことができない。このまま電車で帰ろうかな疲れたし辛いこんな感情が頭を駆け巡った。実際30分くらい地べたに仰向けになっていた。
それでも友達に励まされもうひと頑張りしてみようそう思って立ち上がった。直接交渉で断られるのは辛いので、スケッチブックを掲げることにした。
1時間くらい掲げもう諦めようとした時、佐世保駅まで行くよ乗る?っておばさま達が声をかけてくれた。これでやっと帰れる、そう思いとても嬉しくなった。こてこての大阪のおばちゃん達の車に揺られ無事佐世保駅に着くことができた。無事横浜から佐世保までヒッチハイクだけで帰ることができたのだ。
まとめ
今回は車、トラックを合計8台乗り継いで2日で佐世保に帰省することができた。こんなに早く帰ることができたのは運がいいだけで、たまたまだろう。本人達には届かないかもしれないがこの場を借りて今一度僕を乗せてくれた方々に感謝の気持ちを伝えたい。本当にありがとうございました。
ヒッチハイクで気づいたこと
ヒッチハイクをしたから特別何か得られるわけではない。しかし、ヒッチハイクで帰ってきたという事実は自分の中でとても素晴らしい経験として残るはずだ。また、決して関わることのない人の話を聞くことができることは大学生の僕にとって素晴らしい経験になった。ヒッチハイクを進めているわけではない、今回は無事に帰ることができたが下手したら死んでいたかもしれない。僕が言いたいのは、経験から何を学ぶかだ。ヒッチハイクをしたという事実が残っても何も考えなかったら、帰省しただけだ。だからこそこの事実を腐らせないために手始めにnoteという形で今回の旅を整理している。客観的に見てみるとその場では気づかなかったことも見えてきた。実行するだけだったらヒッチハイク帰省なんてやろうと思えば誰でもできる。だったらお前はヒッチハイク帰省で何を学んだんだと言われても言葉につまる。この言語化できないけど何か考えさせられるこのふわふわとした感情を生活する中でうまく咀嚼できたら今回の旅は成功ではないだろうか?最後は自分に対して問いかけているようになったが、今回の帰省が自分の興味関心を見つけるヒントに少しでもなればいいなと思う。
最後にこんな独りよがりの旅の記録を最後まで読んでくれてありがとうございます。そして、ヒッチハイクやろうと思ってる人の役に立つことができれば幸いです。
最後にこんな質問を自分に問いかけておわる
Q.もう一度ヒッチハイクやれるとしたらやりますか?
A.ヒッチハイクはもう一生いいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?