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私はお薬を飲んだ後の母が大嫌いでした。



感情のコントロールができず
服用量も守らずに過剰に摂取するため
ろれつも回らず、ふらつき
トイレに行くにも一苦労
そんな時の母の機嫌を損ねると
ほうきやハンガー、ベルトで
容赦なくバシバシと叩かれ
時には灰皿や食器などで
殴られる事があったから、、、。
私はそんな生活の中で、
叩かれる時の受け身というのでしょうか、
下手に動くと目に当たると激痛だし
鼻に当たると鼻血が出ちゃう。
頭も守らなきゃ!って何故か
そんな事を思いながら
叩かれる!って瞬間は
体育座りというのかな?
部屋の隅で両膝を抱き、
膝の間へ顔を埋め、
両手で頭を包むようにして
必死に丸まり
「お母さんごめんなさい」
「いい子にするからもうやめて」
「痛いよ」と訴えながら
その時間が終わるのを泣きながら
じっと、じっと待っていました。

当時6歳の私は、母を悪くしているのは
お薬のせい。
悪いお薬を飲んでるんだ
ずっとそう思っていました。

そんな私の生活は
母の様子を伺って
母の調子の悪そうな日は
仕事へ出ていく父に心の中で
「行かないで、家に居てよ」
そう願っていました。
それでも私は、お薬を
飲んでいない時の母の事は大好きでした
母の調子のいい日は、一緒に
編み物やお料理をしたり
母の好きなテレサ・テンの曲を
一緒に歌ったり
公園へ遊びに行ったりと
とても優しい母も確実にいたからです。

私が小学校へ、入学した頃
母はますます酷くなりました。
父の帰りはいつも日が変わる頃
家に帰るのが嫌だったのか
本当に仕事が忙しかったのか

今の私にも当時の父の気持ちはわかりません
小学校に通うようになり
学校では毎日楽しく過ごしていました
ただ、家には帰りたくなくて
家の前で、玄関の扉を開ける前に
そっとドアに耳をあて
中の様子を伺っていたのをよく覚えています。
ドアの向こうで、
母の好きなテレサ・テンの曲に合わせ
歌っている声が聞こえると
今日は、機嫌が良さそうだな
と、少し不安は残りつつも
「ただいま!」と

ドアを開けることが出来ました。
それもたまにの事ですが、、
大体はドアの前にランドセルをおいて
そっとその場を離れ、
日が暮れるまで公園で過ごし
近所のおばちゃんや
おじちゃんの家で過ごしていました。
当時の私の家庭環境を良く知っていた
近所の方は、そんな私を
暖かく受け入れてくれ
時には暴れる母から私をかばって
「家の奥に隠れてなさい」と
助けてくださり
おばちゃんの家でそのまま寝てしまう事も
でも何故か、朝目が覚めると
家に帰って来てるんですよね。
後から聞くと、仕事から帰宅した父が
私が居ないことに気づき
娘が来てませんか?と
近所を探し回っていたそうで、
そのようにして私は
周りにささえられ、守られたおかげで
私の命は尽きることなく
ここまでこれたのだと思っています。
当時7歳の私には過酷でした。
私は、そんな近所のおばちゃんに
人を思いやり、今の自分にできる範囲で
困っている人を助け、弱い者を守り
立ち向かう勇気や、
時には逃げる事も大切なんだと
身を守る術を学んできました。
本当ならそんな事、まだ学ぶには
早すぎる気もします。
なんせまだ7歳歳の子供なんですから


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