見出し画像

最近、人生とか生き方とかについて考える
多分こじらせてるww
鬱屈としたマイナスの感情から生まれた思考ではないのは確かで
自分に”夢”、“目標”を叶える土壌ができたからだと信じたい

生物である以上、必ず死ぬ
よく「死が待っている」とか「死が訪れる」とか「迎えにくる」とかって言うけど
なんだか、生き物みたいだよね
生き物だとしら「死」は死なないのかな?
もしかしたら、「死」も生き物みたいに生殖していて
増えているのかもしれない!!

・・・やっぱりこじらせている
完全にヤバい奴だ
例えが悪かったのかもしれない

映画にしよう
もし自分の人生が一本のフィルムだとしたら
起承転結のあるとしたら

今自分は承にいる
承の半分くらいは進んでいるだろうか?
そして、きっと転に向かうための伏線を沢山はっている

人生とか生き方を考えてしまうのは
転に移行するための準備だろう
さて、どこにどう転じるのだろうか

その先には「結」が待っている
やっぱりハッピーエンドがいい
ハッピーの類は分からない
多分ここには脚本上の「主題」や「テーマ」、「メッセージ」が必要になる
これがないと、オチは決められない
ただ「主題」を見つけるのはもう少し先の話かもしれない

「結」=「死」なら
「起、承、転」=「死までの通過点」でしかないかもしれない
どのように映画のストーリーを「結ぶ」か
欲を言うと観客の皆さんには、感動をしてもらいたいなぁ
そのためには共感してもらえるような
「起、承、転」を作るしかない
4分の1、「起」はたぶん終わった

残りがあると思って話しているけど
「死」が待ってくれるかは分からない
突然迎えに来て
映画は、打ち切りなるかもしれない
なんの脈絡もなく、「結」を迎えるかもしれない

それなら何時でも大団円を迎えられるよう
「死」を歓迎できるように生き長らえていくしかないのか

まずは、このこじらせを直さないと


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?