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天皇と 障害者は、〜 対極に立つ双子なのだ。 国民は"悪い天皇制”から 卒業できるのか? ◎◎優生保護法は 私達に問う!!◎◎ 【下書きメモ。】

双方とも、隔離された生活を強いられる存在である。
(世間と切り離された生き方を強いられている。)
そして、 人権がない。
片方は、子孫を残すのが最大の使命であり、子どもを産まない人生は、ゼッタイに許されない。 これはある意味、狂気でもある。
また、 もう片方は、その反対なのだ。

しかし、それは、その隔離された四角形の暮らしの中のエピソードの ひとコマにしか 過ぎないのだろう。
他にも、多くの制限や押しつけがある。

ひとつ 言っておく。
天皇と天皇制について、堅持していこうと主張する人や、声高に語り続ける人達がいるが、、本当のところ、彼ら彼女らは 天皇を愛してはいない。
それは、自分の保身のためのものであり、天皇を利用したいだけなのだ。

そして、、、

横に目を向けると、別な所には、、
日本国民の一億人が立ちつくしている。

一億人は、何を考えているのだろう。

今後、もしも 天皇の人権を徹底的に守る流れが進?でいくと、、もはや、それは、「天皇らしい人間」ではなくなってしまうのかも知れない。
もしも、、そうなった時、、
一億の 日本国民は、 これまでの【強く堅い天皇制】から、卒業できるのか?!

★ しかし、、もしかすると、心配は 何ひとつ必要ないのかもしれない。
それほど  気を揉まなくても いいのかもしれない。

かつて、司馬遼太郎の本を読んだ時に、ーーー状況は まるで違うのだけど、面白い話が書いてあったのだ。

『大政奉還』についての話だ。

300年ほどの長い江戸時代の最期、 各々  多くの諸藩に分かれている体制から、スルスルと まるで 一本の糸を引き抜いてみせるご如く、「天皇・東京による中央集権体制」へと、サッと姿を変えた。

心配は、そう 多くは必要なかった。

上手く 一瞬で 仕上がった、いろいろな理由はあるが、、
その訳のひとつは、日本人の変化を受け入れる不思議すぎるチカラが あるらしい。

もしかしたら、、やはり日本人は  あまり何も考えていない???

または、アジアの  ーーー  つまり  東洋の母性的な、深い文化が潜在する 深く大きな空気が あるのだろうか?

案ずるより産むが安し、というが、、まさにそのストーリーを、この 私個人は妄想させられるのだ。

もしも、、日本中が大騒ぎした後に、天皇制を画期的に進化させ   そして緩めてみて、、
果たして  結果が  何事もなく、理想どおりに進み、 何のトラブルもなく、、

、たとえば  、私が 町内にある【天皇陛下の住む「家」】へ 回覧板を サンダル履きで 歩いて届けに行くーーー 未来の理想の日本人としての 『わたし』の日常生活が 完成してしまう、というのは、、

 とても  うれしいのだが、
   少し寂しいよね。




じつは、、書きたかったことは、、日本人の覚悟なのだ。
天皇がいなくなっても、やっていけるのか?
そういう、覚悟だ。
そして、そういった  『親離れ』、、または、民族的な『自立心』は、、
障害者や弱者への冷たいマイナスの眼差しを  変化させるのか?
変わらないのか?
ーーー  果ては、日本人の素顔とは?


以上、、【下書きメモとして】。



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