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SF創作講座・第6期 第3回梗概感想(多寡知 遊:担当分)

自分のことは、ひとまず棚に上げまくって(苦笑)、8人の方の梗概を拝読して、思ったこと、感じたことを書かせていただきました。
 繰り返し拝読したうえで、執筆しましたが、主に私の読解力の問題で、あるいは誤読しているかもしれません。そのときはご容赦ください。
 順番は、お名前の、あいうえお順です。
 作品タイトルをクリックすると、SF創作講座の該当梗概の公開ページへ飛びます。
 なお作品タイトル末尾にある「文字数」は、私の感想の字数を指します。

 それから、本稿が執筆された経緯の説明を。
 「SF創作講座第6期 第3回」は、課題に対し、43本の梗概が提出されました。
 受講生の古川桃流(ふるかわとうる)さんより「この43本全ての梗概の感想を、希望者たちで手分けして、書きあげませんか?」という提案があり、その提案に私を含め、5人の受講生が賛同。
 厳正なあみだくじの結果、感想を担当する梗概が決まりました。

他の担当者の感想は、以下の通りです(タイトルをクリックすれば、
当該ページにジャンプします)。

岸本 健之朗さん/SF創作講座第6期 第3回梗概感想(岸本担当分) 
降名 加乃さん/ゲンロンSF創作講座第三回梗概感想 
広海智さん
古川 桃流さん/2022ゲンロンSF創作講座 第3回 梗概の感想 
渡邉 清文さん/SF創作講座6期 第3回梗概の感想(1)

相田 健史/からくり人体(文字数:1017)

 「人体の解体技術の発見」という導入部には、ワクワクさせられました。 
 「SNSで技術が拡散」とあるので、たぶん動画サイトで「腕、外してみた」「相方と足を交換してみた」なんて動画があがって、世の中に拡散していったとか想像すると、楽しいですね。
 ただ、その後の話の転がし方、広げ方が、上手くいっていないように思えました。
 陰謀論やら反ワクチン論のネットでの広まり、アメリカでの銃規制の現状などを踏まえると、たとえ行政が制限をかけたとして、いったん、広まった「人体を簡単に解体できる」という面白技術が、そう上手く規制できるのかな? と疑問に思いました。
 絶対、闇やらアングラで人体解体業が横行すると思うんですよ。また臓器売買なんかにも便利に使えますよね、この技術。
 「新技術」や「新発見」が導入されたことによる、社会的影響をきっちり描くのも「SFの醍醐味」だと思います。
 そういう点では、一宗教団体が、教祖の俗な動機で、ひと騒動を起こしただけで、警察に鎮圧されるのが、クライマックスというのは、大変勿体ないし、物足りなかったです。
 あと「(宗教団体が)誰にも気づかれないうちに、企業利益と信者数をとてつもないスピードで拡大」とありましたが、入信者の家族は騒がないのか? とオウム真理教の一連の騒動を知ってる者としては、首を傾げました。
 
「人類に、からくりを仕込んだ造物主(?)」のラストでの登場は、いささか唐突感が否めませんでした。
 折角、造物主を登場させたのなら、「何故、そんなからくりを仕込んだのか?」の説明は最低限、欲しかった気がします。
 「単なる気まぐれ」とか、「引っ越しの荷造りのとき、便利だから」とか、「遠い将来、人類が宇宙に進出した際、過酷な環境に耐えるため……」とか、アホな理由でもいいし、真剣な理由でもいいので、造物主なりの理由が読みたかったです。
 また「からくりの発見前まで時間を遡航し、からくりの発見者の記憶を消して、全て何もなかったことに」というオチは、夢オチ並に、安易な気がしました。
 ショートショートならまだしも、2万字を読んだ果てに、このオチだと読者は怒るのでは?
 せめて「時間遡航」「記憶操作」が、「人体からくり」というギミックと密接に結びついていれば、違和感を覚えなかったと思うのですが……。
 ラストは再考された方がいいと思います。
 
 ※『魔法陣グルグル』を、私はアニメしか観てませんが、面白かったですね。

柿村イサナ/あるいは脂肪でいっぱいの宇宙(文字数:293)

怪作にして快作。とにかくヒロインの語り口が素晴らしいです。「あいつら肉質を読む」には爆笑しました。「『女性の最大の敵は、女性』ってフレーズは真実だったんだ」と実感させられました。
 ヒロインの過酷なダイエット描写を通して、「そんなアホな!」という事実が判明したり、「オイオイ……」という大事件が矢継ぎ早に起こったりしますが、ヒロインの語り口が素晴らしいので、妙な説得力があり、納得させられてしまいます。超マイクロブラックホール・ダイエット法……ありでしょう!
 最初から最後まで(神になっても!)、ヒロインのキャラクターがブレないのも良かったです。
 〆の一文も大変に素晴らしかったです。脱帽です。

櫻井 雅徳/ヘイ、アー・ユー・ハッピー?(文字数:570) 

 文章に勢いと妙なノリがあるので、最後まで軽快に読めちゃいました。でも読み終わって冷静になると、疑問がいろいろ沸いてきました。

「(重複記憶錯誤症により)連中は、複数の同一の場所と同一の出来事を同時に経験することができた」という文章の意味が分かったような、分からないような……。アピール文に「重複記憶錯誤症は実在」とあったので、調べてみましたが、私にはちょっと理解が及びませんでした。当然、
ハピハピ湯~々が、「約束の地」と特定されたロジックも理解できませんでした(アピール文には「ただの偶然で、約束の地になった」とありますが)。読解力がなくて、すみません。でも、ここは作品の肝ですから、もう少し噛み砕いた説明が欲しかったかなと。
 語り手である「俺」についても、「米国帰りという設定の必然性は?」「幼少期の甘い記憶って何?」「俺の伴侶になるマダムとの、そもそもの馴れ初めは?」「俺自身はアユハピをどう思ってるの? 俺はアユハピを使ってるの?」と、次々疑問が浮かびます。 
 また、いち旅館が、日本国からの分離独立を要求したとして、日本政府があっさり認めますかね? 仮に認めるにしても、そこはアユハピに絡めた何らかの理由付けが欲しいところです。
 とはいえ、可能性はいろいろ感じた作品なので、梗概にあるノリと熱を、どう実作に落とし込めるか、を楽しみにしております。

猿場 つかさ/その日からドアは戻らない(文字数:857)

 主人公の沙理奈の極度の潔癖性の表現として、「入浴時も手袋を外さない」としたのは、人物像が一発で伝わって来て良かったです。
 世界中に大増殖するドアや、人体に生えるドアのイメージの奔放さ、不気味さも良かったです。
 一方で、文意の取りにくい文章が散見されるのは、引っかかりました。

・「兄は沙理奈の元カレで、交際中に同様に変死した」
 →誰と同様なのか?

・「裏バイト」と「闇バイト」が混在。どちらかに統一しては?

・「すでに焼け落ちた洋館の主が、誠司の元へのドアの輸送の依頼人であることを突き止める」
 →?。そも誠司は、高校時代の沙理奈に、洋館からドアを盗み出させており、それは既に誠司の元に届いてますよね? 「ドアが行方不明になった」という記述はないので。
 なぜ今になって、洋館の主は、もう一個、別のドアを、改めて誠司の所へ送ったのでしょうか?
 でも「運び屋になった沙理奈が運んだドアこそが、あの洋館のドアだった」という記述が後であるし、矛盾してませんか?
「時系列か、もしくはドアの数がおかしいのでは?」と思ってしまったのは、私の読解力不足でしょうか?

・「『あの時の生き残りか』と言いながら恍惚とする誠司」
 →そう誠司に言わせるなら、昔、闇バイトを依頼した相手こそが、目の前の沙理奈だったと誠司が気づく前フリが欲しいです。

・「黒衣を着た洋館の主が、〈ドアの魂〉を生きたドアに戻した」
 →なぜ、洋館の主は〈ドアの魂〉をいったん抜いていたのでしょうか? 誠司を油断させるため?

・「生きたドアが二つ揃い、共鳴し」
 →洋館の主が、〈ドアの魂〉を戻して、蘇生させた「生きたドア」は一つのはず。いつの間に、二つ揃ったのか?

・なぜ、「沙理奈はドアに触れても大丈夫だった」なのか? 手袋をしているから? 変死した親友と手をつないだとき、呪いへの免疫ができていたから? 主人公独自の優位性については、何らかの説明が必要では?

・リオンは、男女どちらにも使われる名前。本作のリオンは男性なのか、女性なのか、どちらでもないのか?

以上、気になったことです。細かくて、すみません。

難波 行/おしゃべりしましょう(文字数:670)

 世界規模の雑音により、人が発声して、言葉を交わすことが出来なくなった社会で、独自の手話が発達し、口語が廃れていくという歴史は興味深かったです。
 異星人たちの困惑を描いたラストは、往年の星新一のショートショートのような歯切れの良さがあって、良かったです。
 もし実作を書かれるなら、「作曲家や演奏家が廃業し、音楽はクラシックで足踏みし、発展しなかった」とか、「映画は21世紀になってもサイレント映画のみ」といった文化的描写や偽史なんかを入れてもいいかもしれません。

はっきりと書かれてはいないですが、そもそも1882年以降、地球を覆った「雑音」の正体は、「異星人たちからの『おしゃべりしましょう』」というメッセージだったんですよね? 
 だとすると、「おしゃべりしましょう」というメッセージは、異星人たちの惑星(もしくは宇宙船)と地球との物理的距離をどうやって超えて地球へ到達したのか? は、いささか疑問です(100年以上、途切れることなく雑音が続いたのは、彼らの寿命がとても長くて、とてもおしゃべりだからということでしょうが)。
 電波ならともかく、音波は宇宙に伝播しないわけですし。
 実は、この世界の宇宙は、音波も伝わるエーテル宇宙でした……という種明かしでもない限りは。
 同じく、異星人が、地球から「おしゃべりしましょう!」という返事(=雑音から解放されたことによる、人々の歓喜の声)をどうやって、彼らは確認したのか? も疑問ですね。
 この梗概の作風だと、そういう細かいことは気にしなくてもいいかな、とも思いますが、一応、疑問には思いましたので、明記しておきます。

広海 智/木は語る(文字数:1393)

 「悲劇的結末に繋がりそうな要素」が複数あったものの、それらを物ともせず、前向きで優しいラストを迎えるのは良かったです。
 「植物との会話+異星人」という題材を扱い、「レクイエム」な結末に至る、新井素子氏の『グリーン・レクイエム』が、ちょっと頭をよぎりましたので……。
 個人的な疑問点は幾つかあります。

・樹木と会話できるプログラムについての覚え書きを、弘樹がみつけたのは偶然か、それとも継父が意図(だとしたら、その理由は?)したのか?

・弘樹の母は、継父のどこに惚れて、結婚したのか?(「入籍の際、弘樹の継父の戸籍はどうしたのか?」とか、細かいことは言いますまい) はたから見ると、継父は「引きこもりのヒモ」にしか見えませんが……。

・電子工作キットを、母から買い与えられ、樹木との会話アプリを作る弘樹の動きに、無職で一日中、家にいる継父が気づかないものか?(継父の不在時を狙ったのかもしれませんが) または母から継父に、弘樹へ工作キットを与えたことが伝わることはなかったのか?

・「樹木と会話できる」という大発見に対して、世界の反応が薄いのでは?

・樹木の伐採を、樹木の権利を守るために禁止するならば、木材業界はどうなるのか? 今後、木材という資源を、人間は利用できなくなることの社会的影響は?

・樹木と話せるアプリは、草花や農作物とも意志疎通ができるのか? もし農作物が「収穫される苦痛」を訴え、彼らの権利も守ろうとしたら、人類は飢えるしかないのだが。

・歩行木たちの文明は、ペルム紀末、どうやって地球外へ脱出できたのか? どうやって別の惑星に移住したのか?(少なくとも環境を考えると、移住先は太陽系内の惑星ではないはず。太陽系外ならば、どうやって遠大な距離を超えたのか?) それほどに高度な文明だったのか?

・ペルム紀は約2億5100万年前。なぜ、今になって歩行木たちは、地球への里帰りを計画したのか? 長命ゆえに、我々とは時間感覚が違う種族にしても、さすがに2億年以上経ってからの里帰りは、疑問符が。

・一介の公園の樹木にすぎないカオルに、継父はすべての真相を伝えすぎでは? カオルとの対話のチャンネルは開かれているので、手っ取り早かったのかもしれないが、それにしても……と思う。樹木同士だから、話が早いと思った?
 カオルから、弘樹に真相を伝えて欲しかったのか? それなら「かりそめ」とはいえ、親子なんだから、直接、弘樹に話せば良かったのでは? そうしなかった理由は? 継父から弘樹に直接、真相を話すことで、両者が和解するという展開でも良かったのでは?

・継父が失踪して、そのまま……というのも引っかかります。不審者扱いがショックだったのか? 残された弘樹の母のリアクションは? 
 25年後、歩行木たちが、地球へ来訪したとき、ふっと継父が、以前と全く変わらぬ姿を現しても良いのでは? または継父は、地球で「成木」となることを選んだとか。「成木」となった継父と、会話アプリを通して、初めて、本当の意味で対話し,継父という人物を理解する弘樹……って展開もありえますよね。

以上、私が感じた疑問点でした。
 実作を書かれるなら、以上の疑問点に留意して頂ければ幸いです。
 もちろん「実作に、回答をすべて盛り込め」などとは申しません。ですが、作者の頭の中に、答えがあったうえで執筆するのと、そうでないのとでは、やはり作品の完成度が違ってくると思いますので……。

牧野 大寧/黄金の音楽史(文字数:1716)

 まず全体が「音楽史家の回想」という体(てい)なのが良いです。当事者という立場ではない、一歩冷めた視点人物から、物事が語られるというのは新鮮でした。

冒頭で提示される「演奏者と楽器が浮き上がった」という「嘘」には音楽好きの私としては、ワクワクさせられました。
 この「嘘」にどう理屈をつけるかと思ったら、宇宙の超知性体(?)の
兵器を育成するために打った手段の一環だった……という真相も意外性がありました。

超知性体の目論見については、

1)演奏中に浮遊現象が起きるよう、地球の人間たちの認識をいじる
2)浮遊現象が起きた音楽家は、観客から「巨匠」と認められるようになる
3)結果、音楽家たちはこぞって、浮遊現象が起きるような革新性のある音楽を作ることを目指すようになる
4)そうした音楽が作られれば作られるほど、超知性体が求める『道具』のパーツとなる音楽が誕生する可能性は高まる

と理解しました。ものすごく迂遠な方法という気もしますが、おそらく悠久の時の間、存在し続けてきたであろう超知性体にとっては、どうってことのないことなのでしょう。私は、そこは気にならなかったです。
  
 それはおいて。私が疑問に思ったのは、以下の3点。

【1】「宇宙に打ち上げた音響機械」とは、いかなるものか?
→当然、空気がなければ、音は伝わらないわけで……。
 なぜ、宇宙まで打ち上げるのでしょうか? 人工衛星の軌道には、ほとんど、もしくは全く空気はないですよね。
 宇宙まで行かずとも、ある程度の高空に留まる無人のバルーンとか、無人の航空機(数十時間、飛び続けられる無人偵察機ならば、現在の自衛隊にあります。ましてや未来の世界なら尚更、高性能になっているでしょう)に、その音響機械を搭載すれば十分ではないですか? 
 カエデの音楽イベントの上演時間は分かりませんが、数十時間飛べる、航空機があれば、十分でしょう。
 あと高空から、「太平洋中に鳴り響く」ほどの音楽を再生するスピーカーの出力はいかばかりか? と。
 もし「人工衛星に音響機械を積む」ということに拘るならば、現実的なのは、人工衛星に再生機を積み、電波で音楽を発信させることですかね。 それを地上で受信して再生するとか。一応、それでも「宇宙から降りてきた音楽」にはなります。
 
【2】祖母の民謡を、カエデが編曲したバージョンが流れると、カエデの体が浮くという現象が起きるのだが、
→カエデの祖母が民謡を口ずさんだ時点で、祖母は宙に浮かなかったのか?(カエデの祖母が行方不明になったのは、演奏者が宙に浮くようになった1965年1月以前なのか? カエデの生年が書いてないので、分からないが)

→民謡ならば、カエデの祖母以外に歌っている人や知っている人はいなかったのか? もし祖母以外にいなかった……というのならば「祖母はとある少数民族の最後の生き残りで……」とかいう設定は欲しいところです。

→祖母の民謡のオリジナルではなく、「カエデが編曲を加えたバージョン」でないと、構造体の『道具』にはなり得ないのか? そこら辺、曖昧である。

→天空の音響機械は、すでに録音したものを再生しているだけではないのか? だとしたら、楽団なりを使って録音しているときに、カエデの体が浮かばなかったのは何故?

→そも「演奏者と楽器が浮く」現象であって、「編曲者」にすぎないカエデの体が浮くのはおかしくないだろうか? 現象が恣意的に、効果を及ぼす人間を選んでいるのだろうか? 現象の発動条件が一貫していないのでは?

【3】ラスト、人々から「気付き」が失われたのは何故?
→超知性体は、民謡(カエデ編曲バージョン)を『道具』のパーツに組み入れて満足したので(カエデは「忘れてくれ」と頼んだが、超知性体がその懇願を受け入れる義理はない)、「気付き」提供サービスは終了した。

→超知性体は、カエデの懇願を受け入れ(『道具』からカエデの編曲した民謡は削除)、また地球からも手を引いた。

まぁ超知性体側の事情ですし、「それは地球人の預かり知らぬことである」として、あえてそこは踏み込まず、読者の想像に委ねるラストも十分ありですが、私はちょっと気になりました。
 現場からは以上です。

夢想 真/禁断の缶蹴り(文字数:1294)

 ある朝、缶が禁止されている世界へ、慎吾が迷い込んでしまうという展開は、往年の海外ドラマ『ミステリーゾーン(トワイライトゾーン)』の1エピソードのような味があって、懐かしみがありますね。
 ただ読み進めていると、個人的にモヤモヤする点が幾つもありました。

・何故、この世界では、缶蹴りが禁止され、ひいては缶の製造そのものも禁止されているのか?(法律まで制定されている)
→慎吾は、ネットで缶に関する法律の存在を調べながら、「何故、そんなバカな法律が成立したのか」までには踏み込んで調べなかったは何故か?
 法律が成立した原因を調べたら、事態打開の鍵があるかもしれないのに。本物の鬼の存在が、国に認められている世界なのか、分かったかもしれないのに……。

・「この街はマサル君の邪念に支配されている」の一文がいかにも唐突。
→慎吾が、この断定を下すには、根拠があまりに薄弱。

→「この街は~支配されている」ならば、この街を出たらどうなるのか? 邪念の支配から逃れられるのか?

→街を支配する邪念が原因で、国家の法律が作られているというのに、まず違和感。べつに地方自治体の「条例」で、缶蹴りが禁止というのでも良いのでは? そうでないなら、マサルを平将門クラスの怨霊に設定しては? それなら国家が、マサルの邪念に配慮して、缶禁止の法律を作っても、納得感は出るかと。マサルは、缶に、いったいどんな恨みを持って死んだんだ? という疑問は残りますけどね!

→マサルが、街に仇なす邪霊(?)になった原因が不明。慎吾も娘に聞いて分からないなら、妻(娘の交友関係をある程度、把握しているはず)に聞くとか、すればいいのに。あとはネットでマサルの死亡記事を調べるとか。
→マサルと、本物の鬼の関係が不明確。マサルの邪念が、本物の鬼のいる地獄の門を開いたとか?

率直にいって、「缶の存在が禁忌な世界(SF風味)」と「缶蹴りをすると鬼が出る(ホラー風味)」という二つの「嘘」が、うまく噛み合っていないように、私には感じられてしまいました。
 とはいえ、本作が「作中の出来事について、合理的な説明が成り立たない。詳細も不明。だからこそ、かえって怖い」という「不条理ホラー路線」を狙われているのなら、上記で述べた、私のモヤモヤは、全くの的外れですので、忘れてください。

最後に。
 アピール文に「もっといい結末を考えたい」とご自分で書かれてますが、「慎吾が地獄へ落ちる」という現状のオチは、今一つに感じられました。
 別にアンハッピーエンドでも構わないのですが、それなら一度、慎吾が「鬼から逃げ切った!」「助かった!」という安堵を味わう瞬間を置いた
方が、その後の「地獄行き」の絶望感がより際だつのではないでしょうか。いわゆる「上げて、落とす」という奴ですね。
 現行のクライマックスでは、慎吾が、鬼との缶蹴りに臨んで、缶は見つからないわ、鬼に走り負けているわで、イイとこなしのまま、缶蹴りに負けて、地獄へGO! ですから、話の起伏に欠けている気がしました。

追伸:些事ながら「警察の事情調査」とあるのは、「警察の事情聴取」にした方がいいと思います。

私からは以上です。

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