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【お題:悪魔】出動!G撲滅兵団(2)

 
 瞬間移動先はワンルームの一室だった。
 ここ五年は掃除をしていないといった感じで、足の踏み場もないほどごみが溜まり、異臭が漂っている。ベッドらしき台の上に、四十代前半の女性がほとんど下着のような恰好で蹲っていた。

 その怯えようといったら異常で、まるで刃物を持った者に寝込みを襲われたとでもいったような様子だ。
 夏、突如現れる黒体が平穏な日常をどん底に突き落とす様をこれまでに何度も見てきたが、ここまで怯え切った顧客をみるのは初めてのことだ。
「大丈夫ですか。奴はどこに……」
 愛子が自分の兵隊服のジャケットを彼女の肩にかけたとき、聞き覚えのある、しかしそれにしては大きすぎる、かさこそという音がした。

「なんすか、これ……」
 八雲の声は掠れていた。まるで狂暴な肉食獣に刺激を与えないように声を潜めているといった感じだ。
 愛子は八雲の視線を追った。
 黄ばんだ壁に張り付いているのは愛子の敵、憎き宿敵だ。しかし普段と明らかに違うのが、その大きさだ。

「なんですの、この大きさは……」
 人の胴体ほどはありそうな床下の悪魔を、愛子は驚愕して見つめた。

 百年前に比べて、日本人の背は高くなったという。それは戦後の栄養、衛生状態の改善が主な要因と言われている。
 それはそのまま、別の生物に当てはまってもおかしな話ではない。人間とその床下に住まう悪魔は、同じ栄養価の食べ物を食べているのだから……
 
 悪魔は小さいときと同じように、長い触覚を不規則に動かした。それはまるで、愛子の登場を歓迎しているようにも思えた。愛子は誘われるように、悪魔に近づいていった。
「先輩、なにしてんすか。怖くないんですか」
 八雲は青い唇を震わせていた。八雲の横で丸くなって怯えている顧客が目に入り、愛子は自分に課せられている任務を思い出した。

 日中働き疲れ、足を引きずって帰り、やっとたどり着いた我が家という安らぎの空間を、いとも簡単に奪う虫……左右にとりとめなく動く触覚を見ているうちに、愛子の怒りが沸き起こった。
「先輩、ど、どうしましょう」
「殺す」
 愛子が包丁を構えると、家主がその手にしがみついた。
「ちょっとぉぉ! そんなことしたら住めなくなるじゃないの! 追い出してよ!」
 泣きじゃくる顧客に、愛子は冷ややかな目を向けた。
「逃して増えたら困る。ここで殺す」
 顧客は愛子の血の通わない目を見て口を噤んだ。
「それに、元々汚かったわ」
「先輩、俺に任せてくださいっす」
 八雲は愛子の前にでて、腰のショルダーからスプレー缶を取り出した。さっきまで顧客と一緒に怯えていたのに、土壇場で使命を思い出せるのは若さ故だろうか。

「ピレスロイド!」
 八雲が噴射した煙はたちまち部屋に充満し、悪魔はひっくり返ってごみの山に落ちた。わさわさと足を動かしてまた壁を這い、八雲が開けた窓から外へ逃げ出した。
「馬鹿……!」
 愛子は慌てて窓へ駆け寄るが、煙を吸い咳込んでいるうちに、悪魔の姿を見失った。隣のビルとの間は奴らが紛れるには格好の場所だ。闇夜は悪魔の味方だ。


「随分派手に暴れたみたいじゃないか」
 本部長がデスクの上に腰掛けて足を組んだ。
 愛子は俯いた。暴れてなどいない。仕事をしたのは新人の八雲のほうで、顧客に笑顔をもたらしたのも彼だ。
「私……この仕事向いてないかもしれません」
 苦々しく吐き出すと、本部長は優しく愛子の肩に手を置いた。
「なにを言う、お前は虫殺しの天才だ。お前ほどの『圧倒的な殺意』を持った人間は他にいない。特別な人間だ」
――特別な人間
 愛子は本部長の言葉を反芻して、この仕事に就くことになった日のことを思い出した。
「北海道って、Gがいないってほんと?」
 大学の三年生の夏、百人一首サークルの合宿に訪れていた愛子は、当時好意を寄せていた男子と分担された部屋の掃除をしていた。
「そうね、まだ見たことがないわ。東京にはよくでるって聞いていたけど」
「こんなじめじめした部屋になんかは、よくでるね。大丈夫だよ。俺がついているから」
「頼もしいのね」

 実際、Gと出くわしたことのなかった愛子はそのおぞましさを分かっていなかった。彼がまるで悪者から君を守るとでも言うような口調で言うので、男女の掛け合い、その雰囲気に酔っていたのだ。
 窓からさす西日に照らされ、好きな曲の話をしていたとき、箒を持っていた彼の腕に控えめな大きさの悪魔が降ってきた。彼は咄嗟に飛び退いて、学内中に聞こえるのではないかというほどの大声をあげながら部室から出ていった。

 一人残された愛子は、地面に落ちたGと初めて顔を見合わせた。不規則に揺れる触覚、どこにでも忍び込めるように進化した薄い身体、少し線の浮き出た赤茶の羽根……Gは愛子に挑戦的な眼差しを向けていた。
――試されている……
 愛子は悟った。

 北の生まれを見抜かれているのか、蚊も殺せないような、と称される顔で上下関係を見定められているのか。とにかく、向き合った悪魔は愛子に『殺意』を向けているように思えた。我々は決して屈しないと、言い放っているように思えた。
 殺るか、殺られるか――
 愛子の緊張は極限に達した。

 愛子の心に、相手の殺意を凌駕するほどの殺意が目覚めるのと、相手が捨て身の神風特攻をしかけてくるのは、ほぼ同時だった。
 飛びかかってくる羽虫に怯むことなく、愛子は身構えた。履いていたスリッパを手に取り百人一首の要領で悪魔を叩く。壁に打ち付けられた哀れな昆虫に一縷の慈悲も向けずに、カッターナイフを投げつけた。

 カッターナイフを選んだのは良かった。内臓や体液が飛び散ることもなく、Gは壁に張り付けになり動きを止めた。愛子は全身から力が抜け、その場にへたり込んだ。
「見事なスリッパ捌きだ」
 声に驚いて顔を上げると、窓のサッシに、見知らぬ男性が腰かけていた。今の殺害現場を見られていたことを知り、心臓が脈打つ。
「悪魔との遭遇は、人の本性を引き出すものだ。掃除をしていた彼は、不意の出来事に尻尾を撒いて逃げてしまったようだが」
 男性はしなやかな動きで窓から部屋に入ってきた。
「君の反応には脱帽だ。Gへの恐怖を上回るほどの殺意。そして躊躇いのない殺虫行為。その力、うちで活かさないかい」
 愛子は返事ができずにいた。
「……良い素質を持ってはいるが、まだ甘いな。Gはこれくらいでは死なないよ」
 高そうなスーツを着た男性は靴音を響かせて、串刺しになったGの前まで来た。
 よく見ればGの手足は微妙に動いて、身体がちぎれてもカッターナイフから抜け出してやろうともがいているようだった。

「この生への執着……醜いな。生物は死してこそ美しい」
 男性はカッターナイフを、Gの刺さったまま器用に引き抜いて、持っていたコップの水の中に浸した。
「私の〝スキル〟は『確実な死』。君の〝スキル〟は……『圧倒的な殺意』といったところか」
 優艶な顔に見つめられ、愛子の心臓は高鳴った。
 それが、G対策本部との出会いだった。

 〝スキル〟が目覚めたときのことを、愛子は昨日のことのように覚えている。
 自分の力を人のために使う。それは生きる上で、愛子にとって何よりも大切な心の軸となった。例えそれが、特定の誰かのためだとしても……
「私、もう少し頑張ってみます」
 自信を取り戻した愛子を見て、本部長は穏やかに笑った。
「大きな仕事が来た。お前にしか任せられない依頼。出動だ」

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