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『007からスパイを考える』~影から歴史を動かした者達~リテラ探求学習研究レポート

映画007の影響でスパイに興味を抱いた新中2Kくん、一国の運命を左右するほどの力をもつスパイの暗躍ついて研究をしました。

あなたのすぐそばにいる「あの人」がスパイかもしれませんね。

この研究をしたのは新中学2年生のY・Kくんです。



■プレゼンテーション動画


■リテラの先生からのコメント

スパイと聞くと、とてもかっこいい映画のイメージが思い浮かびますが、実際には、命の危険や裏切りなど、とても大変な仕事だったのですね。
今回の研究では、世界情勢や政治のことなど、スパイの背景にある、より大きな問題についても話し合うことができました。
この会場にも、もしかするとスパイがいるかもしれませんね。


■テキスト資料

スパイについて僕が興味を持ち始めたのは、去年の三月ごろからでした。
その頃、家でくつろぐ時間が多かった僕は、ある日、テレビの録画番組を整理しているときに『007』というスパイ映画を見つけました。
暇だったので試しに観てみると、主人公のジェームズ・ボンドの活躍がとても興味深く、そこからスパイについて日常でも考え始めるようになりました。


そもそも、スパイの日本語訳である「諜報員」の「諜報」とは、相手の情報をひそかに探って知らせることであり、007の世界線のように殺傷を伴う物騒な意味はありません。
ではなぜ、スパイ=殺傷を伴う危険な仕事、という印象を植えつけるような映画は作成されることになったのでしょうか。
僕は、時代ごとのスパイの歴史を振り返りながら、考えることにしました。


今日も続いているスパイ活動は、古くから行われています。
いつの時代でも、スパイを雇ったのは、将軍や実業家などの、重要な情報を守り、逆に相手が隠している情報を嗅ぎだそうとしている人たちでした。
スパイの仕事は、主に、敵の領地へ潜入し、敵の兵力や、攻撃計画を調べてくることでした。
情報収集のために、ひそかに敵地に忍び込むものから、敵に信頼され、情報を得る者もいました。


スパイ活動は、すでに数千年も前から始まっており、旧約聖書にもその記述があります。
古代パレスチナのある国の城壁を壊すために、指揮官が二人のスパイを敵地に潜伏させたと言われています。


また、古代エジプトでは、ツタンカーメンの死後、女王アンケセナーメンが隣国に送った手紙の真偽を確かめるために、国王がスパイを遣わしたといいます。


他にも、マケドニアのアレクサンダー大王や、モンゴル帝国のチンギス・ハンなどが、スパイを戦争目的で使っていたと言われています。
スパイは、任務に成功すれば、貴重な情報をもたらした英雄として帰還できます。
しかし、失敗し捕まってしまえば、必ず処刑されてしまいます。


そのため、一部のスパイたちは、暗号を用いて、情報を国に持ち帰ろうとしました。
アレクサンダー大王のスパイは、自分の伝言を秘密にしておくために、細長い羊皮紙を棒に巻きつけながら伝言を書いたといいます。
巻物をほどいたときに文字はバラバラになってしまいますが、巻き戻すと容易に読むことができます。


時代がくだって、アメリカの独立戦争のころになると、兵士として従事しながら敵陣の偵察などをする、斥候と呼ばれる人々が現れました。


またその一方、変装し、ひそかに情報収集をする戦時下のスパイもいました。
ただ、もし、敵の陣営内で見つかれば、スパイとして裁判に付され、ほとんどが即座に死刑を執行されました。


こうした過酷な刑罰にもかかわらず、スパイはありとあらゆる戦争に関与してきました。
戦争中は、女性のスパイも暗躍しました。
その時代、若い男性はみな、兵士として軍隊に入ってしまい、私服姿の男性はとても目立ってしまいます。
そのため、女性のスパイが増えたのです。


中でも、ベル・ボイドという人物は、南北戦争の際、南軍のもっとも有名な諜報員の一人でした。
彼女は、自宅に宿泊した北軍将校から入手した軍事機密を、銃撃にひるまず南軍の指揮官に伝えたと言います。
彼女は捕まってしまいますが、捕虜交換により釈放されました。


このように、スパイは情報をもたらし、戦争の勝ち負けや、あるいは歴史の流れまで変えることもできました。
1940年代後半、二度の大戦が終結し、スパイの時代にも終わりが訪れると思われました。


しかし、ふたを開けてみれば、そこからがスパイの黄金期の始まりでした。
政治的な境界線が世界を二分し、東西冷戦と呼ばれる時代が始まったからです。
東側では、ソ連を中心として、階級なき社会を作ろうとし、西側にある国は、アメリカに支援され、自由に基づく資本主義の社会を作ろうとしました。
東側と西側の人々は、相互に不信感を持ち、その強烈な敵対関係は「冷戦」と呼ばれるようになりました。


そしてスパイは、その冷戦がつくり出した相互不信の世界で暗躍しました。
両陣営とも、敵の目論見を嗅ぎつけるスパイと、敵のスパイに対抗するための諜報員に、天井知らずに資金をつぎ込みました。
また、この頃、映画007の第一作が発表されました。


個々のスパイの背後には、情報収集のための巨大なネットワークがありました。
特に、冷戦時には、アメリカ合衆国のCIA、イギリスのMI6、ソ連のKGBなどの主要国の秘密情報機関が、多くの重要人物の暗殺や投獄に関わっていたと言われています。


たとえば、ブルガリア人の反体制活動家ゲオルギー・マルコフは、ロンドンのBBC放送局からブルガリアの政治指導部への批判を放送したことで、後に、KGBと協力したブルガリアの秘密情報機関の防諜工作員に暗殺されました。


その防諜員は、暗殺用の武器として、殺人傘と呼ばれる、先端から猛毒を仕込んだカプセルを発射できる特別な傘を支給されていました。
そのカプセルは24時間以内に体内に溶け込み、完全犯罪が成し遂げられるところでしたが、検視の過程でそれが見つかり、大々的な事件となりました。


オルドリッチ・エイムズは、アメリカのスパイ史上もっとも甚大な被害をCIAに与えた裏切り者と考えられています。
彼は、ソヴィエト大使館でKGBに自らを売り込みました。
彼の主な仕事は、CIAとしてソヴィエトへ潜入するスパイを集め、KGBとしてその人々を密告する事でした。


ソヴィエトに潜入したスパイが次々と捕まったことで、内部に二重スパイがいるのではないかと疑ったCIAは、自分たちが支払った給料ではできそうにもない豪遊をしているエイムズを疑い、10か月の調査を行った末に彼を捕え、仮釈放なしの終身刑を下しました。
彼は82歳となった今でもアメリカの刑務所に収監されています


エイムズが逮捕される三年前、ソ連のトップであったゴルバチョフ氏が退任するとともに、ソ連は崩壊し、連邦の国々は独立し、ソ連の諜報機関であったKGBも解散しました。
自国の兵器に莫大な金をつぎ込んだ挙句に内部から崩れてしまったのは皮肉な話です。


これは僕なりの解釈ですが、この冷戦において、アメリカをはじめとする西側諸国と、ソ連をはじめとする東側諸国には、決定的な差があったと考えています。
それは、国の内部の強度であり、それと映画007は関わりが深いと考えています。
映画007がイギリスとアメリカで作られた映画だということと、このシリーズがちょうど冷戦期に書かれていることに着目したとき、ジェームズ・ボンドに立ちはだかる敵を、ソ連やロシアの刺客にすることで、自分たちがボンドのように強く魅力がある陣営であると思わせる効果があったと考えました。


僕はこの研究を通じて、情報によっては一国の運命を左右するような力を持つスパイは、恐ろしい存在だなと改めて思います。
皆さんはこんなにも恐ろしいスパイが身近にいる人生を想像できますか?
これで発表を終わります。
聞いてくださって、ありがとうございました。


■研究の振り返り

◇これはどのような作品ですか?
スパイの暗躍と個々の時代の背景から007が作られたきっかけを考える作品

◇どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
007の主人公ジェームズボンドの活躍がとても興味深かったから。

作品づくりで楽しかったことは何ですか?
007発祥の国や、各時代の有名なスパイ、スパイを雇った人などを調べたこと

作品づくりで難しかったことは何ですか?
時間と本などの情報源が足りなかったため、本を買ったり、授業時間を増やして作ったこと。

作品作りを通して学んだことは何ですか?
時代の中でスパイの歴史上における定義は段々と変わっていったということ。

◇次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
情報源が足りなかったので最初にどのくらい書くのかを把握しておく。

◇来年、研究したいことはありますか?
自転車のもっと細かいところに着目して研究したい。

この作品を読んでくれた人に一言
私たちの身近にもスパイはいるかもしれないという視点を持ってくれたら幸いです。

この記事を書いた生徒さん

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