鬱をなんとか食い止めることができたかもしれない

 私はもとから精神状態が不安定な自覚はありました。でも、どんなにしんどいときでも、ネットで調べてみたら鬱の症状まではいってなくて、抑鬱止まりでした。「これでも抑鬱なのか。もっとしんどい世界線があるのか。」と、恐ろしく感じていました。

 でも一昨日、精神状態が悪化して、うまく歩くことすらできなくなって、よほど気合を入れないと地面を這うことしかできなくて、「あ、これは鬱かもしれない。長引くんだろうな。」と悟ったような、先行きの不安を感じながら耐えていました。その日は昼食も夕食も喉を通りませんでした。風邪で37.5℃の熱もあったので、これぞまさに心身共にボロボロって感じでした。たぶん原因はわかっていて、自分の捉え方を変えたらいいだけなのに、なんでそれができないのだろうかと考えていました。

 なんとしてでも長引く前に回復させなければ!と思い、ひとまずテストとか受験とかは忘れて、精神状態の回復に全集中しようと決めました。そして、小中時代からの親友を頼ることにしました。ひとまず電話をして、泣き叫んで、会うことにして、切りました。通話時間は18分。でも余りにもしんどいので体温を測ってみると37.5℃で、さらに上手く歩けない状態で駅のホームに行くと転落しそうで怖かったのでやめて、寝ることにしました。

 起きて、そういえば精神状態が悪化したときのフリーダイヤルがあったよなと思い出して、電話をかけてみました。でも、4回チャレンジしたけどどこも繋がらなくて、諦めました。

 そこでもう一度先程の友達に電話をかけました。精神的な苦痛はさっきとあまり変わらなかったけど、今回はもう少し穏やかに、お互いにぽつりぽつりと話しました。私も高校でしんどい経験はたくさんしてきたけど、その友達は私よりも厳しい環境の中で頑張っているから、本当にすごいなと思います。お互いの気持ちが共感できるから、本心で話しやすいです。そうして1時間半くらい喋っているうちに、歩けるくらいには回復しました。でも、夕食は無理だったので、そのまま寝ました。

 次の日の朝には、ご飯が食べられるようになっていました。前日、私の泣き叫ぶ声を聞いた妹が心配して買ってきてくれてた、柑橘系のタルトも食べられました。この日は焦らず英気を養って過ごしていました。

 そして迎えた今日は、朝から体操部に顔を出してました。明日からテスト期間なので、部活はオフです。引退試合から1週間体を動かしておらず、昼食と夕食を抜いたことで体力も衰えているはずなので、取り戻したいと思ったからです。家族で昼ご飯を食べる約束だったので、2時間だけ参加しました。最初の1時間半はアップや基礎練をして、残りの30分はフリー練でした。

 引退試合の直前は、軽く腰を痛めていたけれど、今日は完治していたので嬉しかったです。でも腹筋は弱くなっていました。できればロン宙をしたいと思っていたけど、ロンダートの着地でうまく跳ねなかったので、諦めました。代わりにロンバクをしてみたらけっこう調子が良くて、バク転連続できるかもと思って初めてロンバクバクに挑戦したら、できちゃったので嬉しかったです。

 今回の鬱の原因は、
・自分の力ではどうしょうもないことを受け入れられない
・過剰な期待
だと思います。

 メンタル不調は、新入生勧誘のときから続いていました。私は体操が大好きだし、楽しいし、体操部に入って本当によかったと思っています。でも、途中から同期が自分だけだったから、新入生勧誘のときのプレッシャーは大きかったし、参加人数が少ないときの重い空気感を味わったことも何度もありました。後輩は体操以外にも大切にしていることがあるから、同期がアメリカに行ってから、「体操大好き!!」って無邪気に言って共感しあえる相手がいなくなっちゃって、孤独感に押し潰されそうになったときもあったなって思い出しました。私は体操部に入ってくれた新入生に楽しんでほしいし、プレッシャーを感じてほしくないし、孤独感も味わってほしくないから、新入生勧誘を頑張っています。

 体操部に興味を持ってくれていた子2人が他の部活に行ってしまって、その2人と1番長く接していたのは私だったから、かなり落ち込みました。1人は知り合いの妹で、1月に会ったこともあって、そのときから素敵な先輩って思ってもらえるように、体操部の魅力が伝わるように、頑張っていました。一方的だったのかもしれないけれど、その子のことが好きで、もっと仲良くなりたいと思っていました。もうひとりは仮入部のとき、「体操部に気持ちが傾いている」って言ってくれていました。どの部活に興味を持つかはその人次第で、私の力ではどうにもならない。そう思おうとしても、自分を責めてしまいます。上手く距離を縮めて新入生を楽しませることができない私が許せない。あのとき違うことを言っていたら変わっていたのだろうか。

 私は知り合いの妹から「吹部にします」と言われた日、次の生物の授業で40分くらい泣き続けました。家に帰ってからも、頭が痛くなるくらい泣きました。

 新入生勧誘でこんなにメンタルがボロボロになっている先輩がいる部活に入りたい新入生なんているわけなくて、先輩や後輩が私の状態を見たら罪悪感で苦しんでしまうかも。体操部が大好きなのに、迷惑をかけることしかできない自分が嫌で、この無限ループから抜け出せなくなっていました。

 結局、翌朝アメリカに留学中の元同期に電話して、久しぶりに2時間56分もしゃべっていたら、だいぶ回復しました。その人はすごく精神的に安定してるから、精神状態が悪いときでも安心して話せます。

 でもその傷は完全には癒えていませんでした。家庭でも、妹の吹部の定期演奏会には当たり前のように行き、親戚や知り合いも誘っていた母から、私の引退試合の候補日には仕事を入れたって言われてショックを受けていました。みんな吹奏楽大好きなのに体操興味ないよね。

 私は体操部にとって迷惑な存在じゃない。私は体操に苦しめられてない。みんな体操に興味がないわけじゃない。

 そのように、誰かに否定して欲しかったから周りに過度に期待してしまったんだと思います。これまで自分を否定していた分だけ、応援してもらいたい、見てもらいたいっていう欲求が膨らんでしまったんだと思います。でもたぶん、どれだけたくさんの人が来てくれても満足できなかった気がします。

 でも、妹が体操の引退試合の日に私のためにスイーツを買ってきてくれたのが嬉しかったから、同じ喜びを味わってほしくて、私は吹部の定期演奏会を聴きに行きました。でも、私が行かなくても吹部の定演は満席で、私があげなくても妹は何個か花束をもらっていて(私は0個だった)、プレゼントもたくさんもらっていて、これまで私は何度か吹部の発表を聴きに行ったけど、吹部で私の発表を観に来ようとしてくれた人なんていなくて、私が行かなくてもよかったじゃん!!と爆発して、次の日に鬱になりました。昔、吹部の元カレから「体操興味ない」というニュアンスのことを言われて、ずっとモヤモヤしてたのもあります。

 私は、自分の精神状態が不安定なのは、持病のようなものだと思っています。このことを否定するよりも、受け入れて、上手く付き合っていく方法を考えるほうが前向きな向き合い方だと思います。

 これまでの学びの成果か、私はここぞという大切なときには、100%の力を出せるように調節することができます。高校受験の模試は15回くらい受けて全部A判定だったし、体操の大会ではいつもの私より落下が明らか少ないです。平均台は5本中1回しか落ちたことはありません。練習だと、平均して1本中1,2回落ちています。

 例えるなら、生理をなくすことはできないけど、ピルを飲んでずらすことはできるように、感情を爆発させて休養をとる期間をある程度移動させることができるっていう感じかな。

 でもこれは私だけの頑張りじゃなくて、学校で課題が少ないのも良かったと思います。いつも課題に追われていたら、休養をとる暇なんてないから、蓄積されていって壊れていただろうなと思います。

 中学生の頃に比べると今の私は勉強を頑張れてないって思っちゃうときもあるけれど、中学時代の負債を返済している最中だと思うと、受け入れられるような気がします。

 世の中には「心の病は甘え」と言う人がいます。私は、「立ち上がれないほどのどん底を経験したことがない人にそんなことを言う資格はない」と思います。仮に甘えとして取り扱われるとして、誰のメリットになるのでしょうか。私には思い浮かびません。

 精神状態を回復させる1番の方法は、初期の段階で立ち止まることだと思います。でも、心の病が甘えなら、立ち止まることも甘えになるから躊躇してしまい、どんどん悪化します。

 確かに、最近心の病が多すぎている気もします。だから、「甘えだ」ってひとことで片付けたいのかもしれないけれど、そんな単純なことじゃないと思います。私は、社会全体が以前に比べて明らかに余裕をなくしていて、初期の段階で立ち止まる隙を与えてくれないことの影響が大きいと思います。あと、もしかしたら環境問題とか化学物質とかも関係しているのかなとも思いますが、これには証拠がないのでただの仮説です。化学はけっこう好きだから、こういう仮説を検証するための手段にできるくらい、きっちり理解したいな。

 でも、心に違和感を感じても、なかなか立ち止まれないのが今の社会です。しかし、体操部の私の同期は、高校を1年留年してアメリカに留学しています。OBさんで、40歳くらいになってから医学部に入って、今はお医者さんをしている方もいます。だから、私は他の人よりもちょっぴり、レールに乗らなくてもいいんだよ、ってわかっているかもしれません。それに、日本では1浪はよくある話だから、メンタルケアのための1年も受け入れるポテンシャルはあるんじゃないかな。

 まだ具体的な手段は決まっていないけれど、将来少しでも、精神状態が悪化しかかっている人を救う手助けができたらいいなと考えています。

 私はさっき、精神状態が不安定なのは持病のようなものだと書きました。不安定な原因は考えすぎにあると思います。でも、人よりも考えることって、上手く活かすことができれば自分の強みにもなりうると思います。自分が持っているのもを否定するんじゃなくて、どうやったら自分の力を最大限活かせるのか考え続ける人生にしたいです。

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